ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

「うちら」階層の固定化が身に沁みる。

2013-08-12 08:59:01 | 日本文化

常にweb上の話題の後追いで、オンタイムに追いついていない。

まあいいか、アクティブな活動禁止期間中だから、ネットもそこそこしか見ない。facebookは禁いを守って自粛中です。

さてお題ですが、

今の日本の社会は「低学歴の世界」と「高学歴の世界」二つの階層が明確に別れていて

その階層の「ムーンリバー」を越えて両方を見て「こんなに違う世界があるなんて!」

と驚愕する人がいる、そんなブログやらなにやらがゴロゴロ出てきました。

私が最初に発見したのはこのブログの記事

★24時間残念営業

「うちらの世界」

 ***** そしてその次に読んで、納得したこのブログ

★ひきこもり女子いろいろえっち

「私のいる世界」

 

24時間残念営業(タイトルのセンス秀逸)の「うちらの世界」を読んで(な、長いよね、この人の記事、人のこといえないけど)

なんか聞いたことがある話・・・とおもってハッと。私の父のことだろ。

時代が戦争時代~戦後なので、全く状況が違いすぎて「父のこと」というには無理があるが、ある意味同じ。

父は9人兄弟の下から2番目、兄弟姉妹のなかで唯一大学に進学させてもらった。

その後の父の人生は、見事に他の兄弟から切り離されて、「○○ばかりいい思いをした」というある種「白い目」で見られていた風ですらある。幼い頃親戚の家に行ったこともあったが、母と私にとっては針のむしろだった思い出がある。

だから私は父方との親戚付き合いはない。おまけに母は父が高校~大学で初めて足を踏み入れた「ハイソな世界」の住人だったから、その感覚の落差は激しい。なにせ父の兄(私からみると叔父)のうち2人は、裏稼業の世界の人だから。

父方の祖父、祖母が亡くなった時父はまだ現役で仕事をしていたので

葬儀は「○○(父)氏の父(母)○○氏葬儀」だったし、会社関係者がわんさか列席した。我が家は両親&娘の私、皆人付き合いが苦手だったので、それはそれはビックリしたが、親戚の皆さんの居心地の悪そうなことも、不機嫌さもハンパ無かった。

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と、まあ私は父が大好きなので、父の話題ばかりやたらといつも多いのですが

そうか、父は「うちらの世界」と「高学歴の世界」両方を見た体感した人だったのか・・・

そう思うと、中学高校で落ちこぼれかけた私をただただ悲しげに見ていて、大学受験に見事失敗しても浪人を許してもらえ、その後のドロップアウトしがちな私を、

父は「なんとかしてこちら側に留まれ」と祈るように見ていたのだと思う。なにせ両方の世界を知っているのだから。

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自分語りがまたまた長くなりました(反省)

この深い川を渡れる人が、極少数なのだという事実。渡れるかどうかは運次第。

そしてまた、渡った先全く違う世界の景色は、元居た世界よりいいのか、すら、自信が無い。

私の友人に少数だけれどこの川を渡った人が居る。彼らの行動は、「高学歴の世界」のみで生きて来た人には理解不能な部分もあるけれど、

両方知っている「強さ」を、ヒシヒシと感じることがある。

 

上記のブログ「ひきこもり女子いろいろえっち」の筆者が、短歌に出会ったことが記されてるのです。

この人の筆力は、きっと短歌に向いている。繊細な感性も、いろいろ考える思考も、

ブログを書くことで発散する、というなら書くことが大好きなはず、

20代だという彼女、新世代の歌詠みとして鮮烈に登場しないかと

同じく短歌で自己表現をしようとしている私は、心から期待しちゃうのです。

 

 


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