AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

大学院の授業「日本語教育特論」

2018年11月09日 | 日本語教育
日本語教育に関連する数値について扱った第一回目、

技能実習生に関する動画を見た第二回目、

今日は三回目。予定では、「やさしい日本語」。前回の残りのEPAの話をしていきます。


院生さんに伝わっているかどうかは別として、私が日本語教育についてみているのは、誤解を恐れずに言うと、「国力の伸長がもろに影響する、政治的なもの」。


昨今の動きも、国力の伸長はともかく、政治的な判断で日本語教育は大きくクローズアップされています。

ただ、戦前の動きから俯瞰すると、政治とかかわりが深まれば深まるほど、日本語教育はしりぬぐいをさせられているような気がしてなりません。

しりぬぐいというか、責任を取らされるというか、ね。

戦前、植民地では、実業教育も、普通教育も、特殊教育も、社会教育も行われていたにもかかわらず、批判の的は「日本語教育」。

日本語教師だけが、子どもたちの言葉を強制的に奪った、と批判されているような印象があり、個々人の日本語教師の意思とは違うところですべてが決まっていたにもかかわらず、という思いが捨てきれません。

なので、日本語教育が、社会的に求められているといっても、そこにあるのは、人手不足で困っている日本社会を支える人材、という視点だけで、日本語を学ぶことで自分の生活の質を上げていく外国人、という視点はどうしても見られないのですよ。

それだけに、私個人は、個人のレベルでしかありませんが、愛教大の補講の方針としてもですが、「学習者の生活の質を上げる」を掲げています。


直接言葉にすることもありますが、授業や日々の雑談を通じて、日本語教育は後世から名指しで批判される可能性がある分野であることを、心の底においてくれたらと思うのです。






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