最近気になっていることがある。
お店で買い物をすると、包装やショッピングバッグ(紙袋)に入れてくれるときに、セロテープを使う。
小洒落たお店なんかだと模様入りマスキングテープなんかで、ステキに貼ってくれる。
そのテープをベッタリと貼らずに先端をちょっと折り曲げて、はがすときの手掛かりを作ってくれる貼り方、をするところが、最近すごく増えた。
それって、いつからだろう?
少し前には、ベッタリと貼られたテープをはがすのにまずヒト苦労、包装紙を破きたくない主義の私はいつもイライラしていた。
かなり前、女性向けの雑誌なんかで、啓蒙?ビジネスマナー?のコラムなんかで、
「剥がすときの人のことを考えて、心配りしてテープが貼れる女性ってなんてステキ(もしくは仕事が出来る)」
ような記事を読んだ記憶がある。
その時は「ふーん、心配りって大事なのね」と思ったのだが、
今やそれは「気の利いた心配り」というより、接客業のマニュアルに近くなったのかもしれない。
そんなにオシャレでもなく、安いものを買って、こんな風に剥がし安く先を折り曲げたテープを貼ってもらうと
なんだかとっても申し訳ない気持ちになる。このお店に、この買い物に、この人に、そんなサービスをしてもらうのは
普通なことと受け取っていいのだろうか?それとも、このお店この人はステキだな、と感謝するべきなんだろうか。
家に帰って、幾重にも丁寧に包まれた綺麗な紙の包装紙を開けて、悩んだ挙句、結局その素敵な包装紙や紐をゴミ箱に捨てるときに感じる罪悪感に似ている。
…サービスが過剰。
今の日本のサービスは、病気の域に入ってる、という気がする。
美しい過剰包装、いらっしゃいませ、こんにちは+笑顔、割り箸、水、
そして行きついた「心遣い」というサービス。
とはいえ、数年前までは私自身「なんだこのサービスは、プロの仕事か?」と怒ってばかりいた。
接客の言葉遣いとか、たらいまわしの対応とか、品切れを把握していないとか、コールセンターに電話して待たされた時間が長すぎるとか…様々に
段々、そうかな?と思えてきた。
このサービスに従事している人は、一体いくらくらいのお給料なんだろう。
私の要求する「プロの仕事」をすることに見合ったお給料をもらっているのだろうか?イヤ、絶対に貰っていない。
それなのに、客のサービスへの要求はどんどん高くなり、雇い主は他社との競争に勝つための最終手段として「良いサービス」を投入しようとする、もう価格競争では疲れきっているから。
現場の一番声の小さい働き手は、対価に見合わない「心遣い」のサービスを、(無償の労働サービスとして)提供せざるを得なくなって、どんどん追いつめられる。
「気の利いた」「心遣い」は魔物だ。日本人なら誰でも持っているはずの美徳メンタリティーとして、社会的に認知されているものだ。出来なければ「日本人のくせに」「気が利かない」「無粋だ」と揶揄され、人間性にマイナスポイントをつけられる。
そうなったら、もうそれは人格問題だ。
そんなエスカレートが、もう行きつくところまで行きついて、サービスの現場の人がどんどん過労死したりしているのだと思う。
結論
もっと大らかに、ルーズになる努力をしよう。自分に対しても相手に対しても。日本社会全体が。
もしくは、日本人が得意とする「心遣い」を要求し、また提供する側もそれを武器にするなら、それ相応の対価を払おう。
日本人のメンタリティーや伝統としての「心遣い」は、それが出来る「余裕」があってこそ。
それが得意ならば、その対価を堂々と要求したい、世界に対して。
私個人的にはバランス主義なので、もう少し社会全体がルーズでいい加減を許容するようになり、いいサービスにはちゃんとした対価が支払われる社会、が好きだ。
電車やバスは、もうちょっと遅れても文句を言わないし、「いらっしゃいませ」に「こんにちは」と笑顔はついていなくてもかまわないし、テープはベッタリ貼ってもらって結構だと思う。
サービスへの過剰な要求と、社会全体の疲弊具合は比例しているのかもしれない。
時給850円の仕事に対して、1200円の見返りを求めることは、もう止めたいと思う、私自身も労働者の一人として。
お店で買い物をすると、包装やショッピングバッグ(紙袋)に入れてくれるときに、セロテープを使う。
小洒落たお店なんかだと模様入りマスキングテープなんかで、ステキに貼ってくれる。
そのテープをベッタリと貼らずに先端をちょっと折り曲げて、はがすときの手掛かりを作ってくれる貼り方、をするところが、最近すごく増えた。
それって、いつからだろう?
