貨幣はかつて、富を表象するものであり、人間の体内に流れる血液のメタファーだった
すなわち、貨幣はいかように使われようとも、人間の共同体を循環し、成長をうながした
貨幣は人を選ばず、万民に愛されて世界を循環し、そして交換も可能になった
この世界に存在する稀少な金属が、やがて貨幣を保障し、交換をも裏づけた
貨幣と金属との、その親和性を無視し、成長と富の増大を願った人が忽然とあらわれた
貨幣と金属の交換だけでなく、貨幣と貨幣の交換も可能にし、その際の無交換の保障を担保する「利子」もうまれた
時間差と地域差による、「利子の利子」が増殖する「金融」もうまれた
いまそれは高度に発展し、ごく限られた一握りの人間によって
動きのない、無用な、いわば沈黙したままの資産として退蔵されている
いつ、誰が、どこに、どんなふうに、どれくらい、
少なくとも30億人分ぐらいの絶望の貧困を無にするぐらいの資産、それらすべての所在が分かっている
分かっている、すべてが分かっている
分かられているのに、なぜ止めないのだろう
止めないで続けることが肝心だと、まさか
その確認のために、スイスでダボダ会議がひらかれる
富は欲望の表象である
欲望は本能である
欲望を制御するか
欲望を断つか
欲望の分配か
欲望の代替があるのか
富は自立できるのか
富は欲望の表象である