小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「少女像」は何処から来たのか

2017年01月14日 | エッセイ・コラム

 

前回のブログ「年頭の話題から」の最後で、韓国の釜山の「少女像」についてふれた。

その後、改めて「少女像」について調べてみた。というのは、韓国の国内にいま、50体ほどの「少女像」が設置されていることを知ったからだ。韓国の日本大使館、領事館前どころの話ではなくなった。

また、アメリカにおいては、日本大使館前にとどまらずカリフォルニアのグレンデール、デトロイトなどにも設置。オーストラリアのシドニーにも「少女像」が設置されていることを、恥ずかしながら初めて知ったのだ。(反対に設置を拒否されたケースが、外国では何例もあるのだが・・)

韓国のそれは、特に2013年以降年々増え、50以上もの数になったらしい。これは異常な数だと私は思う。すなわち朴槿恵(パク・クネ)政権以降になって、集中的に設置されたことは確かだ。民間団体(北朝鮮シンパ派?)の主導で設置されたらしいのだが、主として文化会館や公園などの公共施設が選ばれている。このことは、政府のお墨付きをもらっていることに他ならない。

日本への抗議という意味合いが本来の目的であろうが、その数その場所を鑑みると、反日感情を梃子とした、国民意識の統率、歴史認識の徹底共有、さらには子どもたちへの反日教育の補完を狙ったものと思われる。ここまで来ると、私の以前の認識は多少、修正を加えねばならない。

 

話の視点を少し変える。

イザベル・バードという英国の女性旅行家が明治初期の日本の各地を旅した。その成果が「日本奥地紀行」として著わされている。日本人として誇りに思えることが結構書かれている。同時に、恥ずかしいことや承服しかねることなども記録されている。ともかく、彼女の日本への憧憬、人種の差がない率直なまなざしに感銘をうける。旧き良き日本の、素晴らしき時代、美しき自然を旅し、外国人の視点からよくぞ見、書いてくれたと思う。

彼女はその後、朝鮮にも足をのばした。李氏朝鮮の終末期(1894~1897)にかけて、都合4回も朝鮮を旅行した。そのとき、日本と同様に「朝鮮紀行」を著わし、それは講談社学術文庫などで読める。(バードが訪朝したとき、日清戦争が勃発。李朝王宮の統一国家とはいえ、両班(ヤンバン)という支配階級が腐敗し、国は混沌とした状態であった。ソウルを訪れた彼女は、街の不衛生、悪臭に辟易し、かつ庶民の後進性に驚く。犬を食す習慣はそれ以前からか。とはいえ、4度も訪れた彼女は、朝鮮に魅了されたのである)

彼女の人間観察力は精確であり、客観性を重んじた文章であることは読んだ方ならご存じであろう。日本が韓国を併合するまでの史実、背景を冷静に書いているので、現代の我々にとって大いに参考になる書物。したがって、日韓、北朝鮮の三者ともに都合の悪いこと、虚偽をあばく真相になることも書かれている。(「朝鮮紀行」から引用した文章、とくに彼女の朝鮮人観を要約したものは、割愛したことを記しておく)

 ▲イザベラ・バードが朝鮮を初めて旅した1894年。ソウルの近郊、漢江鎮(ハンガンジン)にて。朝鮮語の通訳・中国人を伴い、全荷物を載せ、住居にもなるこの船で旅立つ。乗組員は船主のキムと貴族的風貌の老人。1か月30ドルで契約したとある。

さて、現代はどう変わったのか。

北朝鮮はいうまでもなく、韓国内におけるの国民感情、市民として意見など、私たちは相当に意識しないと知ることがない。ネットで調べても、何処までが真実で、虚偽なのか錯綜としている。イザベラ・バードが訪朝した時代の、国民特性、エートス、価値観、意識などはどう変わったのか。日本への「恨」の感情はどう深まったのか、それはコントロールされるものなのか。慰安婦問題から生まれた「少女像」は、すべての韓国人が求めて創られたものなのか。

さらにこんな問いを立ててみた。

反日感情の淵源、像の設置を推進する人々の感情や、ネットワークなどの背景がどんなものなのか。
私は韓国語がまったく理解不能なので、在日の方々(帰化した人も含めて)の意見、情報をネットで調べてみた。大いに参考にさせていただいた。
設置した民間団体は、通称「北属」のグループとされている。それを知っている、普通の市民はどんな見方、考え方を「少女像」に抱いているのだろうか。
 
