予定通り、今回は、平泉中尊寺や20代前半に何度も行った盛岡、そして八幡平を通って黒石市へ入り、鶴田町の鶴の舞橋を見てきました。
0:30函館発津軽海峡フェリーに乗り、青森到着が4:10です。
今回は、自動車なので東北自動車道を使います。
平泉までは、オシッコタイム以外ノンストップ。
110km制限の道路だから法定速度で走るもゴボウ抜かれです。
岩手山も懐かしかった。
35年ぶりに通るが、当時は下道だし、地形は同じなんでしょうが全く別の場所みたいです。
3時間弱で平泉到着、相変わらずのどかな所です。
高速を降りて10分ほどで中尊寺駐車場に到着、まだ時間が早いから有料駐車場も無料だった。
こんな所だったのか・・・忘れてます。
確か入り口そばに弁慶の墓があるはずなんですけどね。
そうそう、この辺りのはず。
これが弁慶の墓でした。
世界遺産のおかげか、街自体がすっかり小奇麗になってた。
案内所には、ガイドさんがいるからお金を払えば案内してもらえるんだって。
当然ですが、藤原三代についてお勉強してますから不要であります。
中尊寺は、毛越寺と違って山の中なので上り坂です。
エッチラオッチラ歩きます。
現在8:00、金色堂8:30オープンなので、ゆっくり楽しめる。
本当にすっかり忘れてます。
当時、中学生だから歴史に興味なかったのがよく分かるわ。
前九年の役なんぞ教科書の中の事ですから。
ここがリアルな場所だったりします。
おっと、北海道じゃもう少し先の栗が至る所に落ちている。
しかしなんだわ、去年行った恐山と、ここ中尊寺にも関係性があったのも勉強して知りましたよ。
恐山を開山した慈覚大師円仁が、中尊寺でも関わっていた。
毛越寺も中尊寺も開祖だったんだって。
それは良いけど、まだ早いからお土産物屋さんも閉まってる。
なにせ世界遺産の場所だから、美観保護のため、あっちこっちに作務衣を着たレレレのおじさんやお姉さんがお掃除してた。
こういうものは、世界遺産でもあるのか・・・
しっかり100円双眼鏡もあった。
こんな景色が見えますけど、ただの田舎の風景です。
ちょっと当時の束石を見てお勉強してみた。
どこもそうだが古い木造建築では、素人が木組を見ても理解不能です。
孟宗竹なら分かりますけど。
土に近い部分には、タケノコの皮が付いてるが、これは初めて見た。
茶屋もあるのね。
お堂も全部記録しておいたんですけど、ブログに書いてもしょうがないから書きません。
そのぐらい沢山のお堂があります。
茶屋もね。
お土産物屋さんも参道の途中に沢山あった。
中尊寺は、金色堂が有名ですが、本堂ももちろんあります。
まずは、本堂を見てみましょう。
0:30函館発津軽海峡フェリーに乗り、青森到着が4:10です。
今回は、自動車なので東北自動車道を使います。
平泉までは、オシッコタイム以外ノンストップ。
110km制限の道路だから法定速度で走るもゴボウ抜かれです。
岩手山も懐かしかった。
35年ぶりに通るが、当時は下道だし、地形は同じなんでしょうが全く別の場所みたいです。
3時間弱で平泉到着、相変わらずのどかな所です。
高速を降りて10分ほどで中尊寺駐車場に到着、まだ時間が早いから有料駐車場も無料だった。
こんな所だったのか・・・忘れてます。
確か入り口そばに弁慶の墓があるはずなんですけどね。
そうそう、この辺りのはず。
これが弁慶の墓でした。
世界遺産のおかげか、街自体がすっかり小奇麗になってた。
案内所には、ガイドさんがいるからお金を払えば案内してもらえるんだって。
当然ですが、藤原三代についてお勉強してますから不要であります。
中尊寺は、毛越寺と違って山の中なので上り坂です。
エッチラオッチラ歩きます。
現在8:00、金色堂8:30オープンなので、ゆっくり楽しめる。
本当にすっかり忘れてます。
当時、中学生だから歴史に興味なかったのがよく分かるわ。
前九年の役なんぞ教科書の中の事ですから。
ここがリアルな場所だったりします。
おっと、北海道じゃもう少し先の栗が至る所に落ちている。
しかしなんだわ、去年行った恐山と、ここ中尊寺にも関係性があったのも勉強して知りましたよ。
