つれづれに

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映画 「汽車はふたたび故郷へ」を見ました。

2012年03月10日 | Weblog
 久しぶりで映画を見ました。

動機は簡単。日経新聞で五つ星なので、行ってみようとお誘いがありました。
ほかにも見たいものはありましたが・・・、行くことにしました。
その題が「汽車はふたたび故郷へ」。
グルジア出身のオタール・イオセリアーニ、監督による自伝的作品とか。
上映は岩波ホールでした。紳士然とした人がむかえてくれて、落ち着いた雰囲気です。

実は後で気がついたのですが「ここに幸あり」も、この監督の作品でした。

グルジア どこだったかと調べなくてはわかりませんでした。かってソ連の一共和国だったところです。

詩情ゆたかな珠玉の人間讃歌
ゆったりと流れる時間、と論評されています。
確かに住んでいる村は詩情ゆたかで、人間は淡々と
生きています。

3人の子どもたちが学校から帰って、
貨物列車のような汽車の乗り口につかまってでかけ、
森の中の教会らしき建物のタイルをはがして持ち帰る

そんなシーンがモノクロで流れていきます。
大人と子どもたちは、お互いを認め合いながら、叱るべきところは叱りながら、淡々と過ごしていきます

その子どもの一人が映画監督に、女の子はどうやら政府の文化部門の役人らしき人に。

彼の映画は完成するけれど、フイルムはカットされ、上映されない。この経過での政府関係者とのやり取りが、つかまって拷問を受けるなど、淡々と描かれる。
見ていると滑稽の思えるけれど、あれが現実なのだと。

大臣だか高官に海外に出ることをすすめられて、フランスへ。(あれは亡命なのだろう)

フランスでは、いろいろ職をかえ、動物園の飼育員をやったりしながら食べていきます。
やっと認められて映画を撮りますが、映画会社の陣営の人たちによって、またも撮影の終わったフイルムはずたずたに切られる。

彼はこれでは同じだと故郷に帰っていき、家族に囲まれた自然の中で過ごしますが、釣りの最中に川に落ち不思議な魚に導かれて、亡くなってしまいます。

見終わって私たちはなんと言い表していいのか、困惑していました。鑑賞し評価するにはバックグランドが乏しかったように思いました。

私にはこの作品を評価する力はありませんので映画紹介のHPにあた紹介文を載せておきます。

故郷を離れざるをえなかった数多くのアーティスト達にオマージュを捧げた「イオセリアーニの集大成」なのです。
かつて監督が「最高に深刻なことを、微笑みをもって語る」のが自分のやり方だと語ったように、盗聴や監視、検閲や抑圧など、主人公が体験する事柄はいずれもシビアでありながら、その描き方はあくまでもユーモラス。生きてゆくことのほろ苦さと甘さを、絶妙なさじ加減のユーモアで描いてみせる“人生の達人”イオセリアーニならではのノンシャランの真骨頂といえましょう。
 ンシャランとは歌わぬ人という意味です。

監督のメッセージは「何よりも大切なのは、自分自身でいること。
僕が僕であるために、曲げない、めげない、あきらめない。」だそうです。


こういったことを頭に入れてみるべきだったと痛感しました。