スカイツリーが完成して2,3年か。
遮るものがなければこの塔はつねに現前し、その実在感にはもう抗えない。
木更津にいても、筑波山や神奈川県の大山からでも、好むと好まざるに関わらずスカイツリーは視界に入ってきた。
私のなかでは、ある種の馴染んだ風景となって溶け込んでしまったといえる。
自宅からは見えないが、最寄りの駅からよく見える。
白いパイプを組み上げた独特の塔のすがたは、自然の景観として定着し、もはや親しみを覚えるこの頃。
ある日、九段坂上からみたツリーが凄く近くに見え、その壮大さに驚いたことがある。都内ならば、スカイツリーを愛でるような見所や、絶好の撮影スポットがいろいろあるに違いない。
先日、浅草公会堂に行ったついでに、折角だからということで初めてスカイツリーへ足を伸ばした。
間近で見るとその高さにも驚くが、作り上げた技術力に感嘆する。
単なる電波の塔でも、観光の目玉でもない。文化人風にいえば、東京を代表する記号になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/27/c042ef6aae8fa79bf1ea940409d29ecf.jpg)
かつてロラン・バルトは、「エッフェル塔」を何らかの表徴あるいは隠喩として構造的に分析した。
鉄製の立体物は人々の意識を侵食するモンスターであり、ときには親しい友人のようにパリの美しさをパノラマ的に語る。
しかし、バルトの記述にそそがれる多くは、「塔」の意味を解体し、再構築する思想史である。
さながら「塔」をめぐる意味作用を自在に紡ぎ、語るのだが、思いもよらない解釈に誘う。
まさに鉄の塔が、哲学的なシンフォニーを奏でているようだ。
スカイツリーも、エッフェル塔のような意味作用を次世代にわたって及ぼすのだろうか。そうでなくてはならない、と私は思う。
モーパッサンがエッフェル塔を見たくないがために、塔の中のレストランに入り浸っていたという。
スカイツリーのない東京を見るためには、私たちは塔の内部に入り込まねばならぬ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/9c/c8cc08c8e61c257b5e6e343c411f68ce.jpg)
バルトはこんなことを書いている。
エッフェル塔に登った人は誰でも、眼下に広がる風景の変遷を思い浮かべる。
空間の亀裂を通して、彼は時間の神秘のなかにもぐりこみ、一種の自然発生的な記憶回復のとりこになる。
パノラマ的な風景とは、まさに時間の持続そのものである。
さて、私はスカイツリーをただ礼賛したいのではない。
もう一つの塔、東京タワーを対にして、二つの塔の存在を書きたいのである。
東京タワーは小学校3年生の時に完成し、映画「3丁目の夕日」ではないが、日本の高度成長のシンボルとなった。
新幹線が「スピード」の象徴であるなら、東京タワーは「高さ」のそれだ。それがセットとなってわが少年時代の誇らしむ両巨頭であった。
いまでも東京タワーは増上寺わきの芝公園に鎮座している。この塔にまつわるエピソードにはこと欠かない。
風水的には南からの「気」を遮るように、東京の中心である皇居の前に立ち塞がっている。
江戸を風水的に都市計画デザインした天海は、まさか333メートルの高い塔が建つとは予想できなかったに違いない。
それがどれほどのことか誰にも分からないし、どうでもいい問題でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/be/7c509c3a08db0eb46d35fc34787de041.jpg)
さて、スカイツリーは浅草の東側、押上の一角に建設された。
その位置は、芝公園から北東の方向、風水でいう丑寅の方向、鬼門である。
かつて江戸城を中心にして、丑寅の方向である本郷、根津、谷中という場は、寺と墓場だけの忌み場所であった。
その忌み避けるべき方角である北東を結ぶ「鬼門ライン」に、東京タワーと東京スカイツリーが繋がっている。
悪い気の流れが634メートルのスカイツリーに集められ、祓われてゆく。
東京タワーが今後どうなるのか知らない。どうか、無用になるからといって撤去しないでいただきたい。
東京の気の流れは、前門が東京タワー後門のスカイツリーが通気路となって、邪気・瘴気などを追い祓っている。
東京スカイツリーは、東京タワーの存在なくして語られない。
たとえそれが非科学的で根拠のない言説であっても、この二つの鉄の塔は自然の風景に溶け込みはじめたのではないか。
どうか戯言、たわごとにご容赦願いたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/1c/dbd68c9f7b68889fd5605b75b6b7a421.jpg)
↑は、450メートルの展望台からの、墨田・葛飾あたり。
追記
※東京タワーの蝋人形館は実に不思議なオタク空間である。プログレッシブロックのほんの一角の濃密な部分を展示してある。一時期わたしが猛烈にはまったザッパがいる。
遮るものがなければこの塔はつねに現前し、その実在感にはもう抗えない。
木更津にいても、筑波山や神奈川県の大山からでも、好むと好まざるに関わらずスカイツリーは視界に入ってきた。
私のなかでは、ある種の馴染んだ風景となって溶け込んでしまったといえる。
