昨日で私の写真展の準備が整いました。
それで気持ちにすっかり余裕が出来ました。
まだ伊豆高原の旅行の余韻が残っています。
午前中は写真の整理やブログのチェックをして過ごしました。
午後は、体操。
夕方から市長との懇談会があるはずだったのですが、ドタキャンされました。
その分、カード入れつくりを楽しむことが出来ました。
夜は会議がありました。
その前に母に会いに行きました。
帰ってからメールをチェックしながらテレビのダイヤルを回していたら
「その時歴史が動いた」が終わるところでした。
白州次郎という人物が講和条約成立時に
書き残した言葉がテロップで流れました。
「新しい憲法を日本人が心から理解し支持できるようになったとき、
戦後が終わる(そんな言葉だったように理解したのですが)」とありました。
何という言葉でしょうか。こう言い得た日本人がいたというのは驚きです。
そして日本はついに戦後を終えることなく、戦前にもどりつつあると言えるではないでしょうか。
白州正子は聞き知っていましたが、
その夫次郎については知りませんでした。
ケンブリッジ大学留学のエリート知識人だったようです。
また興味ある人の名前にあいました。
ただほんの一瞬の場面なので、まるで頓珍漢な理解かもしれません。
調べてみたくなりました。
それで気持ちにすっかり余裕が出来ました。
まだ伊豆高原の旅行の余韻が残っています。
午前中は写真の整理やブログのチェックをして過ごしました。
午後は、体操。
夕方から市長との懇談会があるはずだったのですが、ドタキャンされました。
その分、カード入れつくりを楽しむことが出来ました。
夜は会議がありました。
その前に母に会いに行きました。
帰ってからメールをチェックしながらテレビのダイヤルを回していたら
「その時歴史が動いた」が終わるところでした。
白州次郎という人物が講和条約成立時に
書き残した言葉がテロップで流れました。
「新しい憲法を日本人が心から理解し支持できるようになったとき、
戦後が終わる(そんな言葉だったように理解したのですが)」とありました。
何という言葉でしょうか。こう言い得た日本人がいたというのは驚きです。
そして日本はついに戦後を終えることなく、戦前にもどりつつあると言えるではないでしょうか。
白州正子は聞き知っていましたが、
その夫次郎については知りませんでした。
ケンブリッジ大学留学のエリート知識人だったようです。
また興味ある人の名前にあいました。
ただほんの一瞬の場面なので、まるで頓珍漢な理解かもしれません。
調べてみたくなりました。