金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
学生時代から定年退職まで通い続けた店
小生、70年代後半に金沢にやって来て、以来40年、金沢で生きてきました。本当にいい街に来たもんだと思います。
たぶんこの街で生涯を閉じることになると思います。それで何の悔いもありません。故郷は遠く離れたところにあるけど、ふるさとは「遠くにある」がゆえに価値があります。
で、70年代の学生時代から今日まで通い続ける飲み屋さんって どれだけあるかと考えました。
1) 恵比須寿司(金沢市森山)
学生時代には行ったことないけど、就職したその月に初めて行きました。以来、今も通ってます。ということは40年間通い続けてるってことですね。最初は先代、今はイケメンの2代目がされてます。女将さんはお元気で今も現役バリバリです。最近は、いつ行っても何を食べても、お代はぴったり4900円なのが、むしろ安心感を醸し出していますね(笑)
2) わり勘(金沢市野町)
学生時代に2回位行ったことあるけど、その当時の記憶はほとんどないです。店は半世紀以上の歴史があります。この店、50歳代後半になってから、足しげく通うようになりました。だって何の変哲もないこの店の良さを理解するには、「人生経験」というスパイスが必要だからね。
3) 赤玉本店(片町スクランブル交差点)
学生の時は「3次会」でよく行ってました。なので、記憶はほとんどありません。昼のみできる貴重な店だったのですが、新幹線開業後は、「昼から長蛇の列」になってしまい、最近はとんとご無沙汰です。
4) 秋吉片町店(大和パーキング裏)
学生時代によく通っていたのは「中央公園店」(今、アトリオ・大和のある場所)だけど、この片町店も、バイトに行く前に晩飯を兼ねて行ってました。焼き鳥を食う以上、もちろんビール飲んでいましたが、バイト先のラーメン屋のおやじも飲みながら仕事する人だったので、全然OKでした。
今思い出せるにはこれくらいかな~。四高生も通ったという菊一や高砂など、歴史の長い店は今もたくさんあるけど、その手の店は、学生の身には敷居も値段も高く、当時は行ったことないです。
また石引通りにも五木寛之先生も通ったという、これまた歴史のある名店もたくさんありますが、城内学部だった小生は 下宿が犀川の桜橋近くにあったこともあり、石引・小立野方面の飲み屋には行った記憶がないです。はい。唯一の例外は、お好み焼きの「石橋屋」かな。まあ飲み屋じゃないけど。
しかし、それにしても学生時代に通った酒場が、定年退職する今も現役でやっているって、ステキなことだね。上記の3)4)は会社組織だから長続きできるのだろうけど、1)2)は個人経営だしね。もちろん大将は代替わりしているけど、次の3代目にも、味と客と店の息吹を受け継いでほしいものです。これから仕事から解放される身になるので、毎日「晩ごはん」を食べにゆきますから!
反対に、叶うものならもう一度行きたいけど、 今は閉店してしまった店は・・
① 寿司香りん(野町)・・・当時この店で修行された方が、新神田で寿司店をしています。
② 焼肉大文字(油車)・・・確か鶴来町出身の大将だったよな。。
③ 焼肉豊精園(長土塀)・・トランプマジック。また見たいよねえ
④ 定食赤ひょうたん(新竪町)・・450円のから揚げ定食、美味しかったあ
⑤ ラーメンよっちゃん(新竪町)・・ワンタンめんというものを、ここで初めて食ったっけ?
・・・といたっところですかね。
まあ学生の時は、車はもちろん、自転車すらなかったので、移動はすべて「歩き」でした。なので、どうしても狭い範囲の選択になりますね。
あの頃は限りなく懐かしいけど、学生時代に戻りたいとは思いません。僕は常に「今」が一番好きです。はい。
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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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yamashowさん、コメントありがとうございます。
ピュイ・ダ・ムールは今も営業されておられます。人気の店ですね。左党の小生は入店したことはありませんが・・・。店の左隣にファミリーマートができたので、車を停めやすくなりました(笑)。それにしても、赤ひょうたんでバイトされておられた方に、巡り合えるとは うれしいです。
今後とも拙ブログ、たまに覗きに来てください。