ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

蝋燭能って初めての経験

2009-08-04 23:00:38 | 日本文化
このところ毎年楽しみにしている「台東薪能」
浅草寺の境内での薪能ですが、今年は浅草寺が大規模修繕中にて
浅草公会堂で「蝋燭能」の試みだった。

「蝋燭能」というジャンルがあるわけではないそうです。
電気のなかった時代の夜の上演の「暗さ」を再現する試み

字の通り、舞台に篝火の代わりに蝋燭をたくさん灯して、
舞台が薄ぼんやりと闇の中に浮かび上がる。

演目は「葵上」
これまた六条の御息所の怨霊が葵上に取り付くという
ぞわっとするストーリーと舞の、展開の速い能。

六条の御息所の怨霊が、後シテでは般若の面をつけて、激しく舞うあたりで

ぼんやりと浮かぶ舞台
スコーン、と澄んだ音色の大鼓
地謡の畳みかけるような声に

少しの間、異次元へ感覚トリップしました。

舞台全体がゆらゆらと燃えあがるように見えました。

能ってまるでオペラに似ています。
単調な音なのに、ものすごく厚みと広がりを感じます。
フルオーケストラと合唱が鳴り響いているのに、似た感覚。

病に伏す葵上を「小袖」を舞台において表現する演出も
伝統的な演出なのに、不気味でホラ―な演出表現ですよね。
「象徴」とか「見立て」の表現なのでしょう。

大鼓の張りつめた高い音が、とても力強く響き
気になっていた。
柿原弘和氏 
調べてみたら、若手の実力者だった。

能の上演中はいつも眠くて仕方ないのに
この演目上演中は、舞台にしばりつけられたように
圧倒され惹きつけられた。
実験的試みをしてくれた今年の台東薪能
台東区もなかなかやりますね。





ハッカで涼しく

2009-07-30 15:51:50 | 日本文化
暑いです。
去年の猛暑気温35℃とかと比べると、そうでもないはずですが
暑くなったり涼しくなったり安定せず、暑さに慣れないせいか
やたら堪えます。

クーラーをなるべく入れずに
入れても除湿にして、がんばっています。

緑茶や、珈琲は体を冷やすものだそうなので(焙じ茶や紅茶は温める)
日中は緑茶ガンガン飲んでます。
冷緑茶も作って冷蔵庫に常備です。


まだ春先に近所の百貨店の催事―大北海道展―で買いました。
北見はハッカの産地なことは、北海道人なら知っています。

和ハッカと、ペパーミントは微妙に違うらしい。
アロマで焚いても違いはいまいちわからないけど。

このハッカ油は飲み物に入れてもOK
水に入れてうがいをするとスッキリ。
防臭スプレーもできそうなので
手作りで作ってみました。

エタノールにハッカ油を数滴混ぜて、精製水で割って出来上がり。

ちょっとハッカ油の割合が多かったせいか、スプレーに入れて
肌にかけると、かなりく強烈にスースーします。

外出から帰って、汗びっしょりの時、このスプレーを浴びると
急冷却。扇風機に当たるとさらに冷えてしばらく持続します。

暑い時にはもってこいのスローアイテム。


もう一つ、スキンクリームも、お風呂上りのマッサージと保湿にとてもいい。
馬油でできています。
ペパーミントのスッキリ感も香りも爽やか。
1000円のクリーム一つで半年持っていてそろそろ無くなります。
便利なことにネット通販でも買える。
今までのマッサージオイル、スキンクリームからこれに変えます。

とっても安いものではないけれど、高級ブランド品でもない。
素朴なローカル名産品。
いいです。こういうの。


都会の中でも感じたい

2009-07-28 22:29:55 | 日本文化
クラフト作家さんのトークショーに行ってきました。

大分を拠点に活動されている木工作家の旦那様とテキスタイル作家の奥様のユニットTeDe

スライドを見せていただきながら、大分の自然に抱かれた生活の中から生まれるクラフトやアート

というお話を伺いました。

なるほど、写真を通しても感じられる空気の透明感。
静寂の中の自然の音。
青い空、白い雲、木々の多様な色。
重なり合う山々のシルエット。

こういう中で暮らすことで、得られうものも多いだろう、と思いました。
便利さや刺激の反対側にあるもの。
手作りや、工夫や、家族と日常を楽しむこと。


と、
ここで、いつもの私のひねくれ心がムズムズします。

田舎へ行かなければ、繰り返される素朴な日常はないのだろうか?

