先日の調査で、写真のような切符を見つけました。
コピーさせていただきました。写真はそのコピーです。裏面にも注意書きや英文が載っているのですが、表だけ掲載します。
テンプレートの関係で、本文を読んでいただくと写真が切れます。
トップページに戻っていただいて、縮小表示されている写真をクリックしていただくと、写真だけ拡大して見られます。
日鮮満周遊券
という言葉が目を引きます。附属の割引証も付いていますね。
使われた方のお名前は消しました。
下関から釜山、安東、大連を経て、門司から下関に至るチケットです。
入鋏してあるのは、「下関→釜山」だけですが、お帰りにはならなかったのでしょうか。いや、それにしては高い買い物だったように思いますから、やはり周遊なさったと考えた方がいいのかも。
この当時、多分昭和15年ですねえ、鉄道で朝鮮半島を縦断して、中国東北部まで行けたわけです。
今よりもアジアは日本人にとって身近だったんでしょう。70年も前よりも、日本人は行動力がないような気もします。ま、人それぞれかもしれませんが。
この切符一枚で、当時のことをいろいろと考えさせられます。
移住をテーマにした科研の研究分担者になっていますが、こういう旅行のことも視野に入れると楽しいでしょうね。
日本語教育とは、なかなか関係してこないでしょうが。
コピーさせていただきました。写真はそのコピーです。裏面にも注意書きや英文が載っているのですが、表だけ掲載します。
テンプレートの関係で、本文を読んでいただくと写真が切れます。
トップページに戻っていただいて、縮小表示されている写真をクリックしていただくと、写真だけ拡大して見られます。
日鮮満周遊券
という言葉が目を引きます。附属の割引証も付いていますね。
使われた方のお名前は消しました。
下関から釜山、安東、大連を経て、門司から下関に至るチケットです。
入鋏してあるのは、「下関→釜山」だけですが、お帰りにはならなかったのでしょうか。いや、それにしては高い買い物だったように思いますから、やはり周遊なさったと考えた方がいいのかも。
この当時、多分昭和15年ですねえ、鉄道で朝鮮半島を縦断して、中国東北部まで行けたわけです。
今よりもアジアは日本人にとって身近だったんでしょう。70年も前よりも、日本人は行動力がないような気もします。ま、人それぞれかもしれませんが。
この切符一枚で、当時のことをいろいろと考えさせられます。
移住をテーマにした科研の研究分担者になっていますが、こういう旅行のことも視野に入れると楽しいでしょうね。
日本語教育とは、なかなか関係してこないでしょうが。
歴史を感じます。
アジア周遊したいです~