これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

いきてるだけでオールOK

2015-01-16 23:44:48 | 心をラクに
目の前に集中しているつもりでも、知らず知らずのうちに他のことが
気になっていたりするものです。
結果を出したいと強く思ったり、あるいは失敗しないかと心配したり、
そんなことが脳裏をよぎりながら、必死にトレーニングをしたことや
勉強や仕事をした経験が誰しもあるかと思います。

頭の片隅に何かほんの少しでも気にかかっていれば、その分だけ
目の前のことへの注意力が削がれてしまいます。
「成果」「結果」あるいは「期待」「不安」は、心が未来に向いている状態。
まさに心ここにあらずなのです。


といって、目的を持つなということではありません。
一度心に描いたら、あとは天へほうって、今は目の前のことだけに
心を向けるということです。

まずはゴールへとスッと心を通す。
歩き出したら、目の前のことだけに集中する。
今の一歩だけに心を向ける。
ナビに目的地を入力したらあとはお任せで、今の景色を楽しむと
いう感じです。

期待や不安は、「結果」を意識することで生じます。
求めていた結果と現実のギャップに応じて、喜びや失望が発生します。
その喜びや失望のことを考えてしまうから、期待や不安が生じます。

ですから、結果を求めなければいいわけです。
なったら、なったです。
どこに辿り着いてもオールOKの心があれば、今を楽しむことが
できます。

不安や期待が少しでもあると、心が今から離れます。
自分では気がつかないレベルのわずかな思いであったとしても、
やはり「今」から離れてしまうことには変わりありません。
たった1%の期待感であっても、その分だけ目の前のことが散漫に
なってしまいます。

そして、この1%の差が実は非常に大きいのです。
99%と100%の差は、1%にとどまりません。

心が目の前に100%向いている時は、我執が無い状態です。
天地と一体の状態ですから、無限であり無尽蔵な状態です。

内と外が無い状態。
それは神と一つになっているとも言えます。
神ながらの状態です。
神道では「中今」といって、今に生きることを大切にしています。
今に生きるとは、目の前のことに100%心を向けるということです。

よく『過程が大事で、結果はオマケ』と言いますが、それは決して
綺麗ごとや精神論などではなく、本当にその通りなのです。

「今」「今」「今」の積み重ねは、過程あるいは経過そのものです。

私たちは色々なことを経験するためにこの世に生まれてきています。
成功や失敗というのは、あとづけの判断・評価に過ぎません。
「結果」というのは本来、無色透明のニュートラルなものです。

なんだってエエじゃないかと達観すれば、不安や期待も無くなります。

目の前のことに100%心を向けることが神人合一の状態であるならば、
この世に生まれてきたのは、結果を残すためでなく、過程を刻むため
だと言えるのではないでしょうか。

そして、過程を刻むことが生きる目的ということは、目の前のことに
心を向けているだけでオールOKということになります。

生きているということそれ自体が、すでに自分の存在意義を満たして
いるわけです。存在目的を達しているわけです。


大層な足跡を残す必要もないですし、もの凄い修行をする必要もない。
高邁な思想や深い思考を悶々と重ねる必要もないのです。
そんなことに縛られているぐらいなら、とにかく動く。
どれほど正当なことであっても、心がザワついたり頭に血が上るよう
では何の意味もない。
何も考えずそのへんをブラブラ歩いている方が遥かにマシです。

ですから、不安に駆られて、青い鳥を探し回る必要はありません。
安心しきって、今だけに心を向けていいのです。


あれをやらなきゃコレもやらなきゃ、とアレコレ考えながら仕事や
家事をやっていると非常に疲れますよね。

そう、「アレはアレ、コレはコレ」です。
一つ一つやっていれば、必ず全て片付いていきます。
早く解放されたい、早く楽になりたいと、先の結果を求めすぎないのが
ラクになるコツです。

禅では、掃除や食事など一つ一つの行ないに心を向けることを修行と
しています。
あちこちへ移り気な心の癖を正して、「今」に全てを向ける訓練です。
掃除こそが一番大事だという教えは、なんとも真理をついてます。
理屈をこねる余地も与えない潔よさが小気味いいです。

でも、作務のようなストイックな作業を行なわなくとも、私たちは
しばしば自然にそういう状態になっています。
例えば、楽しい時や幸せな時には、心に雑念が湧きません。
ただ、目の前の今があるだけです。

だから、自分がワクワクすることをやればいいんだ、という話になって
くるわけです。

楽しいことに没頭している時は、神ながらの状態にあると言えます。
あるいは、集中しきっている時も、そうです。
他のことへと心が動き回らない状態にあります。

そうなると、長湯に浸かっている時なんかも同じことが言えるかもしれ
ません。
色々な雑念が、浮かんでは消え浮かんでは消え、そのうち何も無い状態に
なっていきます。
その場に溶け込んでいくようなボーッとした状態になります。
まさに神ながらの状態ではないでしょうか。

神社に行った時や、大自然の中に行った時もそんな感じになりますね。
神ながらの状態はそこかしこにあるわけです。

温泉でボーッとしてれば神ながらの道だなんて、随分と都合のいい話で
ありますが、まぁそういうことです(笑)

自分なりの神ながらを探してみると、もっともっと人生がラクになっていく
かもしれませんね。