都会の空はそんなに濁っているのか?
1年前、へたってから窓の外の空を毎日よく見るようになった。
都会の空も捨てたものじゃない。
思ったより青いし、雲は生きているし、夕焼けは赤赤と。

さすがに、都会の空気は透明じゃないけど、さえぎる物のない降り注ぐ日差し
アスファルトから照り返されるさらなる暑さ、そこに都会の夏はある。

道端の雑草、街路樹の花、玄関先に置かれたさまざまな植木。
都会にも、よくよく見ると、緑の色の種類はたくさんある。

そんなことに気付かないのが、都会「人」の毎日なのかもしれない。

でも、ここ(都会)にも様々な顔をした自然のかけらや、人情の触れ合いや
季節を感じさせてくれるものはたくさんある。
ただ、圧倒的な迫力は、人工物に隠れてしまって、気づかないのかもしれない。
人工物も、年月がたてば、錆びて朽ちてこなれて印象的な風景を作る。

そんなことを見逃さないナチュラルで素朴で繊細な都会生活をしたいものだ、と、都会派の私は思う。


銀座の奥座敷、築地の裏 新富町という異界

2009-07-07 22:51:55 | 日本文化
新富町を訪れたのは二度目です。

銀座から歩くとけっこうあります。

入舟町の手前、少し行くと月島、佃島界隈

某巨大広告代理店の城下町でしたが、移転しちゃいました。

そんな現在の喧騒から取り残されたような、コンクリートに囲まれた古い家屋や細い路地。

高速道路にかかる橋は、京都の祇園白川にかかる橋の風情もあり。


ハイブランドのフラッグショップが立ち並ぶ、銀座の表通りからは
うかがい知れない生活感たっぷりの下町です。
どんなに世界のブランドが軒を連ねても、銀座界隈がまぎれもなく下町であることを、思い出させてくれました。
きらびやかな街の裏側の異界。
新富町は、そんなタイムスリップな感じがする町です。


足袋を誂えに行きました。
小さな老舗の足袋屋さん、新富町にぴったりです。
そこで誂えた足袋で、下町を闊歩、いいですねえ。と悦に入り。


でも、近くには、何とも今風にそそるカフェとかもあり。

そんなアンバランスな感じも好きです。

農家って

2009-07-07 00:51:02 | 日本文化
西日本の田舎へ行きました。
農村です。
農家です。

瓦ぶき屋根の、田圃に囲まれた、のどかなところです。

のんびりしていいところですが、二三日逗留すると、いろいろと気づくことが。

まず。

農家の人って、働き者です。
男性も働き者ですが、お嫁さんは本当に大変。

田舎はやはり男性社会ですし、裏方は女性に任されています。
任されていても、所詮裏方。雑用や汚れ仕事も一切合財引きうけて
お客さんにも笑顔で接待し、親戚を把握して対応し、車でしか移動できないので
みんなの足代わりに運転して…

あー、私にはとてもできないことばかり。

お手伝いの私も、あまりの扱いに(家事の人足状態)キレかかりましたが、
お嫁さんの大変さのお役に少しは立っていると思えば、ぐっと我慢できました。

ああ、これが日本だな、日本の家族だな。
日本文化を大事にしたいということは、これも受け入れなkればならないんだな。
そう考えると、少し複雑です。

でも、この家族体制の上に、日本文化が成り立っているわけで、
男性の仕事の陰には、信じられないくらい献身的な女性の内助の功があるわけで。
それも含めて、伝統や文化です、それが日本です。

