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タイトルを直訳すれば、”母なき哀しいブルックリン”って事になる。
当時の裕福な白人は、セクシーな若い黒人女を見ると片っ端から犯したのだろうか。お陰で”アンタの親父は誰なんだ?”ってタイプの派手な衣装を着た、数多くの混血娘がブルックリンのスラム街を屯したのだろうか。
ジョナサン・レセムの原作を舞台を1950年代に改変して映画化。恩人を殺された私立探偵が真相を調べていくうちに、この腐敗した街で権力を振りかざす、最も危険な黒幕にたどり着く。
1957年のニューヨーク。障害の発作に苦しみながらも驚異の記憶力を持つ私立探偵のライオネル。マイノリティの人々が集うブルックリンのスラム街を舞台に、僅かな手掛かりを頼りに天性の勘と抜群の行動力を駆使し、大都会の固く閉ざされた闇に迫る。
マザーレス・ブルックリン
物語の舞台は1950年代末のニューヨーク。LAドジャースがまだブルックリンにいた頃だ。特に女性は鮮やかな原色が目立つファッションからも、当時の複雑怪奇な風俗が色濃く伝わってくる。
この映画は、原作「マザーレス・ブルックリン」(1999)の90年代後半の時代とは大幅に時間を巻き戻してるが、基本的には”横暴な権力者に貧困層がいかに闘うか?”というテーマで、いわゆる典型の”ジェントリフィケーション現象”を描く。
因みに、この”Gentrification”という聞き慣れない言葉だが、都心近くに住む低所得層の居住地域を”再開発”により活性化し、富裕層が流入する人口移動現象の事で、”地域の高級化”とか”都市の富裕化”とも言われる。
事実、NYはこうしたスラム街を潰す事で、世界一の大都市になり得たのだ。つまり、”都市再生”とは聞こえはいいが、実質の”ニグロ撤去”計画の事で、家賃や地価は急騰し、貧困層は転出を余儀なくされる。
ここまで言えば、大まかな流れは理解できるとは思うが。この作品を有名な都市開発者の祖父を持つエドワード・ノートンが監督•脚本•出演を務めるだけに、多少はユニークに映ったし、期待した人も多かったろう。
以下、”腐敗したNYの闇に迫る”より抜粋&編集です。
A・ボールドウィン演じる権力者、モーゼス・ランドルフのモデルとなったのは実在する都市計画家のロバート・モーゼスだろうが、原作には登場しない。しかし、このロバートこそが都市開発に乗じ、貧困層を露骨に郊外へ追いやった人物だ。
本作におけるランドルフは完全な悪役だが、実在する”世界都市ニューヨークの創造主”であるロバートは、実際にはそこまで悪くはない(らしい)。
ランドルフの隠し娘で、物語の重要な役割を担う混血女のローラ(ググ・ンバータ=ロー)も原作には登場しないが、この二人は主役のエドワードを凌ぐ存在感がある。
その他で気になるキャラといえば、マイケル・ケネス・ウィリアムズ演じる洒脱なトランペッターだ。ブルックリンっ子でもある彼だが、マイルス・デイヴィスの様なカリスマ感を披露し、ジャズ好きには堪らんだろう。
しかし、モーゼスによる無謀な都市計画を契機に、サウスブロンクスでヒップホップが誕生したのは皮肉だが、同時に感慨深い。
アメリカでは、”アカデミー賞狙いなのでは?”と揶揄されもしたが、ノートン演じるライオネルは障碍者というより、その奇天烈さを見事に演出し、同情を誘うキャラでもない。
2時間強のロングランだが、ミステリーに埋没する事もなく、政治的な説教臭さもなく、非常にユーモラスな仕上りになってはいる。
以上、BANGERからでした。
最後に〜詰め込みすぎた名作?
仕上り自体はとても良かったと思うが、最初のフランク(B・ウィルス)が殺されるシーンは省いても良かったと思う。
特に、ライオネル(ノートン)、ランドルフ(ボールドウイン)、ローラ(ンバータ=ロー)そしてトランペッター(ウィリアムズ)の個性が傑出してた為に、この4人を中心に描写をまとめ、展開をシンプルにしても良かったと思う。
しかし、様々な登場人物がそれぞれの物語を持ち、複雑怪奇に展開させた為に、とても2時間強では収まりきれなかった。
多分劇場で観た人は、ネタバレを見て、もう一度観る必要があったろうか。
全てを埋めこもうとしたエドワードの気概も理解できなくはないが、所詮映画はフィルムという娯楽である。
名作には変わりはないが、詰め込みすぎたが為に専門家の間では、”ユニークな視点と出演者の見事な演技は鑑賞に値する”と評価されるも、”観客はやたら長い上映時間に耐える事を求められる”との酷評もあり、100点満点中60点の中途な成績だ。
つまりこの映画は、タテ軸に白人vs黒人、ヨコ軸に権力者vs庶民という単純な2次元的構図であり、複雑なミステリーにすべきではなかった。
特に、ローラとトランペットマンの優雅な香りと演技が、全体を通じてバックグラウンドを支配してただけに、惜しい気もした。
名作はシンプルであるべきだ。そういう事を教えられた作品でもあった。
黒人や貧困層の排除という基盤のもとに世界一の大都市が形作られた。そしてその影でブルックリンは泣いてるんだよな。
私のお母さんは何処へいったって
そして父親も何処かへ逃げ去っていく。
父も母も失ったブルックリンの隣には、高層ビルが派手にそびえ立つマンハッタンの摩天楼がでんと構える。
権力だけじゃないんだよな、ニューヨークをニューヨークたらしめたものは。
確かに権力ばかりに目が行きますが、ジャズの響きがこのNYを包み込み、何とも言えない風情を醸し出してます。
コメントとても参考になります。
でも、ブルースウイルスとウイリアムデフォーは余計だったですね。50年代のブルックリンの寂しくもきれいな描写の水を刺したような気もします。
アメリカは移民を受け入れ、と同時に排除してきた残酷な歴史があります。でもそのお陰で世界一の大国に成り上がったんですよね。
この映画はネオノワール調と言われてますが、ニューヨークの本質をそのまま表出してるみたいです。
権力と貧困とジャズの3つで勝負しても良かったし、ノートンの”IF”も何度も聞かされると少し・・・ですかね。