病院を退院した翌々日だったか、千葉県市原の「湖畔美術館」に行った。➡『末盛千枝子と舟越家の人々』
その末盛千枝子さんが、先週月曜日・朝刊の半面記事「あの人に迫る」で近況が特集されていた。10年間続けた「3.11絵本プロジェクトいわて」はいちおう区切りをつけたものの、すべての人に絵本を読んで欲しいという思いは、いまだに尽きることのないご様子だった。
御年82歳ながらお元気そうでうらやましい。大震災の1年前に岩手八幡平市に引っ越してから、現地の人々との交流を深めている。そのなかのエピソードが印象に残ったので、覚書として記す。
陸前高田の友達の話が忘れられません。信号のある交差点を車で運転していたら、信号が青になったのに前の車が止まったまま動かない。後ろで待っている人たちが「もう青になっているよ」と言うと、前の車の人は「いくら青になったって人がたくさん渡っている、いけないだろう」って。もちろん誰もいないんだけど、そういう話がいっぱいあるのだと。なんだかとっても切なかったです。
もうひとつ。これは美術館でもとめた『出会いの痕跡』という著書のエピソードから。
あっ、その前に、「森は海の恋人」で有名な牡蠣の養殖業者で畠山重篤という方をご存じだろうか。NHKはじめドキュメンタリー番組などで、「海の栄養のほとんどは、陸にある森から来ている」をモットーに、植樹をはじめ森のメンテナンスを精力的に実践なさっている御仁である。
まず、大学の先生に、植物性のプランクトン、その他の有機物、山の保水力そのほかの科学的調査を自費で依頼した。また、地元の漁業で生計をたてる漁師の皆さんの協力を得るために、長年にわたり「森を育てる」活動に尽力した。3,11で漁船や養殖筏がほとんど流された後は、海はさておき、山を肥やそうと植林活動にとことん力を注ぐ。そんな畠山さんの寝食を忘れての行動は、やがて多くのメディアにも取りあげられ、人々の共感・支援を集めることになった。小生もその一人である。
▲哲学者のように淡々と「森と海」について語る、畠山重篤さん
『出会いの痕跡』に、こんなエピソードが書かれていた。牡蠣の養殖についての集まりで広島に行った畠山さん。なにを思ったのか長崎に行ってみたくなった。「なんだ広島から長崎は近いではないか」と思ったらしい、と末盛さんは書いていたが・・。
そこで26聖人記念館に行き、フランシスコ・ザビエルの像をみた。その像が、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼者のしるしである帆立貝を胸に下げていることに驚き、これは何だということになったというのです。畠山さんは、牡蠣だけではなく、帆立貝も育てておられるのです。なんと驚いたことに、畠山さんは気仙沼に帰るとすぐに、今度はサンチャゴ・デ・コンポステラに行かれたのです。そこで帆立貝が巡礼者たちのしるしであることを確かめ、納得されたようです。しかも、スペインのあのあたりは、三陸と同じように小さく入り組んだ地形でした。畠山さんは、もっと奥まで足を伸ばし、牡蠣や帆立貝を育てている人たちに会って話をするうちに、ご自分は「森は海の恋人」といって海の近くの森がどれほど大切かということを話したら、スペインでは「森は海のおっかさん」といって大切にしていると知ったそうです。(部分略)
その他にも、畠山さんと会ったときのエピソードが書かれている。淡々と語るその話しは、まるでギリシャの哲学者の話を聞いているかのごとく、深く重いものに感じるようだと書いていた。
畠山さんは宮城の気仙沼だが、先に紹介した陸前高田の人もふくめて、東北地方に住む人には、見えないものが見えるというか、何かを感じるというか、不思議な眼力、感性をもつ人が多いような気がする。そういえば、宮沢賢治は岩手であり、童話を一心不乱に書いていたとき、原稿用紙の向こうから次々と、小さな文字がやってきて、それをただ自分は書き写していただけだ、と賢治のなにかで読んだことがある。
最後に、畠山さんにあやかって「森のみどりは希望の色、生命のみなもと」と念じよう。
追記:今日、録りだめしていたNHKBS番組「コズミックフロント」を観ていたら、意外なものが最後に出てきた。近ごろ、自分で書いたものや何か行ったことを想起させるものが、偶然だが目にとまる。あまりにも符号が合うようで、ぞくっとする。次にアップする記事もそんな内容だ。
さて、その番組とは「祖先からの記号」というタイトルで、1万年から3万年前に人類が、洞窟内に残した絵や記号のようなものを解明する回であった。アルタミラをはじめ欧州の各地にある洞窟には、先史時代の人類がのこした絵画や記号らしきものが描かれている。そのスピンオフというか関連として、サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼の「帆立」が出てきた。よく考えてみたら「祖先からの記号」のくくりで、帆立はなんの関係もないが・・。観終わったらデータ削除してしまい、確認のしようがない。せっかち、粗忽を地で生きる愚生は、いつもヘマばかりしている。とりあえず、ちょっと夢中でTV画面を写メしていたので、ここに載せれば、なにか面目がたつかと思うのだが・・。(9/26記)
▲矢印のしたの太陽のきごうのようなものが帆立である。
▲巡礼者が首から下げていた帆立のネックレス。これを見て、巡礼者同士が親交をふかめ、情報を交換するのだという。
前田礼のあとがきで、末盛千枝子が絵本『からすたろう』やしまたろう作の日本での出版の道をつくった人だったと知り、本棚から『からすたろう』を引っ張り出ししみじみと再読。
そして息子である末盛武彦が亡くなったとき、悲しみのなかで「天に一人を増しぬ」という言葉。読後なによりも深く胸に残っています。
今日はいろいろ用事が重なってPCから離れ、コメントが来たことに気づきませんでした。
さて、『出会いの痕跡』を手に入れられたんですね。嬉しいです。タイトルにあるように、出会うことによって人々の心が響きあい、それが繋がっていく。人と人との関係だけでなく、モノ、景色、想い出・・、そうした出会いの痕跡が何かを生むんでしょうね。
ありがとう、またお願いします。
わたしも小寄道さまとの「出会いの痕跡」の触りに感謝です。笑。
兄さまは、少し照れます。WWW