小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

亡き岡本文弥師匠の句集を読む

2019年05月21日 | エッセイ・コラム

昔、台東区の谷中には岡本文弥という新内の名人が暮らしていた。新内とは、浄瑠璃における三味線を弾きながら話しを「語る」、いわば弾き語りの芸そのものである。古くは琵琶法師が平家物語を語り伝えたように、独特の節回しでストーリーを語る伝統芸能といえよう。歌舞伎でいうところの「常磐津」とおなじだ。(※追記)

新内はつまり人形浄瑠璃の「新内節」を大元としているのだが、その舞台から離れて、講談や落語専門の小屋で、ときに料亭などのお座敷でも、三味線と音曲の節回しを独立させた新内を、通の旦那衆は楽しむようになった。

講談、浪曲は語りを中心としたが、新内、小唄、端唄、都々逸などはむしろ「節回し」とか「唄」を主とした音曲が愉しまれた。ざっくりと説明すれば、それらすべてを「邦楽」ということができる。

浪花節、民謡も邦楽の一種だが、その伝統・格式はゆるく、大衆により親しまれるものだった。

母方の祖母が民謡の師匠でもあったので、三味線や小太鼓の音が家のなかに響く暮らしを、小生は幼少のころに一時経験した。祖母の唄声だけでなく、2,3人のお弟子さんの声も混じって、子どもには居心地の悪い、なにか場違いな音の雰囲気を感じとった。で、餓鬼の小生はそれがたまらず、家を出て遊び相手を探しに行ったものだ。

とはいうものの後年、落語や歌舞伎の面白さがわかり、その延長で四十前後だったか、小唄や端唄のCDをやたら聴いた時期がある。新内や常磐津も同時期にきいたのだが、こっちは正統・格上というか敷居の高さを感じ、熱心に聴くには至らなかったのは無念だ。

そんななか、『谷根千』という地域雑誌をつくっていた森まゆみさんが、谷中にすんでいた新内の岡本文弥師匠をクローズアップ。御年百歳にもなろうという新内の名人の生き様にせまる評伝『長生きも芸のうち』を上梓された。作家森まゆみが円熟をむかえる前の労作であり、岡本文弥を世に知らしめた功績大の作品だ。(森林学の泰斗、四手井綱英にスポットをあてたのも彼女だった)

▲若い頃、女性の童話作家と同棲したり、出版社主川津タカと結婚。神田には永く住んだこともあり、出版事情にも明るかった? 文才のある岡本文弥が、自らの新作をふくめ『新内集を出版したのは、若干31歳のとき(昭和元年)。後年、句集だけなく随筆集なども何冊か上梓している。

 

さて、毎度のことながら、前置きが口説くなってしまった。岡本文弥の句集『汗駄句々々』(汗だくだく)を、神保町で偶然見つけたのは去年のこと。買った書店も忘れ、その値段は千円もしなかったかと思う。「文弥」の名前が懐かしく、とっさに買い求めたのだが、やはり積んどくの本になってしまったのは、吾が不徳でしかない。

前回書いたように、断捨離はいまだ続行中で、積読であった『汗駄句々々』は、どうしたものか一時保留した。そして、何気なく読みはじめたはいいが、だんだんと時間を忘れるほどのめり込んだ。

プロの俳人ではないから、技巧に優れた高尚な句集とはいえない。なれど、肩ひじの張らない飾り気のない俳句が多く、なかには新内の名人らしい味わいのある句を散見。さらに、江戸趣味というか歴史を感じさせる言葉づかいが豊かで、俳句の持ち味も個性的だ。

つらつらと鑑賞していて、「お泊りの妓の朝帰りかきつばた」なんぞ、昔の花街でみかける風流な景色を詠んだ句で、さすが文弥師匠でしか作れない。

そして、ご母堂を詠んだこんな句に、詩情高い詠嘆が小生のこころに染入ってきた。

けさ咲いたあやめに病母すわらせる

しみじみした句なれど、美しい菖蒲の花と病んだ母を対比させるという構図は非凡。そこはかとなく、母親への深い愛情がつたわってくる。少なくとも師匠は俳句の神髄を知り、苦吟しながらも良い句を詠みたいという表現者の魂をもっていたのだ。

文弥師匠のご母堂は、85歳で亡くなったと年譜にあるが、その年は昭和25年、ちょうど谷中坂町(現在の一丁目)に師匠が移り住んだ頃だ。今の上野桜木のちかく、坂町の妙福寺のまん前に自宅を建てたらしい。最初は4畳半二部屋と台所の倹しい住まいだった。

偶然かもしれないが、師匠が尊敬する新内の名人、魯中、紫朝の二人の墓が谷中の寺にあり、そのことが誇らしく嬉しいと語っていたらしい。生前から妙福寺に埋葬されるよう頼んでいたそうで、岡本文弥の墓はいまも同寺にあるはずだ。いつか墓参してみたい。

その他『汗駄句々々』から、小生が秀逸と思う句を幾つか紹介する。

寺町や木枯らしやみしあとの月
さみしやな伊那の寝覚めの白木槿
萩の咲くみちをえらんで出稽古に
生き残るひとりに寒さひとしおに

「井筒万津江師匠へ」という前書きがある、こんな句もいい。

弾く構えあだかも菊のふぜいかな

また、小生はまったく知らない人だが、花園歌子の逝去を惜しむ句で、「新舞踊のさきがけ半裸の清姫など」の前書きのある

炎天下下半身の蛇体昇天す

この句には、詩魂というか、冴えと凄みを感じた。

新内の名人というより、戦前から昭和の終りまで芸人として生きた、師匠ならではの浴衣をモチーフにした句、日本の古きいい時代を彷彿とさせる。

浴衣着ていまだなまめくこと仕合せ
浴衣着てきちんと坐り耐えており

次の二句は、着眼、言葉づかいが新内の名人の句ならではのもの。 

煙突がみな煙り吐き雁渡る
ふし尻で息つぎ足しぬそぞろ寒


最後の一句、社会性のある批評眼をもった句作として、岡本文弥を評価できるのではないか。

秋風や核ということ聞くも厭

 

 ▲句集『汗駄句々々』は1989年平成元年、師匠94歳のときに上梓。1993年、「新内ぶし選集」CD6巻発売、同年森まゆみ著『長生きも芸のうち』出版。1996年(平成8年)心筋梗塞のため満101歳の生涯、その幕を閉じた。

 

 (※追記)和歌を声高らかに歌う「朗誦」する、そういう伝統文化も影響しているようにも思えます。専門家にきいてみたいところです。


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