自宅からは見えないが、最寄りの駅からよく見える。
白いパイプを組み上げた独特の塔のすがたは、自然の景観として定着し、もはや親しみを覚えるこの頃。
ある日、九段坂上からみたツリーが凄く近くに見え、その壮大さに驚いたことがある。都内ならば、スカイツリーを愛でるような見所や、絶好の撮影スポットがいろいろあるに違いない。
先日、浅草公会堂に行ったついでに、折角だからということで初めてスカイツリーへ足を伸ばした。
間近で見るとその高さにも驚くが、作り上げた技術力に感嘆する。
単なる電波の塔でも、観光の目玉でもない。文化人風にいえば、東京を代表する記号になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/27/c042ef6aae8fa79bf1ea940409d29ecf.jpg)
かつてロラン・バルトは、「エッフェル塔」を何らかの表徴あるいは隠喩として構造的に分析した。
鉄製の立体物は人々の意識を侵食するモンスターであり、ときには親しい友人のようにパリの美しさをパノラマ的に語る。
しかし、バルトの記述にそそがれる多くは、「塔」の意味を解体し、再構築する思想史である。
さながら「塔」をめぐる意味作用を自在に紡ぎ、語るのだが、思いもよらない解釈に誘う。
まさに鉄の塔が、哲学的なシンフォニーを奏でているようだ。
スカイツリーも、エッフェル塔のような意味作用を次世代にわたって及ぼすのだろうか。そうでなくてはならない、と私は思う。
モーパッサンがエッフェル塔を見たくないがために、塔の中のレストランに入り浸っていたという。
スカイツリーのない東京を見るためには、私たちは塔の内部に入り込まねばならぬ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/9c/c8cc08c8e61c257b5e6e343c411f68ce.jpg)
バルトはこんなことを書いている。
エッフェル塔に登った人は誰でも、眼下に広がる風景の変遷を思い浮かべる。
空間の亀裂を通して、彼は時間の神秘のなかにもぐりこみ、一種の自然発生的な記憶回復のとりこになる。
パノラマ的な風景とは、まさに時間の持続そのものである。
さて、私はスカイツリーをただ礼賛したいのではない。
もう一つの塔、東京タワーを対にして、二つの塔の存在を書きたいのである。
東京タワーは小学校3年生の時に完成し、映画「3丁目の夕日」ではないが、日本の高度成長のシンボルとなった。
新幹線が「スピード」の象徴であるなら、東京タワーは「高さ」のそれだ。それがセットとなってわが少年時代の誇らしむ両巨頭であった。
いまでも東京タワーは増上寺わきの芝公園に鎮座している。この塔にまつわるエピソードにはこと欠かない。
風水的には南からの「気」を遮るように、東京の中心である皇居の前に立ち塞がっている。
江戸を風水的に都市計画デザインした天海は、まさか333メートルの高い塔が建つとは予想できなかったに違いない。
それがどれほどのことか誰にも分からないし、どうでもいい問題でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/be/7c509c3a08db0eb46d35fc34787de041.jpg)
さて、スカイツリーは浅草の東側、押上の一角に建設された。
その位置は、芝公園から北東の方向、風水でいう丑寅の方向、鬼門である。
かつて江戸城を中心にして、丑寅の方向である本郷、根津、谷中という場は、寺と墓場だけの忌み場所であった。
その忌み避けるべき方角である北東を結ぶ「鬼門ライン」に、東京タワーと東京スカイツリーが繋がっている。
悪い気の流れが634メートルのスカイツリーに集められ、祓われてゆく。
東京タワーが今後どうなるのか知らない。どうか、無用になるからといって撤去しないでいただきたい。
東京の気の流れは、前門が東京タワー後門のスカイツリーが通気路となって、邪気・瘴気などを追い祓っている。
東京スカイツリーは、東京タワーの存在なくして語られない。
たとえそれが非科学的で根拠のない言説であっても、この二つの鉄の塔は自然の風景に溶け込みはじめたのではないか。
どうか戯言、たわごとにご容赦願いたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/1c/dbd68c9f7b68889fd5605b75b6b7a421.jpg)
↑は、450メートルの展望台からの、墨田・葛飾あたり。
追記
※東京タワーの蝋人形館は実に不思議なオタク空間である。プログレッシブロックのほんの一角の濃密な部分を展示してある。一時期わたしが猛烈にはまったザッパがいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/8d/a83c154f1859fdd3b0a517f42f84e766_s.jpg)
【 塔 】と【 タワー 】の違いは、なんぞや... !?(・_・;? なんて考え込んだコトがありました!
で、ヨーロッパにある塔や " La tour Eiffel " へ行って見た時の事を思い出すと、スカイツリー、
東京タワー... 、私にとっては、それらの訳し方が、『【 とう 】にも難しい!! 』