つれづれに

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やっと出来ました、追悼集

2012年02月13日 | Weblog
 たった1冊の追悼文集です。

今年で17回を迎えた年に一度の旅行。
かって同じ住宅に住んでいて、
いろんなところ、 そうですね、
自治会だったり、PTAだったり、保育園や幼稚園で一緒だったことがあるメンバーが、
共通の友人の追悼会で集まって、それをきっかけに
旅をすることになったのでした。
今では茨城から兵庫まで広がった住むところから旅行地に集まって来ていました。

追悼集は突然亡くなったメンバーの一人の方へのものです。。
それも2011年の16回目の旅行の集合の日に姿を見せなくて、しばらく音信不通になりました。
娘と息子はすでに別々に居を構えていましたから、
彼女は一人住まいでした。
やっとついた連絡で、彼女は腎臓や心臓の状態が悪く、意識不明の状態にあることを知ったのです。

お見舞いもかなわないまま、3ヵ月後には亡くなったといういう知らせが・・・。
15回目の旅行は久しぶりに参加したその彼女の案内で萩・津和野を回りました。

いっぱいおしゃべりをして、おいしいものを食べ、
金子みすず記念館、安野光雅美術館を堪能したのでした。
何枚か撮った記念写真の彼女の顔がとても健康な人の顔でないことを私たちは見落としてしまいました。

言葉多くはなかったけれど、頼りにされて、みんなに愛されていた彼女。
私にとっても苦しい状況に置かれた時、最も安心して心打ち明けて、相談できる人でした。東京からわざわざ大阪まで出向いたこともありました。

自分自身のために自由に生きているようにはみえず、現代バレーに生きる娘のサポートに、年老いた母親の介護と看取りに、そして萩で悠々自適に退職後の生活を送る夫の癌との闘病を支え見送って、その2年後に倒れてそのまま眠り続けて逝ってしまったのです。

でも彼女はそんな生活を無念と思うこともなく精一杯生きたと思っていたと思ったりもするのですが、
でもこれからだったのに・・・・。

追悼集をつくりましょうということで上野に集合することにしていたのは偶然あの東北「大震災の直後の日。

結局集まれたのは昨年11月の姫路の旅行地でした。
そこで完成できなくて、でしゃばってしまった私が持ち帰り、やっと何とかなったのはこの2月8日。折りしも彼女の命日でした。

あまりに恥ずかしい装丁になってしまって、心苦しかったのですが、気持ちを伝えることを優先して 今日やっと息子さんのところに郵送しました。

たった1冊の、 でも思いのこもった追悼集です。