昨晩テレビを観ていましたら、特攻隊の生き残りの方の半生が流れていました。
当時二十歳のその方はエンジントラブルにより不時着を余儀なくされ、同隊の中でただ一人だけ生き残ったのでした。
そして自分一人だけ死ななかったという自責の念に苦しみ、何十年もの間、戦死した仲間の遺族のもとを慰問し続けて、せめて隊員たちの生活
ぶりを話すことで、彼らの息吹を御家族に伝えようとされたといいます。
終戦直後の貧困にあえぐ中、おまけに情報もほとんど無いなか、全国をまわるのはどれだけ大変なことだったか想像することもできません。
正義が一夜にして悪に変わった時代、言われなき中傷も数知れなかったことでしょう。
それでもその方は自分の家庭も顧みず、稼ぎも休日も全てそのことに費やして生きたそうです。
それからのちも退職金を投げうち、仲間たちの記憶を残すために資料館の設立に奔走して、ついに知覧にてそれを実現させました。
時間もお金も、そして家庭をも犠牲にして70年間それだけに生きたことに、奥様は一つの文句も言われなかったそうです。
それどころか御主人のその一途な姿に惚れ込み、敬意すら評しているのでした。
いかにも不器用そうなその御主人が、カメラを前に長年苦労をかけたことをボソボソと奥様に謝ったのでしたが、それに対してはその奥様は、
ただ一言、御主人の信念を素晴らしいとおっしゃられました。
それを聞いた時の御主人の笑顔というのは、もはや言葉に表すことができません。
まさに神様そのものでした。
誰かに理解してもらおうとか、そういう次元では無かったでしょう。
我を忘れて一心を貫き通した、それが全てだったはずです。
そして奥様は御主人が何をしたかではなく、その透き通った姿にこそ美しさを感じたのだと思います。
神道では、自分の仕事に一所懸命につとめるなかに救済があると考えられています。
それぞれの仕事は神様から委ねられたもので、その神聖な仕事につとめる中で人間は神と一体になるというものです。
これは神が降りてくるというのではなく、自らの内にある神性が発露していくということだと思います。
本来、人間は神と一心同体であるものの、我執というものがそれを曇らせてしまい神が隠れてしまう。
しかし、何かに心を向け続けることにより私たちは執着心から解放されて、元の姿に戻ることができるわけです。
確かに頑固で一途な職人ほど、その顔は神様のように見えるものです。
これは職人でなくとも、普通の会社員でも普通の主婦でも同じことが言えるのではないでしょうか。
理由や理屈など抜きにして、ひたすら何かに心を向け続ける。
その結果として心が晴れて神性が発露していくということです。
元特攻隊の方のその笑顔を見たとき、画面に向かって本当に手を合わせたくなりました。
もちろん、そこまで脇目もふれず一心不乱に何かに心を向け続けるのは、なかなかできないことです。
ただ、仕事でも家事でも、一つ一つの些細なことに100%心を向けることならば自分にもできそうです。
なんとなくボンヤリと考えごとをしながら、あるいは不安や不満を抱えながらルーチンにやってしまうのは、まさに我執の真っただ中です。
ガムシャラに必死にやるのが難しいなら、せめて瞬間だけでも目の前のことに100%心を向ける。
それもまた「一所懸命」と言えるのではないかと思います。
当時二十歳のその方はエンジントラブルにより不時着を余儀なくされ、同隊の中でただ一人だけ生き残ったのでした。
そして自分一人だけ死ななかったという自責の念に苦しみ、何十年もの間、戦死した仲間の遺族のもとを慰問し続けて、せめて隊員たちの生活
ぶりを話すことで、彼らの息吹を御家族に伝えようとされたといいます。
終戦直後の貧困にあえぐ中、おまけに情報もほとんど無いなか、全国をまわるのはどれだけ大変なことだったか想像することもできません。
正義が一夜にして悪に変わった時代、言われなき中傷も数知れなかったことでしょう。
それでもその方は自分の家庭も顧みず、稼ぎも休日も全てそのことに費やして生きたそうです。
それからのちも退職金を投げうち、仲間たちの記憶を残すために資料館の設立に奔走して、ついに知覧にてそれを実現させました。
時間もお金も、そして家庭をも犠牲にして70年間それだけに生きたことに、奥様は一つの文句も言われなかったそうです。
それどころか御主人のその一途な姿に惚れ込み、敬意すら評しているのでした。
いかにも不器用そうなその御主人が、カメラを前に長年苦労をかけたことをボソボソと奥様に謝ったのでしたが、それに対してはその奥様は、
ただ一言、御主人の信念を素晴らしいとおっしゃられました。
それを聞いた時の御主人の笑顔というのは、もはや言葉に表すことができません。
まさに神様そのものでした。
誰かに理解してもらおうとか、そういう次元では無かったでしょう。
我を忘れて一心を貫き通した、それが全てだったはずです。
そして奥様は御主人が何をしたかではなく、その透き通った姿にこそ美しさを感じたのだと思います。
神道では、自分の仕事に一所懸命につとめるなかに救済があると考えられています。
それぞれの仕事は神様から委ねられたもので、その神聖な仕事につとめる中で人間は神と一体になるというものです。
これは神が降りてくるというのではなく、自らの内にある神性が発露していくということだと思います。
本来、人間は神と一心同体であるものの、我執というものがそれを曇らせてしまい神が隠れてしまう。
しかし、何かに心を向け続けることにより私たちは執着心から解放されて、元の姿に戻ることができるわけです。
確かに頑固で一途な職人ほど、その顔は神様のように見えるものです。
これは職人でなくとも、普通の会社員でも普通の主婦でも同じことが言えるのではないでしょうか。
理由や理屈など抜きにして、ひたすら何かに心を向け続ける。
その結果として心が晴れて神性が発露していくということです。
元特攻隊の方のその笑顔を見たとき、画面に向かって本当に手を合わせたくなりました。
もちろん、そこまで脇目もふれず一心不乱に何かに心を向け続けるのは、なかなかできないことです。
ただ、仕事でも家事でも、一つ一つの些細なことに100%心を向けることならば自分にもできそうです。
なんとなくボンヤリと考えごとをしながら、あるいは不安や不満を抱えながらルーチンにやってしまうのは、まさに我執の真っただ中です。
ガムシャラに必死にやるのが難しいなら、せめて瞬間だけでも目の前のことに100%心を向ける。
それもまた「一所懸命」と言えるのではないかと思います。