つくづく体で感じました。


畳の上のくらしの気持ちよさも、一緒に感じてきました。
畳、いいですよ。
絨毯やフローリングより、日本の気候には合っていると思います。




もうひとつ
山間部なので棚田でしたが、休耕田の多いこと。
一度休耕田になると、再度田圃に知るのは難しいと聞きました。

私はやはり、減反政策には反対です。
日本のコメ作りは農業の基幹ですから、なくすわけにはいきません。
しかし、小規模の兼業農家が自分の家の分だけ生産している農業は
やはり不自然だし、将来性はないとおもいます。
農家は、専業で生きていけるようにすべきです。
リストラクチャリングは必要でしょう。

食糧自給率がこのままでいいとも、米作りが今のままでいいとも
思えません。

このまま休耕田が増えれば、この農村も荒れて行くでしょう。

二大政党、どちらも減反政策維持ですね、支持しがたいなあ。
将来の見通しがさっぱりわかりません。

下町が元気を取り戻しつつある?

2009-05-28 16:48:33 | 日本文化
家を拠点として仕事をするようになって、気の近所=かなりベタな下町
をウロウロすることが多い。

自転車圏内を、走りまわっている。
ありがたいことに、このあたりは、台東区の中央区(?)都心なので
公的機関が集まっている。
区役所も、そのほかの都や区の出先機関も多い。
いろいろなことを申請に行ったり、相談に行ったり、が多いのだが
自転車で行けるところがありがたい(交通費が惜しい…)

自転車でウロウロしていると、意外な発見する。
たいていは、私の「好き」センサーがビビと惹かれる
ショップだったり、カフェだったり。

私の「好き」センサーは、けっこう渋いが、敏感なので、自転車で走っていて
気になって、後日、改めて探しに行くことも。

入谷、御徒町、蔵前。最近面白い。

向島の面白い、一番面白いのは、向島という地域で連携を図っているところ。
そういう情報は、店内の張り紙やフライヤーやHPでわかったりする。
向島は、若い店主が連携して街を盛り上げていこうという運動がある。
かなり濃い独特な歴史と雰囲気をもった町だ。それに惹かれて外部からやってくる人もいるだろうし、地元の人が愛してやまない町なのかもしれない。