恐山を開山した慈覚大師円仁が、中尊寺でも関わっていた。
毛越寺も中尊寺も開祖だったんだって。
それは良いけど、まだ早いからお土産物屋さんも閉まってる。
なにせ世界遺産の場所だから、美観保護のため、あっちこっちに作務衣を着たレレレのおじさんやお姉さんがお掃除してた。
こういうものは、世界遺産でもあるのか・・・
しっかり100円双眼鏡もあった。
こんな景色が見えますけど、ただの田舎の風景です。
ちょっと当時の束石を見てお勉強してみた。
どこもそうだが古い木造建築では、素人が木組を見ても理解不能です。
孟宗竹なら分かりますけど。
土に近い部分には、タケノコの皮が付いてるが、これは初めて見た。
茶屋もあるのね。
お堂も全部記録しておいたんですけど、ブログに書いてもしょうがないから書きません。
そのぐらい沢山のお堂があります。
茶屋もね。
お土産物屋さんも参道の途中に沢山あった。
中尊寺は、金色堂が有名ですが、本堂ももちろんあります。
まずは、本堂を見てみましょう。
むかーし、毛越寺がYHをやってまして(いまでも?)若かりし頃に泊まったことがあります。
早朝に起こされて座禅を組まされました。
雑念と煩悩のかたまり、信心は足りないどころか、マイナスの方向に大きく振れる私には警策の戒め。
しゃれたことぉしやがる。
さ、叩ぇてくれッ。
叩ぇて、音がでなけりゃ銭はいらねぇってぇ太鼓野郎でぇ。
さぁ、叩きやがれッ!
知りませんでしたね。
これなら若かりし頃、利用すれば良かったと・・・
あっいや、座禅を組んで警策で叩かれるのはイヤですね。
40年ぶりに平泉へ行きましたが、日本の原風景が至る所にありました。
訪れた当時は平安期の日本史に深い興味もなく、ただ通り過ぎたような感じでしたから、遠き記憶の掘り起こしと共に、改めて行ってみたいという思いに駆られます。
そして阿弖流為の名が見られる頃から、衣川周辺が長きに渡り土人(縄文系)と渡来人(弥生系)の主戦場だったこと、修学旅行時の説明ではかなり違ったような記憶も有ります。
一時期親戚に依頼されて家のルーツを辿っていた時に、前九年の役の資料に遥か遠きご先祖が、少しだけですが関わっていた事を確認できたから尚更かも…
安倍氏の出自らしいのですが、源頼義配下になっていた者も多数いて、同族同士敵対関係になっていたようです。
東北の道は北海道と真逆で、下道のんびり高速爆走ですよね。
ヘルメットが顔に張り付くようなスピードで走っていても、抜かれることが多々有りますよ(笑)
が、これを書くと知識のひけらかしになりそうだし、自分が逆の立場なら読み飛ばしだろうという事であっさり写真だけって事にした次第です。
結局、1000年近く前に繁栄した当地東北は、日本であって別の場所だったんだと知りました。
北海道に至っては、完全に日本じゃありませんしね。
初めて東北自動車道を走りましたけど、バイクで行くなら最低120km巡航出来るバイクが必要と感じましたね。
下道専門のカブだと全く距離を稼げないと痛感した次第です。
まぁ幕末から明治期にかけての、富国強兵を掲げた挙国一致教育が根底にあったのでしょうけれど。
日本は島国故に単一民族と思われてれている方も、未だに多いですしね。
遺伝学的には世界でも珍しいくらい、複雑な雑種らしいのに…
蝦夷・山窩・隼人等々土着民の歴史は、新たなる支配者渡来民によって、利用創作されたり消されたりされているので是非もなしですね。
献上本の古事記なんかも、途中で神々がアレレって感じで変遷するし(笑)
そんななか近年では、壊し屋と異名の某政治家さんが「阿弖流為の末裔」、現首相が「俘囚(蝦夷)の棟梁安倍氏の後裔」と公言しているのが興味深いです。
どうでもよいこと長々と申し訳ありません。
今回は、みちのく好きさんの書かれてた事についてもお勉強しました。
日本最古の歴史書である古事記から300年後の世が、ここ平泉中尊寺だったわけで、調べると史実がバスの伝言ゲーム的になってる部分もあり、いろんな説もありましたね。
北上川を見た時は、巣伏の戦いやアテルイも頭に浮かびました。