料理人こうやの記録

和食の料理人。プチ野菜ソムリエ。
料理、生産者の現場、スーパーカブ、その他日常の記録。

ルーツ

2015年04月19日 17時45分38秒 | 今日このごろ

今まで、たくさんのお店を見て学んできました。

 

はじめてのお仕事は、中学卒業と同時にアルバイトで入った中華料理屋。

超がつくほどど田舎の、山と田んぼしかないような町に出来た

家族経営の中華料理屋のオープニングスタッフでした。

 

きっとその時から、ぼくが料理の道を進むことが決まっていたんでしょうね。

 

まあ今でも変わりませんが、そのころから手に負えない子でした。

 

でも、仕事に関しては信用されていたような。

 

そこでもいろんなことを経験しました。

接客、ドリンク作ったり洗い物から、ちょっとした調理補助まで。

 

そこのオーナーの親が営むお店も手伝って、

なんとなく、料理屋の経営の大変さも見ていました。

 

専門学校(音楽)の時には、居酒屋のモーニングのホール長をしたり、

バーのチラシ配りをしていました。

その時もまだ、料理の仕事で食べていく決意はしていませんでした。

 

ただ、なんとなく、お客さんを喜ばせることが向いているような気はしていました。

 

専門学校を卒業して、ちょっとホームレスも経験しましたが、

とんかつ屋でアルバイトをして、その後、

中華料理屋で初めて社員として、しかも料理人として入りました。

 

接客だけできても、自分でお店出来ないだろうと思ったからです。

厨房は怖いものと思っていたので、すごく恐る恐るの入社でした。

 

そこで、とてもよくしていただいて、2年目には大半の仕事をまかせてもらっていました。

ただ、そのお店は潰れることになり、和食の出汁を知りたくて

和食の道に入り、そこから、ずっと和食一筋で来ました。

 

潰れていく時の、オーナーの弱っていく感じが、今でも忘れられません。

 

いい形で地域に根差し、人気店となっているお店、

潰れていったお店、危機的な状況でもがいているお店、

3代目の老舗、と色々なお店で修業しました。

 

繁盛しているお店に共通するところも分かり、

ぼくに足りないことも明確になりました。

 

もう、修業修行ってやっていくのは、いいかなー、って思いは始めたこの頃です。

少し気楽に愉しんで、次のステップに踏み出そうと思っています。

 

人生を充実させる年頃ですかね。

色々と削ってきた部分を修復して、ちょっと満たされて太ってみようかな。

 

ぼくがいずれ複数店舗経営したいというのもあって、

多店舗見る経験、オープンさせる経験もしてみようかな。

 

のほほんのほほん、そんな風に生きていきたいものです。