くねくねと入り組んだ裏道や、昔懐かしい昭和の商店街、
色街の名残の料亭。芸者さん。
裏道から、小唄が聞こえてくる、そんな土地。
観光スポット。
化学工場。

それを全部資源とする、という考え方はいいと思う。
新しいものを、他から、海外から、持ってくるとか
斬新最新のもの、もいい。
日本文化は世界の流行最前線だし。

ただ、足もともよく見たい。
今持っているものから、何かを生みだすことも、地元の人を相手に商いをすることも、これから大事になると思う。

グローバリゼーションには逆行するが、グローバリゼーションは一度崩壊した過去の概念だ。

下町の小さな会社の社長の言葉
「みんなすぐ中国とか海外のマーケットに持っていこうとするが、外国人のために苦労してモノを作ってどうする(怒)」

そう、日本のものはまず、日本で理解し愛して消費しよう。

湿暖な気候にあう薫り

2009-05-19 17:03:57 | 日本文化
この土地の最大のイベントともいえる
三社祭が終わりました。

この地では三社祭が終わると夏がくるといいます。

お祭りから、浴衣を着てもいいのだとも聞きました。
お祭り当日は、小雨がぱらついて肌寒いお天気でしたが
翌日から初夏の陽気。

4月から5月になって、ぐっと感じるのが

湿度の上昇です。

あんなにカラリとして、肌が乾いて困っていたのに
このジメっとした、重たい空気感。
夏の予兆を感じます。

日本の夏は、少なくとも、関東以西は、この湿度の高さだと思います。
私が生まれ育った北海道は、また違う気候帯ですね、亜寒帯か?
夏も1週間程度で終わる感じです。

この本州の現代の暑さと来たら。
ヒートアイランド現象も含めて、もう温帯とはいえない暑さです。
そしてこの湿度の高さ。

最近まで、部屋の中でアロマオイルを焚いていました。
私のお気に入りの香りは、フランキンセンスと、ゼラニウム、ティーツリー
ユーカリ、レモングラス。

そんなあたりをミックスして、焚いていました。

が、この湿度を感じはじめて、アロマじゃ物足りない感じに。

そう、この重たい空気に合うのはお香だ。
と、思い出しました。
手持ちの練香を、焚きます。
残念ながら香炉がないので、アンティークの中国茶のお茶碗で。

あー、やっぱりこの感じ。
お香の香木、沈香や白檀の甘い香りが、このまとわりつく空気にぴったりです。

部屋にくゆらせると、さすがに湿度が高いのでかなり強く香り、後にも残ります。
ちょっと神秘的な、平安時代に思いをはせながら、昔はみんなこんな香りを身に纏っていたのだな、と考えると、相当香りが幅を利かす世界だったのでしょう。
いまや、日本人は薫らない国民性ですけどね。

お香の香りに身を沈めながら、思沈する感じ。
日本だなあ、ここは。

妻の座、母の慈しみ

2009-05-05 21:47:12 | 日本文化
この二つが、嫌いです。

そいうことを公言するから、私はいつも異端者のポジションをとることになるのですが、どうもやめられません。いつもそれで嫌な目にあうくせに、治りません。

実際自分は、妻ではありますが母ではありません。

妻でもないつもりでいましたが、最近諦めて妻であることは素直に受け入れました。夫の知人には●の家内です、と自己紹介しています。


なぜ日本の婚姻制度では、妻の権利がこんなに強いのでしょうか。
何を根拠に、ここまで守られているのでしょうか。

手厚く守りすぎて、甘えや堕落が出ないでしょうか。
家事労働もオフィスワークも、これだけ以前と変化しているのです。
なのに、分業制度は変わらない形のまま。
社会で働く男性も、家庭にいる女性も、社会で働き家庭内で家事も担当する女性も(大変ですよね)、やりにくくないですか?


自分のことも含めて思います。

夫は社会で働き、妻が家で家事を受け持つ形態は、ある意味、社会にとってありがたい形ですが、その社会は健全でしょうか。

家庭外の社会は、男性と未婚の若い女性のみで占められ、家庭内、家庭どうしのネットワーク、地域社会は、中年くらいから上の女性が担う、そういう分担は
はたして、生きやすい、子供を育てやすい、働きやすい、生活しやすい、社会の形体なのか、とても疑問です。

特に中世的な個性を持つ私には、生きづらく感じます。


母親の、子供に対する無条件の愛情も、またその裏返しの憎悪や、なんやかや、も好きではありません。

子供が何をしても、許す慈しみは、はたして社会性を持つのでしょうか。
世界中を敵に回しても、子供を守る、生物的本能とは思いますが
はたして動物界でもそうはいっていないのでは?と思います。
人間の「愛」とかいう観念が、生み出した、歪んだ母親の思いではないかと。

自分の子供より、男を優先させて、結果子供を死に至らしめてしまう事件が
最近多いですが、そっちのほうが、動物的本能を感じます。

それを、否定するのは、人間の知性なのか愚かさなのか。


なんだか、社会の変化のスピードが速い部分と、頑なに変わらない(変えない?)
部分の乖離が進んで、ダブルスタンダードのような奇妙な構造になっていませんか?


会社組織を離れて、多くの人が属する世界から、ちょっと引いて傍観者の視点になって社会をみることが多くなりました。
自分の頭、感性を頼りに生きるようになってから、そんなことがとても気になるのです。


がんばれ!USA

2009-03-24 20:17:35 | 日本文化
この二日間、テレビの野球とPCのにらめっこで過ごしました。

WBCは優勝しましたね。
昨日のUSA戦をみて、日本野球は強いなあ、とつくづく感じました。
日本人も大舞台で臆せず誇りと自信を持って戦えるようになったのですね。
常にUSAの後を追いかけている日本という国、
もっと自信を持っていいと思います。

でも、私にとって、最も身近で重要なUSAはPCです。
自宅ではもう10年以上Macを使っています。
まあ、Windowsもアメリカ製ですが、Macはハードも中身もUSAです。

