木村と力道山は、果たしてどちらが強かったのか?
これは未だに語り継がれる”伝説”であり、日本人からすれば、絶対に認めたくはない”敗北”でもある。
結論から言えば、明らかに”木村の負け”である。いや、大失態と言っていいかもしれない。
結果に失望した木村の同僚からは、”力道山を殺しましょう”という誘いもあったという。事実、木村の親友で空手王の大山倍達は、”私がアナタの仇を打ってやる”と殺意を顕にすると、木村は泣きじゃくったという。
そう、木村政彦は不世出の柔道家というよりも、情けに厚く、そして情に脆い人間だったのだろうか。
ならば、木村は力道山よりも弱かったのか?
その答えもNOである。つまりあの試合は、プロレスのリング上で、プロレスのルールでの”セメント”だったからだ。
本来なら引き分けで終わる”エキジビション”の筈だったが、”情に薄い”力道山が、木村のケリが力道山の股間を掠めただけでカッとなり、空手チョップで木村を殴り倒し、力道山の勝利という形で、”昭和の巌流島”と呼ばれた世紀の真剣勝負は呆気なく幕を下ろした。
少なくとも、一般的にはそう思われている。
本気でやれば俺の方が強い
力道山が逆上する気持ちも解らないではない。元々この試合は、木村が力道山に真剣勝負を挑んだ形で始まったからだ。
力道山とタッグを組み、シャープ兄弟と戦う度に、”負け役”として飼われ、力道山の足を引っ張り続ける役回りの木村だが、哀しいかな不世出の柔道王もプロレスという、派手なエンタテイメントの上では、力道山の”引き立て役”に過ぎなかった。
木村政彦の全盛時の稽古時間は一日10時間を超え、巨木に帯を巻き打ち込みをした結果、僅か1日でその大木を枯らしてしまった逸話はあまりにも有名だ。その甲斐もあり、公式戦は15年間無敗。
”木村の前に木村なし、木村の後に木村なし”と称された、最強且つ不世出の柔道王は、この世紀の対決の3年前には、かのグレイシー柔術の生みの親、エリオ・グレイシーの腕をへし折り、世界最強との呼び名も高かった。
その木村が“真剣にやったら俺の方が絶対に強い”と、力道山に鬱憤をぶちまけた気持ちも理解できなくはない。そう、木村は情に厚い人なのだ。
もし、このまますんなりと真剣勝負に挑んでたら、力道山が木村の屈辱を味わってたかもしれない。
しかし、時代はみんなが思う様には素直には進んでくれない。力道山サイドと交渉が進むにつれ、直前になり木村サイドが”引き分けにしよう”と妥協案を持ち出してきたとされる。
しかし木村は、力道山の左膝の致命傷を見抜いてた。勿論、力道山もそれは十分承知の上だった。
つまり、木村が本気で力道山の左膝を締めあげれば、決着は簡単につく。それどころか、力道山は一生プロレスが出来ないか、松葉杖を突いて歩くかになってたであろう。
言い換えれば、それほどまでに力道山の左膝は悪化してたのだ。
一方で、力道山サイドも打撃に持ち込めば、簡単に木村を仕留めれる事も承知の上だった。
木村が勝ってた筈の試合
純粋なセメントであれば、木村が勝ってたであろう。
しかし、この巌流島の対決は純粋な真剣勝負ではなかった。それは木村がプロレスのタイツ姿でリング上に現れた事でも明らかだ。
柔道王木村は柔道着を捨て、敢えてプロレスのリングに立った。つまり、引き分けの筈のプロレスショーが、力道山の暴走により途中からセメントになったとはいえ、プロレスのルールで、それもプロレスのスタイルで行われた”中途な真剣勝負”でもあったのだ。
力道山がいきなり放った右の拳は、プロレスでも反則技だ。そういう意味では、木村に同情する気持ちも理解できなくはない。
しかし、木村は世界最強の格闘家であった筈だ。セメントなら世界の誰にも負けない筈だった。それもプロのボクサーでもない力道山の右ストレートをまともにもらい、気を失った木村は数発の空手チョップを顔面に浴びせられ、呆気なくマットに沈んだ。
木村政彦の歯は折れ、瞼を切り、倒れたマットには直径50cm程の血だまりができた。
37歳の木村は30歳の力道山に、何も出来ないまま敗れ去った。もう3歳木村が若かったら、力道山の右の拳をよけられたであろうか?
