AWA@TELL まいにち

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日本語教員と歴史意識

2016年07月01日 | 日本語教育
学部生時代に、当時愛教大で教鞭をとっておられた関正昭先生から「日本語教育史」の授業を聞かせていただき、

もともと、歴史好きだったこともあって、

日本と近隣の国々との関係を考える機会になりましたが、

実際に、韓国で教えた時、

日本の植民地時代を生きてきた方とお話しする機会もそれなりにあり、

博士論文で日本語教育史に関することを扱ったので、余計に意識するようになりました。


韓国で日本語を教えている方々の中で、どのくらいの方が、日本語がその地で「国語」として教育されていたことを認識されているのか、正直なところ、よくわかりません。

私が韓国で暮らしていた時、お話しした何人かの若い日本人の方は、歴史の時間に聞いたような…という程度で、現実と本の中の記述とがリンクしていないような印象でした。


今年度から、EPA介護士候補者の方への日本語教育にかかわることになって、フィリピンやインドネシアの方とおしゃべりする時間が格段に増えました。


私の父方の祖父は、海軍でしたが、フィリピン沖で亡くなっています。

船からボートを下ろして釣りをしていた時に機雷に触れたか、魚雷が命中したかで、亡くなったと聞いています。


今の学生さんにとっては、祖父母の世代よりもさらに上の世代の話かもしれませんが、自分が当時の日本人とつながっているということを

意識してほしいなあと思っています。


戦争は遠い記憶になったという方も多いのでしょうが、私は日本語教育を通じて知り合った留学生から、自分たちの祖父母の世代が日本軍と戦ったという話を聞くことが何度かありました。


国際交流というと、華々しいイメージが先行しがちですが、

日本がこれまでよいことも、悪いことも含め、世界とどうかかわってきたかを知らなければ、これからのことは語っても重みがないと思います。


先の戦争、植民地支配のすべてを私は「悪かった」と総括するほどの知識はありませんし、「よかった」と総括するほどの知識もありません。

そういう善悪の判断を下すことは、正直なところ、私自身は放棄しています。


ただ単に、自分が調べて知ったことを学生さんに伝え、論文にまとめ、少しでもほかの方の研究とリンクさせて、当時の全体像を示していきたいと考えています。


ということで、担当している「日本語教育学入門」では、今週からビデオ視聴です。


先週までは、日本語表現のこと、教え方のこと、授業を組み立てていくときのこと、などを話してきましたが、

今週からは、「日本語教育が残してきたもの」というテーマで、話をしていきます。


今日は、博士課程時の指導教官であった崔吉城先生のかかわってこられた韓国巨文島を扱ったドキュメンタリーを取り上げました。


視聴後、「批判的に見る」ということで、本にしても、こういった番組にしても、自分の目に触れるまでにどれだけの人の選択がなされてきた結果なのか、ということを考えるように話しました。また、語られていることを鵜呑みにせず、必ず裏を取るように、という話もしました。


来週は、たぶん、先日大学院生さんと一緒に見た1940年の映画「授業料」、再来週は「アジア留学生の見た明治日本」という番組を見ることになると思います。


オーラルヒストリー研究からは、少し距離を置いているつもりの私ではありますが、それでも、100人の人がいれば100人の感じ方があって、一括してよかった、悪かったとは言えないと思うのです。


今月7日は、日本では七夕です。

盧溝橋事件の日だとして認識している日本人はきっと少数でしょう。

でも、日本語教員には、意識していてほしいことです。いや、だから、この件について謝罪をしなければいけない、ということではなくて、

日本がほかの国々とどうかかわってきたかの結果として、目の前にいる人が日本語を学ぶということになったということは、知っていてもいいんじゃないかなあ。



とりとめのない話になりましたが、


日本語の先生を目指しているうちの学生さんには、少なくとも、そういうアンテナの貼り方ができる人になってほしいと思っています。
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