金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
カミュ VS 久保田早紀 @ 『異邦人』
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今年も、各大学ではたくさんの新入生が、やってきてるんだろうね。
もう40年近く前だけど、大学に入って一番びっくり仰天したのは、大学でも「体育」や「数学」「物理」「化学」の授業があるってことだったね。根っからの文系だった僕は、高校を卒業して何が嬉しかったかというと、もう「数学」「物理」「化学」をしなくていいということでした。
大学に行ったら、朝から晩まで 好きな勉強をして、好きなだけ本を読める・・ そう思ってた。だから、入学試験が終わった翌日、金沢から実家に帰ってきたぼくは、すかさず、町の一番大きな本屋に行き、独和辞典を買いました。昨日入試が終わり、合格発表は10日後だけど、待ち切れなかったですね。大学ではマルクス エンゲルスを原書で読もうと息巻いてましたねえ。。
で、首尾よく大学に入って入学式にも出ず (当時は城内の体育館で入学式してましたた)その入学式の時間は、新堅町の加登長でカレーライスを食ってました。本読むか 酒飲むか、寝るか それしかない生活ってあこがれてました。
で、いざ入学してみると、「体育」や「数学」「物理」「化学」と 高校とほとんど変わらない毎日に幻滅しましたが、唯一の「救い」は、当時、教養部で哲学を担当されていた関雅美先生の講義でした。
実存主義について 体系的かつ実践的な講義は、いかにも大学にキターーーーーーーーーーーーーーって感じで、今もその感動を忘れられないです。その中で、新潮文庫のこのシルバーのカバーの 『異邦人』を知ったのでした。
↓これだね。懐かし~~っ
まあ この小説の内容は わかったようでわからず、しかし、わかったようなフリをしなくっちゃいけないという まあその当時のフツーの学生の、フツーの態度でした。
そうするうちに秋になり、いつも晩飯を食っていた新堅の『赤ひょうたん』のTVから、( だって、下宿にはTVなかったしね) この美しい女性の、美しい声の 美しいメロディーが聴こえてき始めたのです。
無効になっていたら こちら だよ
懐かしい ダブル「異邦人」です。
明日の日曜日 ブログ休ませていただきます
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関先生は いかにも「哲学者~~っ」って風貌でしたよね。キルケゴール、ニーチェ ハイデガー サルトルあたりの講義でしたね。