一週間プラス1日の帰宅となった。予定のことなのに、何かの猶予期間が与えられた変な気分である。留守中に妻が、私の居住エリアを隅々まで綺麗にしてくれた。苦手な整理整頓をやってくれたはいいが、キッチンや身の回りのもの、下着や服の位置の大幅な変換が行われていた。この際、妻の言い分を素直に受け入れ、何がどこに収納されているのか、早く頭にインプットしておこう。
自宅に戻って感じた大きな変化は、汚い話で恐縮だが、痰らしい痰がでるようになったこと。ふつう、黄っぽい粘々したものが痰である。それが出なかった。喉に痰が絡む、それを出すために咳をする。それが自然の摂理というもの。入院中には、強く喉を絞り、肺から空気を噴出させても、出てくるのは透明に近い唾液だった。
これは、小生が推測するに病院内の空気清浄が行きとどき、空気の対流がスムーズで、清潔な室内環境であるからだ、と自宅に戻ってから強く感じた。痰とは免疫系の物質が雑菌をやっつけた結果、残骸だと思っていたが、それは違うのではないか。空気そのものにハウスダストなど、汚れた不純物質が多く混入するからではないか・・。
それ故に、痰に外部要因の物質や雑菌が混じって色が着く、素人考えであるが、そんな風に推測した。つまり、それほどに病院内は清潔に保たれ、現在のコロナ禍対策としても空気環境の清浄を実現していると考えた次第である。
その他、帰宅してからは、入院中に書き留めていた俳句のタネを整理して、それに適う季語をさがしてブラッシュアップした。同人誌への投句は欠かさずに続けていきたいのだが、闘病をテーマにしたのは、同人誌の掲載には遠慮したい。事情を知っている方は、たぶん感づかれるだろうが、直截な表現はしたくない。まあ、全体的に句作が少ないので出来の方はイマイチだったか・・。発句の方法とか、句作における最初のイメージ固めなど、大幅に発想を変える必要があるのかもしれない。
その拙句をすこし・・。
宵闇の公園に哄笑ひびく
秋惜しむスワンの舟々廻るよ
不忍の池ざわざわと雁渡し
立冬の空の碧みは身に沁むや
句集編め心に刻む小春の日
さて、帰宅してからの楽しみは食事がいちばんだ。寿司、鰻、すき焼き、中華(油っこくない洗練された中華料理をだす、隠れ家的な店が近所にある)、懐石料理と、1日1食贅沢な食を味わった。しばらくすると病院食が3週間も続くので、美食はあまりしない方が良いのだが、欲望には負けた。
最後に、変異したコロナが流行しはじめるなか、あまりに小春日和の天気なので、近くの六義園に行ってきた。紅葉シーズンは夜のライトアップが人気なので、昼間は少ないかなと勝手に推測したが・・。さにあらず、入場整理しているほどの賑わい。免疫力が弱まった体には、感染症は大敵、罹ったらお陀仏だと聞かされていたのだが・・。賢人ならば言うことを聞くだろうが、阿呆はどくまでも阿呆なのだ。
{追記}小生より一歳下のロッカー(正確にはR&Bブルースマン)忌野清志郎が亡くなって、今年が13回忌だ。58歳という若さの逝去は驚きだったが、彼は自分の癌という病についてほとんど語ることはなかった。闘病中の自分の姿を定期的に公開したが、その奇蹟の復活コンサートから突然の死まで、癌そのものと、死への向き合い方については、完全に沈黙した。そのことの意味を、小生はなぜか入院中に考え、自分なりの推論をたてた。そのことをいつか書いてみたいと思っている。