ジャガイモの花はなかりし夏野かな
石垣のウツキ花咲く梅雨の旅
山間の僅かに緩やかな斜面の廃家は長い年月か、はたまた短い年月か
計り知れないが一軒、また一軒と櫛の歯が抜けるように廃れたのであろう。
山の苦しい生活に見切りをつけた家族もあろう、一人ぼっちになり衰えて
土に還ったお年寄りなど、それぞれの事情によることであろう。
一軒、一軒と消えていく時間の経過に残っていた住人の不安、絶望、苦労
希望、などの交叉する感情に苦しみ、呻く姿を思いやると、人のココロがこの
集落に渦巻いていたことであろう。
ココロのふるさとを忘れたかのように、いまの世の物質至上の人たちが果たして
幸せなのであろうか、大震災以後ココロの拠りどころを捜し求めている人たちの
如何に多いことかを思うとき、町の生活がカオスに覆われて、生活し難いことは
大いにある得ることであろう。
経済至上、便利な生活が音を立てて崩れようとしているときに、この廃家に
想いをはせて、立ち止まり、ココロ豊かな生涯を願い、ココロのふるさととして
刻んで生きたいものである。
石垣のウツキ花咲く梅雨の旅
山間の僅かに緩やかな斜面の廃家は長い年月か、はたまた短い年月か
計り知れないが一軒、また一軒と櫛の歯が抜けるように廃れたのであろう。
山の苦しい生活に見切りをつけた家族もあろう、一人ぼっちになり衰えて
土に還ったお年寄りなど、それぞれの事情によることであろう。
一軒、一軒と消えていく時間の経過に残っていた住人の不安、絶望、苦労
希望、などの交叉する感情に苦しみ、呻く姿を思いやると、人のココロがこの
集落に渦巻いていたことであろう。
ココロのふるさとを忘れたかのように、いまの世の物質至上の人たちが果たして
幸せなのであろうか、大震災以後ココロの拠りどころを捜し求めている人たちの
如何に多いことかを思うとき、町の生活がカオスに覆われて、生活し難いことは
大いにある得ることであろう。
経済至上、便利な生活が音を立てて崩れようとしているときに、この廃家に
想いをはせて、立ち止まり、ココロ豊かな生涯を願い、ココロのふるさととして
刻んで生きたいものである。