小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

富は欲望の表象 試詩7

2017年01月18日 | 

 

貨幣はかつて、富を表象するものであり、人間の体内に流れる血液のメタファーだった

すなわち、貨幣はいかように使われようとも、人間の共同体を循環し、成長をうながした

貨幣は人を選ばず、万民に愛されて世界を循環し、そして交換も可能になった

この世界に存在する稀少な金属が、やがて貨幣を保障し、交換をも裏づけた

貨幣と金属との、その親和性を無視し、成長と富の増大を願った人が忽然とあらわれた

貨幣と金属の交換だけでなく、貨幣と貨幣の交換も可能にし、その際の無交換の保障を担保する「利子」もうまれた

時間差と地域差による、「利子の利子」が増殖する「金融」もうまれた

いまそれは高度に発展し、ごく限られた一握りの人間によって

動きのない、無用な、いわば沈黙したままの資産として退蔵されている

いつ、誰が、どこに、どんなふうに、どれくらい、

少なくとも30億人分ぐらいの絶望の貧困を無にするぐらいの資産、それらすべての所在が分かっている

分かっている、すべてが分かっている

分かられているのに、なぜ止めないのだろう

止めないで続けることが肝心だと、まさか

その確認のために、スイスでダボダ会議がひらかれる

 

富は欲望の表象である

欲望は本能である

欲望を制御するか

欲望を断つか

欲望の分配か

欲望の代替があるのか

富は自立できるのか

富は欲望の表象である


 

 

 

 



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