しばらく歩いていると、小さな公園に来ました。
そのちょっと先には、こんな墓地があります。
このような案内板が立っていました。その傍には、このような石柱が立っています。
六角石柱の各面に、蓮座にのった地蔵立像が浮彫りにされています。高さ62センチメートルのお地蔵様です。1760年(宝暦10)と、1766年(明和3)の年号があります。市内には、六地蔵が11組ありますが、そのうち9組は6体別々の丸彫りで、これだけが六面となっています。地蔵信仰は、江戸時代庶民の間で広く盛んになりました。(市有形民俗文化財)とのことです。珍しい六地蔵ですね。
その傍らには、このようなよく見られる六地蔵も並んでいましたよ。
墓地の中の風景です。
ここが地蔵堂ですね。そのほかに、ここ東村山市には、光あまねしの碑(秋津町4丁目15番地)という碑もあり、今回は寄れませんでしたが詩人の草野心平氏は昭和38年から秋津に住み、あたりを自然のままという意味の「五光」と命名しました。その後、秋津橋のたもとに氏の筆により「光あまねし」の木柱が立てられましたがその墨痕も薄くなったため、昭和56年11月に地域の人々により、石の記念碑が立てられました。また、所沢へと向かう古くからの道筋であった柳瀬橋のたもとには、いくつかの石仏が祀られています。そのうちの馬頭観音は、1781年(安永10)のもので、大切な輸送力であった馬を供養し、道行く人々の安全を祈ったものです。1707年(宝永4)の立派な庚申塔も並んでいます。
この稿 おわり