つれづれに

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星野道夫のエッセイ(イニュニック)に見つけた風についての言葉

2012年11月12日 | 写真
どういうわけか週末に持病の蜂窩織炎が出てきます。
10月に2週間も点滴して、「徹底的にたたきましたから」と
太鼓判を押されていたのに、またです。
仕方なく、病院へ。

点滴が終わったら、2時。空腹を感じて駅ビルでキノコいっぱいのスープらーめんの昼食を。

食後のひと時を、持っていたイニュニック アラスカの原野を旅する(星野道夫)を読みました。

その中で出会った文章を書き留めておきたくなりました。

イニュニックとは、エスキモー人の言葉で「生命」を意味する。
星野道夫はアラスカをこよなく愛し、アラスカに長く住んでいました。アラスカの自然を撮り、動物を撮り、エッセイを書いていたのです。
そして撮り続けていたグリズリー(熊)に襲われて亡くなるという悲劇に見舞われました。

彼の文章はアラスカのただなかにいるような気持ちにさせてくれるのでした。

そんな文章が綴られているこの本の中に「命は一体どこからやってきて、どこへいってしまうのだろう]というくだりがありました。

それに続いて、こんな引用がありました。
”すべての物質は化石であり、その昔は一度きりの昔ではない。いきものとは息を作るもの、風をつくるものだ。 太古からいきもののつくった風をすべて集めている図書館が地球を取り巻く大気だ。
風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石なのだ”(谷川雁 ものがたり交響)

こんなふうに風をとらえ、表現するというのはすごいことだと、深い思索があってこその言葉だと感じ入ったのです。

実は私は風が好きで、風になってというブログをかいていたことがあります。
私が風を好きなのは、かなり感覚的なものです。
風が体をくるむ時、風が肌を流れていく時、とても幸せな気持ちになれるのです。

同じ風についての表現であってもこんなふうに風をとらえ、表現するというのはすごいことだと、深い思索があってこその言葉だと感じ入ったのです。