いや、突然力道山が殴り掛かり、それを軽く受け流した木村が、力道山の左膝を粉砕してたかもしれない。
敗れ去った力道山は、プロレス界からもショービジネスからも身を引き、母国の北朝鮮に戻り、貧困なまま人生を追えてたかもしれない。
もし木村が勝ってたら、総合格闘術はプロレスに変わり、ショービジネスとしても大成功を収め、木村正彦は文字通り、”世界最強の男”として、悠々自適な人生を送ってたかもしれない。
負けるべくして負けた木村
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者の増田氏の疑問は、真剣勝負なら負ける筈がない木村が力道山の策略に嵌り、試合に負け、大観衆の前に恥を曝した。
その木村が諮った力道山を殺し恨みを晴らすと広言しながら、実行せず生き恥を曝し、生涯を全うしたのは何故か?その理由を探すために書いた700ページにも及ぶ長編ノンフィクションでもある。
しかし私の疑問は、なぜ木村は柔道着を捨てたのか?である。たとえエキジビションだとしても、真剣勝負に見せる為の演出は必要だったろう。万が一、途中からセメントになったとしても、道着は精神の支えにもなる筈だ。
事実、木村はこの試合の為の練習もせずに、その上、前夜の深酒が残る状態で世紀の対決にに臨んだとされる。
極論を言えば、明らかに木村は勝負を捨てていたのであり、逆に力道山は木村の心の隙きを見抜き、勝ちを確信したのかもしれない。
勿論、力道山が日本人であったなら、あんな暴挙は起こす筈もないが、奇襲も反則もプロレスの1要素ではある。つまり、力道山は最初からこの”八百長破り”を画策してたのだろう。
負けるべくして負けた木村と、勝つべくして勝った力道山。その後の2人の人生はお互いに哀しい結末となる。
力道山はこの9年後、ヤクザにナイフで刺され、39歳の短い生涯を終えた。一方木村は、この敗北を一生悔やみ、晴れ舞台を走る力道山を短刀を懐に呑んで、殺すつもりで付け狙ったとされる。
75歳で癌で死ぬ直前に、”力道山を殺したのはヤクザではなく私だ。私が死という言葉を念じて彼を殺した”と語った木村の言葉に、柔道王と呼ばれた面影はどこにもない。
アリにはなれなかった木村
”昭和の巌流島”ほどでもないが、それに近い真剣勝負が行われた。
そうアリvs猪木(1976年)である。
22年ぶりに行われたこの世紀の対決は、結果こそシナリオ通りの引き分けだったが、勝負としては非常にユニークに映った。
左足を粉砕された筈のアリだが、彼は最後までリング上に仁王立ちしていた。
アリは最後まで、”オレはチャンピオンで、キサマは黄色いクズだ”と侮辱し続けた。
試合後もアリは、”あれはほんのお遊びだったのさ”と猪木を見下し、ロッカーに戻った猪木を号泣させた。
”昭和の茶番”とまでバカにされた世紀の対決ではあったが、”昭和の巌流島”と大きく異なるのは、アリと猪木に深い友情が芽生えた事だ。
木村は生涯、力道山を憎み続けたが、猪木はアリを短刀で付回す様な真似はしなかった。アリは猪木に友情の手を差し伸べ、猪木も快く引き受けた。勿論、多額の借金だけが残された猪木にしては、腹立たしくも憎悪にも似た感情もあったろうが、アリの偉大さが猪木を救った形となった。
一方で、木村を地獄の底にまで突き落とした力道山には、木村に対する友情なんてこれっぽちもなかった。あるのは日本の武道界を侮蔑した傲慢な感情だけだった。故に、大山倍達は木村に復讐を誓い、力道山を路上で付回したが、誓いは果たせなかった。
木村政彦はなぜ、力道山を殺せなかったのか
なぜ木村は力道山に負けたのか?
本当に木村は力道山よりも弱かったのか?
その答えは天国にいる木村政彦が一番わかってるだろう。
木村は力道山に勝つべきだった。汚い手を使ってでも、奇襲を使ってでも勝つべきだった。
勝つべき人が勝たないと、世の中のバランスは崩れる。木村に勝利した力道山はその後、国民的ヒーローにはなるが、所詮眉唾臭いフェイクが創り上げた虚像でもあった。
木村は元々強い人間であった。一方力道山は元々弱い人間であった。しかし木村は情に脆く、力道山は情に強かった。
ひょっとしたら、年上の木村は力道山に友情に近いものを感じてたのかもしれない。プロレスをショービジネスに作り変え、興行的にも大成功を収めた力道山に、一種の憧れがあったのかもしれない。
木村にとっては、”昭和の巌流島”はほんのお遊びのつもりだったかもしれないが、力道山にとっては真剣勝負だった。
同じ様に、アリにとっても猪木との試合はお遊びだった。いやその筈だった。しかしアリは最後までリング上に立ち尽くしていた。一方で木村は顔面を粉砕され、リング上にそのまま横たわっていた。
結局、木村政彦は伝説の柔道王にはなれたが、偉大なモハメド・アリにはなれなかった。
力道山の意志を受け継いだ猪木が、木村が成し遂げたかったであろう異種格闘技世界一を興したのは皮肉でもある。
強さをひたすら追い求めた木村の目には、一体何が映ってたのであろうか?
本気で力道山を殺す気でいたのなら、1954年の”昭和の巌流島”のリング上で、木村は力道山を殺してたかもしれない。
ひょっとして、それが怖くて木村は情に走ったのだろうか?
木村は本気で力道山を殺すつもりだったのか?
この答えは今や誰にもわからない。
木村-力道山は、プロレス黎明期。
アリー猪木は、総合黎明期。
どちらも、ルールや技術が成熟した2000年代に行われていたら「面白い試合」になっただろうと思います。
しかし混沌とした草創期に戦ったからこそ「伝説の一戦」になったこともまた事実。後の世に生まれた自分としては、両者がリングに上がるまでの葛藤やマット上での戸惑い、戦い後の心境などを空想・推察して楽しもうと思います。
では、また。
昭和のプロレスファンなら、この話題だけで一晩は呑めますよね(笑)。
今やってたら、とも思いますが、興行的に見ればプロレスに軍配が上がりますかね。それに柔道は打撃系に極端に弱いから、それは今でも変わりませんが。
それよりも木村とヒクソンを見たいです。道着を付けたなら木村が勝ちますかね。あるいは力道山とハンセンとか・・・
ああこれもブログで書きたくなった。
話が長くなりそうなのでここら辺で失礼します。
ずっと旨味があると
スポンサーは踏んだんだんだろうね
最後で木村は端金で丸め込まれたんだ
弱気になった木村も木村だけど
スポンサーは木村よりも力道山に
商品価値があると判断したんじゃないのかな
ショービジネスにとおいては、どちらが強いというよりも、どちらがカネになるかが重要ですから。
多分木村も、自身とプロ柔道の限界を感じてたんでしょうか。