そして、在日の方が日本に帰化された方々のブログを拝読するなど、自分なりに調べてみた結果、私の大筋の見立てが以下のようになる。
●韓国では、いまだに両班なる支配層の残像が幅をきかしている。朝鮮戦争後、にわか両班が出現し、人間関係はさらに錯綜・曖昧に。北朝鮮からの移民もそれに拍車をかけた。
●縁故、ネットワークの人間関係をより強固にするため、内なる「反日感情」を呼び覚ますことで、南北を超えた民族連帯の意識を昂揚させてきた。
●韓国でも、北朝鮮の隠れ従属派、シンパが多数いて、「少女像」設置の推進を担う。「少女像」の作者も北鮮シンパの夫婦だという。こうした動きに、苦々しく思う韓国人たちもいる。
●朴槿恵大統領は、反日、反北朝鮮を標榜し、「少女像」の設置によって国内の統治をコントロールしてきたのではないか。いま、政府のガバナンスはほとんど失われているが・・。


従軍慰安婦問題の歴史認識、その日韓の差異と特長。事実関係の真偽などを調べてきた。これまでにも自分なりに読んできて、小熊英二の「{日本人}の境界」、東郷和彦の著作における「恨」の分析などは大いに参考になった。他は残念ながら日韓どちらもバイアスがかかっていて読むに堪えないものが多い。評価が高い「縮み志向の日本人」を読んだときも、論理的かつ理性的な筆致ではあるが、その日本人観を「恨」が知にはたらいてたものとみた。

従軍慰安婦の問題は、それが問題として生まれた時から、何回も捻転して変異してきた。事実のねつ造、歪曲、証言の不正、もはやその事実認定さえ第三者の冷静な分析でも難しくなってきている。だからといって放って置いたままで良いのか。前回にも書いたが、日本が立場を譲るくらいの大きな構えが必要だし、儒教思想の「礼を尽くす」行為も求められると思う。(※)


補記:今回の記事ついて、日韓における従軍慰安婦問題という極めて微妙な判断が求められるので、その歴史について殆ど関心のなかった家人に読んでもらった。どことなくヘイトスピーチのニュアンスを感じるというのである(イザベラ・バードの部分)。そうならないよう、あくまで客観性、中立性を重んじて書いたのであるが、自分としては筆力の不足であると認めるしかない。たぶん、イザベル・バードを援用して彼女の朝鮮人観を紹介したが、そこに差別や軽蔑のニュアンスを感じたのかもしれない。(本文にあるように、誤解を生まないよう、すべて割愛した)
はっきりと自分自身で事実をしらべたことを把握し、揺るぎない客観性に基づく見解を書いているつもりだ。その自信がないなら書くべきではないとも思う。私はコメントを拒絶しているわけでも、恐れてもいない。間違いや、見解の相違があるなら、忌憚のない意見をいただきたい。
 
韓国の人々はわが街にも観光に来ていて、日本人に対して敵対感情をもっている風にはみえない。在日の方々が暮らしているエリアが幼少の頃からあり、日本人との間で大きな摩擦を生んだという話は聞いたこともない。
ネトウヨと呼ばれるような人々がヘイトスピーチを何故するのか。なぜ、差別感情を露わにするのか、それは畏れているからだ。それは日本人だけでなく、北朝鮮・韓国の人々にもある。彼らは秀吉の時代から、日本人を畏れてきた。差別という生易しいものではなく、「反日」という強い感情だ。私はただ、そういう負の感情、歴史的負債を、なんとしてでも払拭したいと願っているだけだ。
 
 
(※)前回のブログに「少女像」に献花するべきだと書いた。1月13日の東京新聞の読者の「声」欄に、師岡カリーマという方の意見で「大使館員が少女像に献花し手を合せるべきだ」とあり、そのコラムを称讃していた。去年12月31日のコラムで、私はそれを読んでいて頭の片隅にあったのか。献花することをいかにも自分の意見として書いていたと家人から批判されてしまった。そうだとすれば赤面するしかない。ただ、その時政府発表で、直ちに大使、領事を引き上げるという大人げない方針に呆れた。献花するぐらいの磊落さはあっていい、と自分でも思ったのだ。ただし、師岡カリーマ女史には頭を上げられないことは確か。


 


 





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