小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

安全、安心は得たが、失ったものは何か。

2023年03月12日 | エッセイ・コラム

(3月11日に記述)

夜明け前、背中にドスンと突き上げる衝撃をうけ、目が醒めた。スマホで確認すると、道南日高で震度4の地震があったらしい。腑に落ちないので、暫くしたら続報があり、千葉を震源とする震度3の揺れが関東で観測された。

震度3であれほどのショックを感じるのだから、大震災直下の揺れはどうなるものか。高層マンションにお住まいの、特に高齢者は、高層階向けの地震シミュレーションを体験したほうが良い。普通の家屋で感じる別種の揺れなので、そのインパクトは心臓に悪いですと申したい。

 

🔺当日の夜明け、病院13Fから見た上野方面。

ところで今日は3.11だ。病室のテレビは小型だがBSも視聴でき、3.11の特集番組を多く放映していた。なかでも印象的だったのは三陸沖海岸の各地に建設された大潮防堤の異様ともいえる佇まい。『進撃の巨人』で見た城壁のようだ…(ちゃんと観てはいないが)。

岩手県の田老町のそれは高さが15mほどのコンクリートの分厚い壁が聳え立つ。以前にも、明治、昭和の津波被害により10mの堤防は築かれていたが、東日本大震災のときには、その高さを遥かに越える想定外の大津波に襲われた。

二度とあの悲惨な被害を起こさない。そんな切実な願望から、超堅牢で周囲の眺望を遮断してしまった、何とも馬鹿高いコンクリートを建てた(ゼネコンだけが大儲けしたという意味も込めて)。

これってよくよく考えると、自然というものを、ねじ伏せるようにして発展してきた西洋文明のパラダイムそのものではないか。今や彼ら自身がそれを反省し、自然と共生できる思想を模索し始めている。

日本人は急ごしらえの西洋文明を定着させたが、その検証と改革はきちんと手をつけていない。高層ビル化を避けてきた西欧諸国の都市計画は、また違った意味で称賛すべきであるが…。

さて、大潮防堤を造ったはいいが、壁の陸側では、いまだに震災直後の荒野を彷彿とさせるように、未開発な状態のままなのはどうしたものか。その少し高台には住宅地が造成されているものの、いまだ20%未満の住民しか戻っていない。何故か、忌避されるべき理由がありそうである。

三陸の美しい景観、海岸線にまで迫る緑豊かな山々と青い海が織り成す絶景は、少なくとも千年以上も前から人びとに癒しと感動をもたらしたはずだ。

明治以降に二度も大津波の被害と多くの犠牲者を出して、さすがに住民も10mもの高い堤防を建てることに賛同したと思う。たぶん断腸の思いだったのではないか。

故郷の美しい景観が、モンスターのような人工物によって失われるなら、もっと山奥に入って行くか、知らない土地であってもきれいな海が臨める場所を探す。将来のある若い方々なら、そうした行動を選ぶだろう。

三陸海岸の美しい自然の復興、そのチャンスは永遠に訪れないかもしれない。

🔺三陸海岸を走っても海を見ることができない。その存在さえ感じることができない。

🔺3月10日は東京大空襲の日、11日は東日本大震災の日。この2日間に限ってのスカイツリーの照明バージョンだという。家人が転送してきた。

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。