草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

憧れのクロアチアスロベニア8日間ツアー その9 世界遺産観光

2018年07月10日 | 散歩

バスで1時間半走り、ディオクレティアヌス宮殿をメインにした「スプリット観光」です。ガイドさんを待つ間に朝市を歩きました。

「SPLIT」のロゴ「ESPRIT」に似てないか?

 

早速、新聞をゲット、8クーナです。

売店のおばちゃんが「これクロアチアの新聞だよ?あっ!サッカーね日本残念だったね(-_-;)」みたいなことを言ってわざわざ載っている新聞を捜してくれた(笑)

クロアチアのスポーツ紙には日本戦の記事は無く、一般紙にちょっと、見出しの「Japan u suzama]は「Japan in tears 」らしいです。選手評価も載っていました。

  

同じ場所にウィンブルドンのクロアチア選手の結果や、フェデラー様のユニクロとのユニフォーム契約の事まで載っておりました。チリッチ選手に負けた西岡選手「Nishioke」」になってる。チョリッチ君は今回は初戦で敗退でした。

女子でクロアチアのドナ・ベキッチ選手がシードのアメリカのスティーブンス選手を破ったので大きな写真と共に紙面に、

    

周りは美しい港ですがちっとも観光に目がいかない(-_-;)見学場所に入るのにチケットが届いていなかったとかで最初に無料で行ける範囲をぐるっと見て回ります。

    

ディオクレティアヌス皇帝が作った城塞都市に、今でも一般人が住み着いているという点で評価されているらしいけど、それってどうなの?って思っちゃう(笑)

「銀の門」をくぐった先の“ぺリスティル”と呼ばれる列柱に囲まれた美しい広場、スフィンクスが11体あるのは、3世紀後半にディオクレティアヌス皇帝がエジプトに遠征した際に持ってきちゃったらしいです。聖ドムニウス大聖堂は八角形をした高い壁が特徴的な建物です。

    

こんなに立派な城塞都市を一代で自分の霊廟のつもりで作ったのに、後にキリスト教を迫害した皇帝としてキリスト教徒らの怒りをかい、彼らの手により7世紀中頃に破壊されて霊廟は大聖堂へと姿を変えてしまったとか。そもそも遺体すら見つかっていないらしいです。

3世紀半~4世紀初頭を生きたとされるディオクレティアヌス皇帝は、実際は下層農民出身で、父親は奴隷の身分だったのに成り上がり(どうやって?)威厳を高めるために“ローマ神話の最高神ジュピターの子”を名乗り、ジュピターを祭る神殿として建てましたが、後にキリスト教が広まると神殿は洗礼室として利用されるようになったようです。

代わりにスプリットの守護神である聖ドムニウス(ディオクレティアヌス帝の迫害により殉教した聖人)の石棺が安置されています。キリ スト教を弾圧した皇帝の霊廟がキリスト教の大聖堂になっちゃっんだ(笑)唯一、大聖堂内の壁にはディオクレティアヌス帝と彼の妻であるプリスカと言われる人物のレリーフが残っています。

えーっ?ベッドに寝たまま食っちゃ寝、食べ過ぎて戻したりしてた割にはスマート過ぎでしょ。勿論盛っているに違いないですが(笑)

とにかく昔大理石で覆われていた部分ははがされてむき出し、ゴミだらけなのでこれをどかすと上の方に勝手に住んでいる人の部屋が崩れるかもしれないと手が付けられない状態らしいです。で、世界遺産?

    

この玄関スペースはドーム形でよく音が反響するため、 現在はよくここでクラッパというダルマチア地方に伝わる、無形文化遺産にも登録されている伝統的な男性アカペラ合唱の合唱が行われています。ちゃっかりCDも販売中。

    

グルグール・ニンスキ像。左足の親指に触ると願いが叶うという事でつるつるぴかぴかみたいです。

鉄門入ったところで「アルハンブラ宮殿の思い出」を弾いている方もいました。

  

この旅最後の観光スポット、次の世界遺産のある「トロギール」(29km/1時間)に向けて出発します。


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