ハリウッド映画の中では、主人公のUSAの正義の味方はMac製のPCを使い
悪役はDinabookを使っているのだそうです。
日本製品は、悪の象徴ですかね~。

それだけ、MacのPCは、アメリカ人の心の誇りだと思うのです。
Macは、他のPCと違う路線を歩んできた特殊なPCです。
ジョブズという、天才が個性を大いに発揮して作ったPC。
アメリカ人の独創性が込められているように感じます。
もちろん、トラブルが多いところもUSAらしいですが、その分サポート体制を整えているところもUSAです。

USAは、金融工学が行き詰まり、格差社会の弊害がどんづまり、閉そく感と凋落の予感が渦巻いているさなかです。

でも、やはり世界のトップの知性が集積し並はずれた独創性が伸び伸びとはぐくまれることは、アメリカが世界に誇れることだと思います。

私のMacは、ものづくりの感性にはうてつけのコンセプトで作られ、細部にわたって
クリエイターへの配慮とプライドが詰まっている。だからこそ、いちいちフリーズにイライラしながらも、私は今まで尊敬の念をもってMacを愛用してきました。
ソニーのVAIOのこまやかさやや東芝のDinabookの堅実さにも、時々心ひかれながらも、やはり、自分にはない独創性とクリエイター魂の詰まった Macを愛してきました。

ベースボール発祥の国USAが、日本野球に敗れてしまったとき、アメリカ人は、またか。と思ったことでしょう。
ベースボールを野球という似て非なるものに組み替えて、完成させてしまった日本人。でも、ベースボールがUSAで生まれたことは、ゆるぎない事実です。
そして日本野球がどんなに緻密で堅実でよく考えられたものであっても、ベースボール魂はアメリカ人が誇れるべきものなのです。

いまやUSAは世界の覇者から凋落しようとしていますが、アメリカ人はアメリカ人の個性で生きていくべきですし、誇れるものです。
私は、日本的な繊細さやこまやかさや余韻や間といった概念を誇りたいと思っています。決して、大味なアメリカ文化が肌に合うわけじゃない。

でもUSAは、やはりダイナミックな独創性やパワーに自信を持ってほしい。
日本は臆することなく、ものづくり職人の道を世界に示していけばいい。
ベースボールと野球は、同じフィールドでがっぷりよつに組めばいい。

異なる感性や文化をリスペクトしあいたいと思うのです。

昭和のストーブ カフェ

2009-01-28 14:57:36 | 日本文化
先日、「おうち食堂」開店にわくわくしたのは、意識していませんでしたが前触れがありました。

前日に、町中の古民家(そんなに古くはない、昭和な感じ)のカフェに連れて行ってもらい、畳に座ってちゃぶ台でランチをしたのでした。
ガラスの引き戸は障子のような木枠に波板ガラスが入っていて、むかーし、一度だけ一軒家に住んだことがあるときの、おうちに似ていました。昭和50年代頃かな。その一軒家は、北海道旭川の平屋でした。一年の半分は、ストーブを使っていたような気がします。石油ストーブの火が燃えていて、ストーブの上でいつもお湯が沸いていました。
その後引っ越してからは、ずっとマンション住まいで、集中暖房完全装備の環境に慣れてしましました。

そこの民家カフェにも、黄色い火が暖かいストーブがありました。
ロウソクの火もそうですが、燃える火を見ていると、それだけで暖かい気持ちになります。

同じ火でも、火事の炎は恐怖ですが。
このところの火事の多さに、焼け出された人、亡くなった人、を考えると
火は動物に取って怖いものだと、思い出させてくれますが。

そこのカフェには、窓に面して、一人席がありました。
ひとりでぼんやりするのに落ち着くなあ、とまた来たくなりました。

そんなカフェに熟年の男性が、一人本を片手に珈琲を飲んでいるなんて
とても素敵だと思いますが、どうやら世の男性には難しいようです。壁を壊してみたらいいのにね。

自宅食堂も、民家カフェも、寛げる空間と穏やかな会話が、キーワードです。