小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ルノーと日野

2018年12月01日 | エッセイ・コラム

 

ルノーとニッサンの確執にかんする記事が目立つ。真相なぞ我々には無縁だが、ルノーに関していえば、筆頭株主がなぜフランス政府なのかという理由がわかった。
ドゴール将軍が大きく関わっていたのである。ご存じの方は読み飛ばしていただきたい。

ルノーは1898年に設立された自動車メーカーで、シトロエン、プジョーと並んでフランスを代表する会社。第1次世界大戦では、ルノー製のタクシーが兵士を運び、戦車や飛行機のエンジンも製造したらしい。

愚生が所蔵するフランスの産業社会の歴史をまとめた写真集を紹介したい。

 

▲フォード流の大量生産とはいえないが、近代化・効率化の一端が見てとれる。

▲農業大国フランスとは思えない別の面、近代化と工業生産に取り組んできたフランス人の矜持を感ずる写真集(表紙)。

 

ルノーは戦後、第2次世界大戦中ナチスドイツに協力したことで、その存続が問われた。そこに「国父」と呼ばれたドゴール将軍が関与、助け船を出したのだ。
フランス政府は、「裏切らない国策企業」としてルノーを国有化。やがて「ルノーが成長すれば国も栄える」と称讃される優良企業に成長した。

そのフランスのルノー公団により、1947年から1961年まで生産販売された先進的な小型乗用車がある。ルノー 4CV(Renault 4CV)である。累計110万5547台を生産し、長いフランス車の歴史上で初のミリオンセラー車となった。

(但し、小生おもうに、この4CVのスタイリングは、ドイツのフォルクスワーゲンのビートル、さらにポルシェ356のそれと酷似している。やはりドイツに協力したことと関係あるのだろうか。もっとも、シトロエン2CVも同じような雰囲気がある。専門家の意見をききたいところだ)

そのルノー4CVを、日本でも生産していた! 

ニッサンではなく日野自動車である。いまは「トントン、トントン、日野の2トン」というトラックのCMがTVやラジオでも流れる、あの日野自動車。
1953年からの10年間に、3万5千台ほど生産したとのこと。

そのルノー4CVは自家用だけでなく、小生の子ども時代にはタクシーとしても往来を走っていた。
その、丸くて可愛いスタイル、小生は大好きだった。エンジン音も独特で、小さな車体のわりには、フランス車らしく自己主張が強かった、なんちゃって・・。

それに小型であるせいか、料金も安かった記憶がある。(といって、払うのは親だが・・)ネット検索したら、当時のタクシー料金は、ルノー60円、ダットサン70円、クラウン80円という区分があり、ルノーのタクシーがいちばん安かったのは確かだ。

特別な何かで、タクシーを乗るときには、小生は駄々をこねてルノーを指定した。わくわくしながらルノーが見つかるまで待っていた。これもまた楽しい経験であり懐かしい。

 

 ▲ルノーのタクシー

   

  ▲小生は後ろ姿が気に入っていた。ネットで見つけたが、レストアしているだろう。  

▲ポルシェ356A 俗にワーゲンポルシェと呼ばれるドイツの名車だ。戦後のルノー4cvのみならずシトロエンもまた、ドイツ車の影響を感じる・・。      

 

先の東京オリンピックの頃には、ルノータクシーはほぼ街から消えていた。たぶん、丸っこいスタイリングは鈍重に見え、もはや世界の流行ではなくなりつつあった。高度成長期に向かうなか、シャープな或いは流麗なデザインが好まれる時代がきたのだ。

日野自動車はどうしたのか? 名車『日野コンテッサ』を世に送りだした。2灯の横目が独特で、イタリア人カーデザイナーであるジョバンニ ミケロッティが手掛けた流麗なフォルムは、国内外で高い評価を得たらしい。中古市場では、現在でも人気が高く、プレミアム価格で取引されるらしい。

また、イタリア人カーデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロが手がけた「いすず自動車」の117クーペも、ヨーロッパ車の洗練されたスタイリングで人気を博した。小生も憧れたクチだが、どちらも運転したことがないのは、少々悔しい。

▲日野コンテッサ

▲日野コンテッサ900スプリント(1962)ポルシェ356カルマンギアに似てはいないか?

 

日野自動車はいまや乗用車を生産しなくなった。前述したがトラックを専門に生産し、市場において確かなシェアを確保している、今のところ・・。得意の分野で勝負していく、そんな日野自動車の潔さを感じてしまう。

将来的には、ガソリン車はなくなり電気自動車が主流となる。AIや自動運転のテクノロジーが進化し、自動車の概念はだいぶん変わっていくだろう。それにしても、昔のクルマは味や深みがあったなあ。今日、散歩していたら、コンテッサと同時代のトヨタ800を見かけた。これも名車でファンが多く、よく見かけるし、映画にも登場して「60年代の日本」を見事に映しだしてくれる。

最後に、小生は現在のニッサン車に魅力を感じない。それはゴーンのせいだと言いたくない。トヨタ、本田などのクルマにも魅力を感じないからだ。

▲幸田露伴の『五重塔』跡のまえで。トヨタ800、いい赤色でした。


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