象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

羽根募金が消滅する日〜緑の募金と”歩こう会”と裏金疑惑

2024年05月21日 07時23分15秒 | 独り言&愚痴

愚の行進?

 我が部落には、メデタイ事に”歩こう会”なんて行事が存在する。世界各地の名所旧跡をタダで巡る旅であれば、喜んで参加したいものだが、我が村落の歩こう会は近場の農道をダラダラと歩くだけである。
 それも連休明けの日曜日である。勿論、過去に一度も参加した事はないのだが、毎年しつこい程の誘いが来る。こうしたド田舎の農道を歩く会は、何時頃から行われていたかは不明だが、少なくとも20年ほど前から行われてた様に思う。

 私は、一度だけ”現物”を見た事があるが、老若男女30人程が集団で列をなして農道を歩行してた様を見て、旧日本陸軍が第二次大戦時に捕虜に対して強いた”パターン死の行進”程でもないが、捕虜となった奴隷が強制的に歩かされてる様な錯覚に陥った。
 因みに、”パターン死の行進”とは、バターン半島で旧日本陸軍に投降したアメリカ軍の捕虜が、120Km先の捕虜収容所に徒歩で移動する際に、2千人以上の死者が出た行進の事を言う。

 それにしても何故、日本人は一緒に群がって行進したり、長蛇の列に並ぶのが好きなのだろうか?
 小さい頃から、”右へ倣え”とか”周りと足並みを揃えろ”とか”伝統と上様の言う事は絶対だ”などの団体教育が徹底されてからもあろうし、ムラ社会特有の同調圧力もあろう。
 確かに、和の文化に象徴される協調性の高さも同調圧力が強まる原因だが、日本では集団の調和を乱さない事が美徳とされ、多数派の考えと異なる言動は批判の対象となる事が多い。つまり、今も昔も戦時も、物事を荒立てず周囲と上手に付き合っていく事が重視されるのだ。
 全く、”歩こう会”の当番も大変だが、まともに世話をする側も、される側もこれまた哀れであり、いい迷惑でもある。


隣組の年会費再び

 いい迷惑と言えば、隣組年会費の集金の時期がやってきた。
 4月始めには、村の腐りかけた公民館費2500円を渋々と支払い、連休前には隣組年会費3200円を集金にきた。但し、我が部落にも比較的新しい集会所があるが、これにも1000円の管理費が別途請求される。
 因みに、今年の年会費の内訳は、青少年育成費(200)、緑と赤の羽根募金(800)、神社奉賛金(300)、福祉協議会費(500)、外灯代(1200)、公民館管理費(200)。

 確か、昨年の年会費は計4700円だったが、羽根募金800円と福祉協議会費500円は任意という事で支払わず、結局、3400円を支払った。
 そして今年は、(1昨年に)”街灯費以外は任意でいいじゃないか”と異論を訴えた事で、合計3200円の内、街灯代のみの1200円しか支払わなかった。
 但し(昨年不正があったとして)半期分の750円が返ってきた消防費だが、今年は前後期の1500円がそっくりそのまま消えている。
 元消防団員で会計もしていたので、金が集まる所には不正に繋がり易い事は百も承知だったから、払うかどうかは正直迷ってただけに、少し意外にも思えた。

 一応、公民館費だけはまともに支払った形となったが、ここ30年ほど全く利用しない旧公民館費の老朽化による修繕費が高く付き、管理費(300円)以外に2500円を徴収されるのがどうも癪に触る。多分、この管理費は(一応は)市が管理してるから任意とも言えないが、ずっと前に老朽化していた旧公民館を潰しとけば、集会所費の1000円だけで済んでた筈だ。
 全く田舎の隣組制度ってもんは、自治会どころか単なる老人会に成り下がり、何度集まって議論しても、一向に変わらない。
 私が吠えても、”昔から続いてる事”として跳ね返されるだけである。

 ただそれでも、年会費が4700円から3200円に下がり、実質は(街灯代の)1200円しか支払わなかったので、まずはシナリオ通りとも言える。残る課題は、旧公民館をどう始末するかである。一昔前の様に、外国の業者がタダで処分してくれれば何て事はないのだが、世の中はそう甘くはない。2500円は廃棄処分代の積立金として支払う必要があるのだろう。勿論、その為に新しい集会所があるのだが、今の時代、公民館自体がムダコン?である。
 これも、老人の介護に莫大な予算が掛かるのと同じで、結局、人は”老い”という余計な荷物を背負って生きていく。ましてや、自分が寝たきりになった時、こうした隣組の存在をどう思うのであろうか。

