旧市街地には旧町名の石碑があるらしい。
どこにあるのか見に行って見た。
中央小学校の西側の道を北へ進み、県道川越日高線の交差点を越えると、左側に屋根付きの門が見えた。
門には「中央公民館分室」と書かれた看板がかかっていた。
門の右側の生垣の中に柱状の石碑があり、「旧大工町」と書かれていた。
柱の上部に説明文が書かれていたが、汚れていて読みにくい。
写真ではよめないので、次に碑文を記す。
旧大工町 連雀町
六軒町二丁目
元来は、木工職人を集中的に住まわ
せた職人町であったため大工町と呼ば
れるようになった。江戸時代の地誌等
には、旧志義町寄りの北の方には町人町
があり、南の方は武家屋敷となってい
た。この町人町は、松郷と呼ばれた村
分で城下町に連続した町である。また
中央公民館分室は、武家屋敷の跡に
建てられており、往時を偲ばせてくれる。
尚昭和三十七年に現町名となった。
この道路の東側が連雀町で、西側が六軒町二丁目である。
中央公民館分室の建物は、小泉八雲の息子にゆかりのある屋敷らしい。
この通りをさらに進むと、右手に連繋寺の裏口に続く道がある。
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