紅葉真っ盛りの庭。
この日(21日)の主テーマは「榊原亀三郎と弱者救済所」
この日本最大の民間施設は榊原亀三郎の努力で明治30年ころ誕生。
当時街角には貧しさゆえに捨てられた子供や老人が多く暮らしていた。
そんな社会から棄てられた弱者を救済する施設を彼は個人の力で造った。
青年期は「べっ甲亀」と呼ばれた侠客で子分は70人もいた。
明治31年ころ、慈善運動に転身、日本で初めての「榊原救済所」を建設。
以来、孤児、極貧者、身障者、帰る家のない女性、出獄者など
一般社会で受け入れられない人を保護、救済、自立支援をした。
差別意識の強かった当時、どれだけの人が救われただろう。
ここはまさに「幸せの村」だった。平成の世になりこの偉業を称え、
跡地に記念碑が建てられた。
侠客の世界にいた彼が何故弱者救済事業に入ったか、
ヤクザ世界に来るものの殆どが貧困層、彼はそこに不条理を感じていた。
周辺の人々の協力、支援があったとは言え、
この偉業は教科書ものではないだろうか?
そういう私も知らなかったのですが、
もっと多くの人の知るところとなってほしいとおもいました。
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時代は遡って、江戸時代には貧しさゆえの「口減らし」のため老人や
生まれた子を棄てることもありました。
東北民芸品の「こけし」は棄てられた子を供養する意味で作られたと
読んだことがあります。
今日の講座は「楢山節考」や、JR篠ノ井線の「姥捨駅」を思いださせてくれました。