小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

年頭の話題から

2017年01月06日 | うんちく・小ネタ

 

シンギュラリティ(Singularity)

「特異点」という英語で、物理学で使用されている専門用語だったらしいが、あらゆる分野でシンギュラリティが注目されている。

生命、宇宙、物理などの先端科学が結合する。さらに、人工知能の進化が相まって一気に進化して「特異点」を迎えるという。それが「2045年問題」というシンギュラリティ。人類はいかに対処し、それを乗り越えてゆくか。経済学でも、この問題を視野におさめていないと評価は落ちる。

東大の研究グループが「量子テレポーテーション」を成功させた、というニュースが最近あった。これにより量子コンピュータの実現は、確実視されたも同然だろう。

開発した教授の談話をテレビで見たが、「25年から30年で量子テレポーテーションの実用化ができるでしょう」と自信ありげだ。間違いなく量子コンピュータを使った人工知能を指し、「2045年問題」のシンギュラリティを想定した発言だ。伝達化学物質を飛ばして信号のやりとりをする神経細胞(ニューロン)のように、人間の脳と遜色のない情報交換・計算処理をする。人工知能を組み込んだ技術革新、そして人間は何もしない世界。否定論も各分野で喧しいがどうなることか。2045年、私はたぶんいない。

ジョニー・デップ主演の「トランセンデンス(超越)」はシンギュラリティがテーマらしいが公開したのだろうか。

●記憶チップにプログラミングを埋める、現在のノイマン型コンピュータの概念が変わる。スパコン「京」がチップになる感じだろうか。


沈黙 

映画の話題。遠藤周作の小説「沈黙」が、マーチン・スコセッシ監督によって映画化された。以前に篠田正浩によって映画化されたが、原作を読んだ側からして感動は薄かった。確か浪人時代に読み、遠藤周作が単なる流行作家ではなく、仏文学を修得した正統なキリスト教・文学者であることを認識。「海と毒薬」「イエスの生涯」も名作だった。映画「私が棄てた女」も印象深く忘れがたい。

今回のスコセッシ監督の映画化は長年の構想のもと、学究的な時代考証を重ね、最高のスタッフが結集して完成させたらしい。BSで映画のメイキングのドキュメントを2時間にわたって放送。好きな俳優リーアム・ニースンが棄教した神父役で出演。キチジロー役が窪塚洋介、尾形イッセイらも出るらしく楽しみ。

だが、海外で受けるかどうかだ。何しろ、イエズス会が歴史上から抹殺した出来事を扱っているので、世界のキリスト教信者の琴線にふれるかどうか・・。「タクシードライバー」いや「ミーンストリート」から私が傾倒する映画監督だ。最近、ヒット作に恵まれていなかったが、この「沈黙」で復活してほしい。

ドキュメント内の監督インタビューでは、「社会の分断化、貧困化が進むなか、信仰することの大切さ、宗教の根本的な見直しが迫られています。トランプが大統領に選ばれる、混迷する時代だといえます。この映画はその状況を解決する一筋の光、道筋をつけるのではないかと願っています」とスコセッシは語っていた。トレイラーを見るかぎり力作であることは確かだ。

http://chinmoku.jp/  (映画:「沈黙」 公式サイト)


草間彌生

年末に久しぶりに松岡正剛の「千夜千冊」を訪れたら、デボラ・ソロモン著「ジョゼフ・コーネル」を紹介していた。ジョゼフ・コーネル(1903~1972)は、ポップ・アートの先駆者みたいな人だ。彼の「コーネルの箱」は有名で、一時期前衛美術として脚光を浴びた。

ちょっと特異な性向があり、絵を描けないし彫刻もできないのだが、アートをこよなく愛したひとである。箱に対してフェティッシュな愛着をもち、そこに奇想天外なもの、アート、キッチュ、或いはニュースをコラージュした。美のアッセンブラージュか。松岡は、「箱」というより四角い物で囲んだものとして、バシュラールの哲学を敷衍させて書いていたがどうか。

▲コーネルの箱

その老成したジョゼフ・コーネルと、若いときの草間彌生の仲睦まじい写真が掲載されていた。松岡は、60を越えたコーネルが初めて女性と交じり合った相手が草間彌生という説を紹介していたが、二人の特異性はおもしろいマリアージュであったろう。今でいえば発達障害、自閉症スペクトラムなどの名称で呼ばれる様な二人だが、そんな言葉で簡単にくくって個人を規定し、社会認知する現代のありようを考えてしまう。

▲コーネルと彌生。松岡正剛「千夜千冊」より転載。ここには夥しいコーネルの写真・作品が紹介されている。但し、クレジットが銘記されていないがOK? ということで・・。


その草間彌生、近年の注目度は世界的にヒートアップしている。2月22日から国立新美術館で「草間彌生展・わが永遠の魂」が三か月間開催されるとのこと。

http://kusama2017.jp/  (草間彌生展:公式リンク)

「芸術」と認められるには、多くの賞賛を集めると同様に、多くの批評・批判にも耐える必要がある。耐えられるだけの特性なり理論・説得力が求められる。そして、認められるまで耐え、持続する創作の永年にわたる蓄積にも高い評価は与えられる。草間彌生はまさしく「わが永遠の魂」を開花させたのではないだろうか。


釜山少女像

釜山の日本総領事館前に旧日本軍の慰安婦を象徴する少女像が設置された。政府はこれに対抗して抗議、撤去の要請、さらに駐韓の大使、領事を一時帰国させる、と今日6日に菅官房長官は発表した。いつまで同じようなことが続くのか。韓国政府が色々な思惑から政治的カードとして使っていることは承知。日本側も金で解決を図ろうと見え透いたことをし、それが駄目なら対抗策しか思い浮かばない。
韓国と同じ土俵にのって張り合うことしか能がない。負けじと対抗措置をとるのは、成熟した大人の見識がないからだ。外交は勝ち負けの子供の喧嘩ではない。

発想を転換して、自分の懐に誘いこむような、大きな構えが何故できない。
ちょっと見方を変えて、愛らしい少女像だと思ってみよう。で、大使館、領事館の職員が毎日、花を一本でもいいから捧げられないか。形式的な儀礼でもよいではないか。
日本人が黙ってお辞儀し献花すれば、韓国人だっていつか感じるだろう。人間としてあたりまえの行動をとらないから、話がこじれ進まないのだと考えますが、どうか。

(注)慰安婦像は新聞社のニュース画像しかない。これらには版権があり、使用するには手続きと料金が発生する。しかし、どうして一般人が使用できる画像がないのだろうか。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。