小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「敗戦の日」の記憶について(※)

2019年09月02日 | エッセイ・コラム

昨日9月1日は、「防災の日」であった。それは関東大震災があった日で、首都圏に未曽有の被害をもたらしたことを思い起こし、防災に努めようと誓う日付である。
この日は同時に、災厄のアナーキーな混乱に乗じて、朝鮮人への大虐殺があった日でもあった。新聞記事には例年のごとく、追悼式の様子を知らせていた(小池都知事のことも・・)。
この大量虐殺という「人災」は、日本人にとっては「負の記憶」であり、出来うるならば削除したいと思う人がいるであろう。

「記憶」は基本的には個人に属するものであるが、その人が禍々しいものとして忌避したい「記憶」だとしても、その他の人々が「忘却できない記憶」として語る場合(オーラル・ヒストリー)がある。それらは集積され、整理され、未来に引き継ぐべき「共通の記憶」となる。これこそが歴史のアーカイブとして蓄積されるのだ。まったく与りしらないネガティブな要素が含まれていても、目をそむけることはできない「歴史の原基」だ。

こうした日本の「負の歴史」にも、目をそむけず真摯に対峙してこそ、9月1日という日付は、人々の共有されるべき「歴史」として、正確な意味を帯びることはいうをまたない。

さて、今日9月2日が何の日か、どんな意味が付帯しているか正確に記憶している人は少ない。
1945年の9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの甲板上において、日本と連合国との間で交わされた休戦協定(停戦協定)が調印された日である。この協定により日本の降伏が確認され、ポツダム宣言の受諾は外交文書上固定された。

それ以降、実質的にアメリカ一国が日本を占領し、1951年まで日本は主権を奪われ、敗戦国としての屈辱を味わうことになる。
現在、8月15日が「終戦記念日」として、私たち日本人は「敗戦の記憶」を共有しているが、国際的な視点でみれば日本は「9月2日」こそ、無条件降伏した「歴史的な日」なのである。

すなわち、8月15日以降において、ソ連は北方領土を侵略し4島を実効支配した。ミズーリ号の調印を受けて、ソ連は9月2日の翌日3日を「対日戦勝記念日」としているのは、それ以前を戦争状態と規定する口実を与えた。中国もまた、9月2日を「対日戦勝記念日」としていたが、2015年から習金平が新たに9月3日を「抗日戦争記念日」として祝日にした。

なお、英国は8月15日を記憶すべき日として「Victory Day(勝利の日)」としている。たぶん立憲君主国として、日本が無条件降伏したことを国民に知らせる、昭和天皇による玉音放送があった史実に重きをおいたと考えられる。また、VJデーに当たる8月15日を、韓国は「光復節」に、北朝鮮は「解放記念日」に、国民が共有すべき「記憶の日」としている。

 

さて、そもそも戦争の始まりはいつだと問われれば、日本人のほとんどが12月8日の真珠湾攻撃だと教わったと思う。アメリカにしても、本土を初めて攻撃された日として、12月8日は記憶されているはずだ。奇襲攻撃というよりも「騙し討ち」されたとして、日本に報復せよとルーズベルトは、参戦という合意形成を確かなものにした。

しかし、日本における世界大戦の端緒は、1937年、中国各地で勃発した事変、事件があり、日中共に宣戦布告を行わずに戦争状態に入った。1941年の日米開戦時、東条内閣は中国戦線を含めて1937年7月7日を「大東亜戦争」の開始と規定したようだ。現代史においては諸説あるようだが、この「開戦の日」を、私たちは「共通の記憶」としてインプットしている人を知らない。

ともあれ、中国戦線はやがて全面戦争の様相を呈し、国際秩序を無視したきわめて帝国主義的な侵略戦争だとして批難されるようになった。四面楚歌となった日本は、アメリカ主導のもとの「ABCD包囲網」という経済封鎖を招き、これによりさらに、経済の立て直しと、資源をもとめる打開策として、東南アジア、インドネシアへの侵略、そしてアメリカへの宣戦布告へと暴走への途に突き進んだ。

これは「共通の記憶」であり、人類共通の歴史として、戦争を知らない私たちにも共有されていることだ? ほんとうだろうか、このことが日本人の記憶として内在化されているだろうか・・。

筆者の言いたいことは、1945年の日米開戦、その遠因の初源は、1937年から始まった一連の日中戦争を契機としたことに間違いないということだ。

日本がそもそも戦争に手を染めたのは、盧溝橋事件を演出した日、まさしくこの1937年7月7日を「共通記憶」として、国民的に定着されるべきだと考える。なぜなら、日本における「全面戦争」の原点がこの日だからだ。また、合計13年もの長期にわたる中国との泥沼の戦い、その経緯も「失敗の本質」として専門家に分析されねばならないだろう。

日米との戦争はヒロシマ、ナガサキの原爆投下で事実上の終止符を打たれたが、中国との戦争という「共通の記憶」は、その始まりから終焉まで混沌としている。この輪郭を明確にして、実体を浮かび上げさせないと、日本は再び「戦争を辞さない」国柄になる。

 

蛇足になるが、生きること・学ぶことの初心を甦らせてくれるTV番組、8月のEテレ『100分で名著』はロジェ・カイヨワの『戦争論』だった。人間の本性に、遊びと祝祭の延長として「眩暈・恍惚」の概念がある。それはやがて規律からの解放とか、検証する精神を麻痺させる。つまるところ人間は、戦争の魅力に抗えない何か、そういう本質を持っていると、カイヨワは論じている。バタイユの蕩尽論とも通底している。

カイヨワについては別に論じたいが、なぜ人間は戦争を始めてしまうのかを考えるとき、悲惨と死者の記憶から導きだされた「平和論」だけでは不足だ。バタイユやカイヨワのように、好戦的な面がある人間の本質を見定めないと、戦争は一気に勃発する可能性を秘めている。

現在はもちろん、核の存在が殲滅戦争への暴発を抑止している。その停止状態はいま万全か、揺るぎはないだろうか。為政者の気まぐれに左右されていないか、私たちはつねに括目しなくてはならない。

 

▲講師の西谷修氏は1950年組だった。「共通の記憶」が多いのか。

 

※当初のタイトルは「開戦の日」となっていた。今になってみると何故、「開戦」としたのか判然としない。8月15日という「終戦記念日」は、日本だけの呼称であり、敗戦を「終戦」と言い換える粉飾も行った忘れてはならない日である。文脈からも「開戦」とした理由が結びつかない。自分のボケがはじまった記念日かも知らん。(2021年8月15日、追記。)


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