少し前には、ベッタリと貼られたテープをはがすのにまずヒト苦労、包装紙を破きたくない主義の私はいつもイライラしていた。
かなり前、女性向けの雑誌なんかで、啓蒙?ビジネスマナー?のコラムなんかで、
「剥がすときの人のことを考えて、心配りしてテープが貼れる女性ってなんてステキ(もしくは仕事が出来る)」
ような記事を読んだ記憶がある。
その時は「ふーん、心配りって大事なのね」と思ったのだが、
今やそれは「気の利いた心配り」というより、接客業のマニュアルに近くなったのかもしれない。
そんなにオシャレでもなく、安いものを買って、こんな風に剥がし安く先を折り曲げたテープを貼ってもらうと
なんだかとっても申し訳ない気持ちになる。このお店に、この買い物に、この人に、そんなサービスをしてもらうのは
普通なことと受け取っていいのだろうか?それとも、このお店この人はステキだな、と感謝するべきなんだろうか。
家に帰って、幾重にも丁寧に包まれた綺麗な紙の包装紙を開けて、悩んだ挙句、結局その素敵な包装紙や紐をゴミ箱に捨てるときに感じる罪悪感に似ている。
…サービスが過剰。
今の日本のサービスは、病気の域に入ってる、という気がする。
美しい過剰包装、いらっしゃいませ、こんにちは+笑顔、割り箸、水、
そして行きついた「心遣い」というサービス。
とはいえ、数年前までは私自身「なんだこのサービスは、プロの仕事か?」と怒ってばかりいた。
接客の言葉遣いとか、たらいまわしの対応とか、品切れを把握していないとか、コールセンターに電話して待たされた時間が長すぎるとか…様々に
段々、そうかな?と思えてきた。
このサービスに従事している人は、一体いくらくらいのお給料なんだろう。
私の要求する「プロの仕事」をすることに見合ったお給料をもらっているのだろうか?イヤ、絶対に貰っていない。
それなのに、客のサービスへの要求はどんどん高くなり、雇い主は他社との競争に勝つための最終手段として「良いサービス」を投入しようとする、もう価格競争では疲れきっているから。
現場の一番声の小さい働き手は、対価に見合わない「心遣い」のサービスを、(無償の労働サービスとして)提供せざるを得なくなって、どんどん追いつめられる。
「気の利いた」「心遣い」は魔物だ。日本人なら誰でも持っているはずの美徳メンタリティーとして、社会的に認知されているものだ。出来なければ「日本人のくせに」「気が利かない」「無粋だ」と揶揄され、人間性にマイナスポイントをつけられる。
そうなったら、もうそれは人格問題だ。
そんなエスカレートが、もう行きつくところまで行きついて、サービスの現場の人がどんどん過労死したりしているのだと思う。
結論
もっと大らかに、ルーズになる努力をしよう。自分に対しても相手に対しても。日本社会全体が。
もしくは、日本人が得意とする「心遣い」を要求し、また提供する側もそれを武器にするなら、それ相応の対価を払おう。
日本人のメンタリティーや伝統としての「心遣い」は、それが出来る「余裕」があってこそ。
それが得意ならば、その対価を堂々と要求したい、世界に対して。
私個人的にはバランス主義なので、もう少し社会全体がルーズでいい加減を許容するようになり、いいサービスにはちゃんとした対価が支払われる社会、が好きだ。
電車やバスは、もうちょっと遅れても文句を言わないし、「いらっしゃいませ」に「こんにちは」と笑顔はついていなくてもかまわないし、テープはベッタリ貼ってもらって結構だと思う。
サービスへの過剰な要求と、社会全体の疲弊具合は比例しているのかもしれない。
時給850円の仕事に対して、1200円の見返りを求めることは、もう止めたいと思う、私自身も労働者の一人として。
これが100円?1000円?というものがあふれ、結局消費者だけが得をする構図。
それも結局は消費者にデフレというブーメランになって戻ってくるのに。
平均給与最下位の宿泊業に籍を置く私。
ホテルに要求されるサービスは1泊5000円なのに
10000円のサービスなのです。
デモ私たちめげません。
やってやろうじゃない というか、10000円のサービスを原価ゼロならとことんという心意気なのです。
その心意気があってこそ楽しくなれるのです。それはお客様のためのようでありながら実は自分が嬉しいと思えるためなのかもしれません。
ホスピタリティーは自分が喜べるかどうかなのだと部下の生徒に言います。
ただならやりましょう、とことん。
給料が安くても私たちには喜びがあると。
それが誇りになるのだと。
でも私も他には求めません。
物事は、根本的にすべて対価が支払われるべきという考えだから。
最近の一番いやなサービス。
お釣りを返す店員さん 両手で私の手に触れるまでしてお金を返すのはやめてほしい。
手が触れた時はぞーっとします。
どこぞのコンサルタントが進めて広まってきた
やりすぎサービスです。
ところでこのランプ素敵。
ちょっと詳しく知りたいですこのランプのこと。
教えてください。
そちらも寒そうですが、お風邪など召していませんか?東京も夏と秋を飛ばしちゃったの?と思うような肌寒さです。
明日からまた夏のようですが。
サービス業のお仕事は、本当に正当な対価が支払われていない、といつも思います。
クオリティの高いサービスを受けた時ほど、そんな気がします。お仕事の対する誠意や情熱は頭が下がります。でも、そうやってがんばっている沢山の人が擦り減って、疲れて行くのが、怖いのです。
私も、手を添えてお釣りを渡されるのは、とても嫌です。日本人的感覚じゃないと思います。
日本人のパーソナルスペースは広いはず、人との距離はそんなに近いと不快なはずです。
ランプ、お目にとまりましたね!
実は近所のカフェに置いてあったのをコッソリ写真に撮りました。「イリヤプラスカフェ」で検索されるときっとHPが出てきます。いい雰囲気のカフェなので、次回、お会いする時はぜひ。