特定秘密保護法が施行された。表現すること、知ることの自由と権利。これだけのことを制限・圧縮されるだけでも、私たちはプレッシャーを感じないわけにはいかない。
たとえ私たちの生活の根幹を支え、保障してくれる組織でも、或いは気心の知れた人達でも、もしそうした個人的なことがらに干渉してきたら、ぜったいに「NO」と言うべきだ。場合によっては身体を張ってでも闘う。
特定秘密保護法が何故生まれたのか、いまさら問うてみてもしょうがない。
メディア関係者、当事者である公務員の方々にとっては、今後、想像を超えた制約や管理、注意・勧告があたえられるだろう。
私たちにしても、人間関係においてかなりの配慮と自己規制的な神経をつかうのではないか・・。
国家機密を保全するということの価値をだれがどのように議論し評価してきたかは知らない。
ただ、このブログに書いたようにこの法案がいかようにも運用されるように制度設計されている。
J.オーウェルやカフカらが小説に書き残したように、私たちのごく普通の表現行為さえ理不尽な統制をうけ、ときには法的な罰則・拘束をうけることは間違いない。
わたしはなにも将来への不安をいたずらに書いているのではない。法案のロジックをふつうの市民として読み解いた結果を書いているに過ぎない。
今日、アメリカでは米上院情報特別委員会がブッシュ政権下で中央情報局(CIA)が、国外の秘密収容所で「テロ容疑者」に行った拷問の実態を調べた報告書を公表した。
全文は六千七百ページに及び、要約版の約五百三十ページが公開された。
安全上の理由で一部の人名や国名が黒く塗りつぶされているとのことだが、いわば国家の最高機密に関する情報を公開したわけだ。
この事実を日本政府はどう受け止め、どう評価するかは一切触れないだろう。
嫌なことは、はやく忘れたい?
忘れることは解決なんかじゃない
振り返るとおもいだす
忘れたこともおもいだす
おかしいな おかしいな
むかしむかし むずかしむずかし
たいせつなこと きにしていたこと
めんどくさいこと かんがえること
振り返るとおもいだす
忘れたこともおもいだす
ふわふわ布団のなかで 眠たいから
木漏れ日のもとで うとうとしたいから
振り返ると あのときのこと
忘れたこともおもいだす
あれから、ぼくたちは
なにをしてきたのだろう
想いだしてもどうでもいいのは、朽ちていくものや何ともない風景だったりします。
思い入れのない、主張のない、そんなに綺麗でない、ふつうのもの。
そういうものに囲まれているのが、ほんとうの平和だとおもうのですが・・。
最近、九州に旅行に行きました。あらゆるファクターを検討した結果、家内が選択したパックツアーで、たくさんの貴重な一期一会がありそれなりに楽しみました。
私の関心はやはり気がつけば、朽ちていくような渋いものなんですね。終末がちかいかもしれませんね。