 一方で”そこまでセコい事しなくても”と言われそうだが、今回の仏事と消防費の消滅を機に、隣組が死滅し、余計な金の掛からないシンプルな自治会に生まれ変わる事を望むばかりである。でないと、いざという時には動けないような気がする。


緑の募金と裏金疑惑

 今年も羽根募金の勧誘がしつこい。
 隣組の年会費の中に含まれる任意の募金の筈だが、地域の回覧板でも大きく派手なチラシを折り込んで宣伝してくる。
 ”緑の羽根”じゃイメージが悪いのか?チラシには”緑の募金”とある。少し調べたが、”緑の羽根”と”緑の募金”は同じものだ。
 1950年、国土緑化推進委員会を結成し、緑の羽根募金を運動開始。1967年、国土緑化推進委員会が社団法人となり、1995年には”緑の募金法”を政府が制定し、それに基づく活動をする。その後、緑の羽根募金は”緑の募金”に改名し、2011年には公益社団法人となり、国土緑化推進委員会は”国土緑化推進機構”に改名。

 国土緑化推進機構のHPによれば、”緑の募金”で集まったお金は、緑化や森林整備活動をする団体へ支援金(交付金)として送られてるそうだ。
 募金額は中央募金と地方募金を合わせ、総額約21億円で、国土緑化推進機構が運営する中央募金の支出(交付額)は1.58億円。
 この交付額の内訳は、一般公募事業・森林整備19.0%、同・緑化推進12.7%、同・国際協力27.8%、次世代育成公募事業(次世代の森づくりを担う人材育成事業)10.8%、特別公募事業(子ども若者応援事業)6.3%、子どもたちの未来の森づくり事業23.4%と、令和元年(2019年)度の数値だが、令和5年も似たりよったりである。
 但し、”緑の募金による寄付金の使途のうち、緑のボランティア団体などが実施する(中央募金の)公募事業に交付決定した件数・金額を計上しています”との注釈だが、各都道府県の地方募金の集金額はHP等で公表されてるのに、中央募金の集金額は公表されてはいない。故に、HPのグラフから判断する他ないが(図参照)、令和元年で言えば少なくとも4億円を超える。
 憶測にすぎないが、残った募金額(4−1.58=)2.42億円の使途についての説明は見当たらない。

 確かに、”決定した”交付額の内訳は詳細に記載されてはいるが・・・2億を超える募金の半分以上は何に使われたのだろうか?寄付する側は収支の全てを明確に知る権利と必要がある筈だ。少なくとも、”決定してないから公表する必要はない”のであれば、それこそ不正や汚職に過ぎない。
 更に調べると、緑の募金の監査については公式HPでは触れていないが、支援団体の中には監査を個別で実施し、監査報告を公開してる所もあるという。故に、募金額の使途を全て公開する義務があると思うのだが、緑の募金も(赤い羽根募金と同様に)怪しいのだろうか?それとも、裏金疑惑の様に記載する必要はないのか?
 いや、寄付する我ら村民がバカなだけなのか?人がいいだけなのか?
 つまり、こうした所から腐った慣習を取り除かない限り、政治屋の裏金疑惑を究明するのは夢のまた夢であろう。


最後に〜募金が消滅する?

 因みに、福岡県緑の募金HPでは、令和4年度の募金総額は約6242万円で、内訳は家庭募金68.4%、職場20.3%、企業3.8%、学校1.4%、…となる。一方で使途(交付)は、道路・公民館17.1%、募金資材14.2%、推進事務費13.9%、イベント・学習12.5%、公園9.6%、学校9.3%、森林整備6.1%、…と多岐に渡る。募金推進費が計28%というのが少し怪しいが、一応の説明はなされてはいる。
 但し、隣のうきは市の様に行政区の負担軽減や家庭の金銭負担を理由に、家庭募金を廃止するケースも目立つ。たかが数百円の募金だが、明確で正確な監査報告が成されてないというのが本音だろう。

 因みに、我が地区は世帯数が2612戸ある。
 緑の募金が1戸300円とすると、783,600円。バカ正直な村民が多く見積もって90%いたとして、約70万円程になる。こうしたお金の一部が”俺とアンタの仲やっかん”という村の掟で曖昧に付されてるとしたら?
 これこそが数字で見るムラ社会の募金の黒い実態だと言ったら、数字に失礼だろうか。
 そうとは知らず、お人好しの村民たちは今までもこれからも、羽根募金を延々と続けるのだろう。
 少なくとも私は、そういう気にはなれない。



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