嗚呼、橋本治さんが斃れてしまった。
先日『歌舞伎画文集』をもとめたのは何かの知らせだったのか。
既に2,3年ほど前から歩くのもままならない、と嘆いていたから相当に悪いんだと思っていた。でも、70歳とはまだ若い。無念としか言いようがない。バブル期にマンション買って莫大な借金を負い、それだから書き続けるしかない、と。ローンを払い終えたところで・・律儀というか凄いです。
初めて治さんを見たのは、ニュースか報道番組だったか、常にニコニコ笑っていて凄く愛想のいい背の高いお兄さんって感じだった。「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」のポスターを描いた異色の東大生で名を挙げたが、あまりにも笑顔が優しい雰囲気は、ポスターのイメージとはかけ離れていたが、不思議にも違和感なく突き抜けた人だな、と納得したことを思いだす。
▲義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界。背なでないてる唐獅子牡丹
それからずいぶん経って、『桃尻娘』を読んで驚き、またしばらくして糸井重里の対談集『悔い改めて』や『蓮と刀』を読んで一気に「治ちゃん」のファンになった。
『花咲く乙女のきんぴらごぼう』は、小生に「少女漫画」のディープでえぐい魅力的な世界を切り開いてくれた。萩尾望都、大矢ちき、山岸涼子、大島弓子、素晴らしき漫画家に出会えました。あっ、吾妻ひでお氏には4,5年前でしたか、依存症と闘う告白漫画を読みちょっと震えました。なんか本の紹介になってきそうでこの辺にしておきます。
治兄さんには、「平明な言葉で語るように書くこと」をならいました。でも、その書くべき内容は徹底的に吟味され、思想的に深めて掘り下げること。もちろん、過去・未来の時間軸を設定して語るべきことと対比したり、置換したりして、パッションを込めて書くこと。そんな風に覚えました。簡明な語り言葉で、まどろっこしいレトリックなんか使わないで、ストレートに書くこと。論理と感情がワンセットになっているように・・。
嗚呼、もう治さんのモノが読めないのか。悔しいです。
ご冥福を祈ります。ありがとう
このブログをお読みの読者様にむけて、三十後半のときの治さんの詩のせます。
『大戦序曲』のなかの一篇ですが、長いので中間を省略します。
老人の髭を誰が剃るのだろう
寝たきりになってしまった
薬漬けの大地のような
老人の肌からそれでもなお
生えて来る髭を
誰が剃るのだろう
髭は剃らなければならないのだろうか
(略)
あの鷲のような老人はもう
何も見てはいないのだろうか
白と黒と
胡麻塩斑らの無精髭が
老人の肌の下から生えて来る
汗ばんだ浴衣の下にある肌は
ただ張りを失った
死んだ男の肌でしかないのに
誰が老人の髭を剃るのだろう
老人の肌に髭が生えて来るのは
それでもまだ
彼が生きている証拠じゃないか
僕はもうやめる
おとうさん
あなたは髭を・伸ばして下さい
▲御母堂が喪主とは・・。斉藤美奈子氏が追悼の話を寄せていた。