93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

「じっと手を見る」

2023-05-19 16:44:46 | 想い出

今朝から雨が降り続いています 19日

石川啄木を訪ねて十数年前、2人の妹と函館へ行きました。記念館にも。

函館郊外、大森浜の石川啄木像  立待岬遠望

金田一京助氏の尽力で歌集「一握の砂」を出しています

「砂山の砂に腹ばい初恋のいたみを遠く想いいずる日」

腹ばいになったのはこの大森海岸だったのだろうか?

「命なき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあいだより落つ」

指の間から落ちたのは大森海岸の砂だったのだろうか?

「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手をみる」

私も時折老いたわが醜い手を眺めます

あまり働きはしませんでしたけど・・・

石で追われたような故郷渋民村でしたが、最後まで懐かしんでいました

「かにかくに渋民村は恋しかりおもいでの山おもいでの川」

啄木は借金ばかりする、金銭にルーズだったとか色々言われましたが

毀誉褒貶相半ばとか、貧しく不遇ななか、

26歳の若さで生涯を終えました。

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沙羅の花が咲きました

2023-05-17 21:23:54 | お出かけ

紗羅の花が咲きました。 平家物語の冒頭に出てきます

「祇園精舎の鐘の聲~沙羅双樹の花の色盛者必衰の理を現す」

お釈迦様が入滅された場所に生えていたとされます

1年ぶりに手術した病院で受診、異常なしと。1年後の予約をしました。

私の勘違いで耐用年数が10年かと思っていた。 いま9年目です

実は異常がなければずっといつまでも行けるようだ。

止め具が緩んだり、大きな衝撃(転倒)で外れたりした時

再手術になるようです。 来年の予約とりましたが1年後まで

無事でいられましょうか?真夏日の暑い1日でした。

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池内 了氏講演会

2023-05-15 15:19:36 | お出かけ

会場が近かったので池内了氏講演会を聞きに行きました。

ご近所から誘われてもいましたが、先年亡くなられた池内紀さん

(ドイツ文学者、エッセイスト)の弟さんなので。お顔そっくりです

池内 紀氏の文学作品はあまりしりませんが

エッセーは数点読みました。残念ながら先年他界されました

今日の講演者池内 了氏は、紀氏の弟さん天文学者、宇宙物理学者です。

池内 紀氏つながりで聞きに行きました。名古屋大学名誉教授です。

   

科学技術の基礎研究は戦争と全く無関係のはず。

基礎研究には多額の費用が掛かるので、それを得るには国に頼らざるを得ない

軍事目的ならずとも軍事に転用されることもあるのだろう。

「戦争は科学技術の生みの親」ともいわれ、軍事研究の多くは

民生用にも大いに役立っている由。

気象衛星、GPS(アメリカが軍事目的で開発)自動運転等々。

デュアルユースなる言葉も知りました。(軍民両用技術)

何も知らない私は、ただただ興味深く拝聴しました。

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薔薇が咲きました

2023-05-09 11:40:20 | 日々の暮らしから

昨年は2~3輪しか咲かなかった

咲く前から今年は大丈夫と庭師さんの弁、

以前のようではないがまぁ咲きました。薔薇も老いたのでしょうか?

庭師さんから今年は何故よいのか説明受けましたが、基礎知識もないので

数日前のこととてもうすっかり忘れてしまいました。

薔薇には薔薇の事情があるのでしょう。

点検の意味もあり久しぶりに庭園灯点けてみました

数年前電力不足が言われていましたので、以来ずっと点けずに来ました

今後も多分点けないと思います

強いタンポポ。外来種は強いと聞いてはいましたが。

家の前の歩道でお隣との境の位置、お隣さんも抜かない、私も抜かない

舗装のわずかなすき間から出てきました。

いつかは命果てるでしょうが、その日まで見守りたいと思います。

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「不自由を常と思えば不足なし」

2023-05-07 14:22:20 | 老い

表題は徳川家康の遺訓とされている

最近頻繁に見る夢がある。運転してどこかへ出かけ、途中ではっと気づく。

運転免許証は返上して今はない。このまま走れば無免許運転である。

毎夜ではないがこのところ頻繁に見る夢です。

毎回はっと気づいたところで夢は終わる。

今のところよろよろながら歩ける足もある、タクシーも走っている。

なのに心の奥底で、車のない不便をかこっているのだろうか?

嘆いているのだろうか?

運転免許証返上当初は何とも思わなかったのに、今頃になって何故だろう?

老いた今、足の衰えと関係しているのだろうか?

昔のようにテストの夢や、丸木橋を落ちそうになりながら渡る夢は見ない。

見る夢にもその時の深層心理が働いていると言いますが

何故こんな夢を見るのか、私にはわからない。

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