先日、記事で谷崎について書いた際、次は『春琴抄』かあるいは、『細雪』を読んでみようかと書きました。
が、気が変わり、『陰翳礼讃』を読むことにしました。
この作品は、現在でも建築の世界でよく読まれているそうです。
伝統的な日本家屋を建築する際、大切な考えが述べられています。
(現代の日本家屋はかなり明るい住宅になっていますので、谷崎の書く「陰翳礼讃」はされていないと言えます。
谷崎は、「陰翳」に絡めて、肌の色による人種の違いについて興味深いことを書いています。
現在、必要があり、人種や民族についていろいろと調べていますので、谷崎の述べていることをここに引用しておきます。
しかし私は、皮膚の色の違いと云うことも考えてみたい。われ/\とても昔から肌が黒いよりは白い方を貴いとし、美しいともしたことだけれども、それでも白皙人種の白さとわれ/\の白さとは何処か違う。一人一人に接近して見れば、西洋人より白い日本人があり、日本人より黒い西洋人があるようだけれども、その白さや黒さの工合が違う。これは私の経験から云うのであるが、以前横浜の山手に住んでいて、日夕居留地の外人等と行楽を共にし、彼等の出入する宴会場や舞蹈場へ遊びに行っていた時分、傍で見ると彼等の白さをそう白いとは感じなかったが、遠くから見ると、彼等と日本人との差別が、実にはっきり分るのであった。日本人でも彼等に劣らない夜会服を著つけ、彼等より白い皮膚を持ったレディーがいるが、しかしそう云う婦人が一人でも彼等の中に交ると、遠くから見渡した時にすぐ見分けがつく。と云うのは、日本人のはどんなに白くとも、白い中に微かな翳(かげ)りがある。そのくせそう云う女たちは西洋人に負けないように、背中から二の腕から腋の下まで、露出している肉体のあらゆる部分へ濃い白粉を塗っているのだが、それでいて、やっぱりその皮膚の底に澱んでいる暗色を消すことが出来ない。ちょうど清洌な水の底にある汚物が、高い所から見下ろすとよく分るように、それが分る。殊に指の股だとか、小鼻の周囲だとか、襟頸だとか、背筋だとかに、どす黒い、埃の溜ったような隈が出来る。ところが西洋人の方は、表面が濁っているようでも底が明るく透きとおっていて、体じゅうの何処にもそう云う薄汚い蔭がささない。頭の先から指の先まで、交り気がなく冴え/″\と白い。だから彼等の集会の中へわれ/\の一人が這入り込むと、白紙に一点薄墨のしみが出来たようで、われ/\が見てもその一人が眼障りのように思われ、あまりいゝ気持がしないのである。こうしてみると、かつて白皙人種が有色人種を排斥した心理が頷けるのであって、白人中でも神経質な人間には、社交場裡に出来る一点のしみ、一人か二人の有色人さえが、気にならずにはいなかったのであろう。そう云えば、今日ではどうか知らないが、昔黒人に対する迫害が最も激しかった南北戦争の時代には、彼等の憎しみと蔑みは単に黒人のみならず、黒人と白人との混血児、混血児同士の混血児、混血児と白人との混血児等々にまで及んだと云う。彼等は二分の一混血児、四分の一混血児、八分の一、十六分の一、三十二分の一混血児と云う風に、僅かな黒人の血の痕跡を何処までも追究して迫害しなければ已まなかった。一見純粋の白人と異なるところのない、二代も三代も前の先祖に一人の黒人を有するに過ぎない混血児に対しても、彼等の執拗な眼は、ほんの少しばかりの色素がその真っ白な肌の中に潜んでいるのを見逃さなかった。
これは興味深い指摘だと思います。
さて、次にはどの谷崎作品を読みましょうか?
が、気が変わり、『陰翳礼讃』を読むことにしました。
この作品は、現在でも建築の世界でよく読まれているそうです。
伝統的な日本家屋を建築する際、大切な考えが述べられています。
(現代の日本家屋はかなり明るい住宅になっていますので、谷崎の書く「陰翳礼讃」はされていないと言えます。
谷崎は、「陰翳」に絡めて、肌の色による人種の違いについて興味深いことを書いています。
現在、必要があり、人種や民族についていろいろと調べていますので、谷崎の述べていることをここに引用しておきます。
しかし私は、皮膚の色の違いと云うことも考えてみたい。われ/\とても昔から肌が黒いよりは白い方を貴いとし、美しいともしたことだけれども、それでも白皙人種の白さとわれ/\の白さとは何処か違う。一人一人に接近して見れば、西洋人より白い日本人があり、日本人より黒い西洋人があるようだけれども、その白さや黒さの工合が違う。これは私の経験から云うのであるが、以前横浜の山手に住んでいて、日夕居留地の外人等と行楽を共にし、彼等の出入する宴会場や舞蹈場へ遊びに行っていた時分、傍で見ると彼等の白さをそう白いとは感じなかったが、遠くから見ると、彼等と日本人との差別が、実にはっきり分るのであった。日本人でも彼等に劣らない夜会服を著つけ、彼等より白い皮膚を持ったレディーがいるが、しかしそう云う婦人が一人でも彼等の中に交ると、遠くから見渡した時にすぐ見分けがつく。と云うのは、日本人のはどんなに白くとも、白い中に微かな翳(かげ)りがある。そのくせそう云う女たちは西洋人に負けないように、背中から二の腕から腋の下まで、露出している肉体のあらゆる部分へ濃い白粉を塗っているのだが、それでいて、やっぱりその皮膚の底に澱んでいる暗色を消すことが出来ない。ちょうど清洌な水の底にある汚物が、高い所から見下ろすとよく分るように、それが分る。殊に指の股だとか、小鼻の周囲だとか、襟頸だとか、背筋だとかに、どす黒い、埃の溜ったような隈が出来る。ところが西洋人の方は、表面が濁っているようでも底が明るく透きとおっていて、体じゅうの何処にもそう云う薄汚い蔭がささない。頭の先から指の先まで、交り気がなく冴え/″\と白い。だから彼等の集会の中へわれ/\の一人が這入り込むと、白紙に一点薄墨のしみが出来たようで、われ/\が見てもその一人が眼障りのように思われ、あまりいゝ気持がしないのである。こうしてみると、かつて白皙人種が有色人種を排斥した心理が頷けるのであって、白人中でも神経質な人間には、社交場裡に出来る一点のしみ、一人か二人の有色人さえが、気にならずにはいなかったのであろう。そう云えば、今日ではどうか知らないが、昔黒人に対する迫害が最も激しかった南北戦争の時代には、彼等の憎しみと蔑みは単に黒人のみならず、黒人と白人との混血児、混血児同士の混血児、混血児と白人との混血児等々にまで及んだと云う。彼等は二分の一混血児、四分の一混血児、八分の一、十六分の一、三十二分の一混血児と云う風に、僅かな黒人の血の痕跡を何処までも追究して迫害しなければ已まなかった。一見純粋の白人と異なるところのない、二代も三代も前の先祖に一人の黒人を有するに過ぎない混血児に対しても、彼等の執拗な眼は、ほんの少しばかりの色素がその真っ白な肌の中に潜んでいるのを見逃さなかった。
これは興味深い指摘だと思います。
さて、次にはどの谷崎作品を読みましょうか?
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