「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」まさに、そう感じざるを得ない
久しぶりの里山は時の過ぎるにまかせて、冬枯れの装いから一気に初夏に衣替えしたかのよう
わずかの時の過ぎたるにすぎないのに、まるで、浦島太郎の心地さえするものだ
木漏れ日のそこここには、可憐な草花が、わが世の到来とばかりに咲き誇りたるも、つかの間か
あすには散りたるものとなるやも知れず、抗いようも無い時の残酷さも自然のこと
愛らしきものたちを凝視して、わが人生の時の過ぎるをひしひしと、ひたひたと、脳裏に
刻みてわずかな感傷に浸るもよしとしようではないか




