一般には、悲観主義者よりも楽観主義者のほうが、望ましい結果になる可能性が高いと思われる。
事実、”プラス思考”は一時ブームになったし、”楽観的に生きる方法”を教えるセミナーや書籍は多く存在するし、”楽観主義者は寿命が平均して11~15%長い”といった研究結果も発表されてる。
しかし、シェフィールド大学の心理学者であるFuschia Sirois氏は”特定のタイプの悲観主義者には、様々なメリットがある”と主張する。
そういう私も元々は楽観主義者だった筈だが、どうも私には合わない様な気がする。つまり楽観的に考える事で、考察や洞察といった”現実を読む力”が甘くなりがちなのだ。
敢えて悲観的に自分を見つめる事で、今まで見えなかった事や解けなかった事が見えたり解けたりする事が多々ある。
勿論、楽観主義を否定する訳でもない。楽観的に考える事は、健康に健全に生きる上では不可欠な事だからだ。
私のブログでは、否定的な事や悲観的な事をよく書いてるが、それは表向きなだけで、実は超のつく楽観主義者だったりもする。
私をよく知る友人は、”お前は言ってる事と考える事とやる事がそれぞれに違う”と言う。
つまり、楽観と悲観が交じる事なく、交互に行動や言動に現れるのだろうか。
そこで今日は、”防衛的悲観主義”という新たな悲観主義の話題です。
以下、「悲観主義者が成功や自信に繋がる場合があるのはなぜか?」から一部抜粋です。
防衛的悲観主義とは
悲観主義が人生にいい影響をもたらす場合は多くはないが、”防衛的悲観主義”と呼ばれる人々は、物事を悲観的に考える事で、多くのメリットを享受出来るという。
彼らは、未来の出来事について最悪のシナリオまでも含めた悪い結果を予想する。つまり、失敗になり得る要素を詳細に考える人種だ。
彼らが通常の悲観主義者と異なるのは、悪い結果を予想し、その原因となる要素を減らす為に行動する点だ。つまり、最悪のシナリオを想定し、最悪の事態が起きない様に策を講じる。
故に、彼らは他の人々よりも結果的に物事を上手く運ぶ事があると、Sirois氏は述べる。
2008年の研究では、防衛的悲観主義者にパズルを解いてもらい、彼らはネガティブな気分に促された時に、パフォーマンスが大幅に向上した。
これは、パズルが解けないシナリオを沢山想定し、パズルを解く際により慎重な戦略を採用したからだ。
悲観主義者は自分に自信がないと考えられがちだが、防衛的悲観主義者は自尊心が高い事もわかってはいる。
2007年の研究では、彼らの自尊心が他の悲観主義者よりも著しく高く、楽観主義者と同程度に高かった事が示された。
これについてSirois氏は、”悪い結果を予想し、それを上手く回避する事で自信を深めていったのでは”と述べた。
防衛的悲観主義者は、健康上のメリットもある。例えば、感染症が流行している状況にて、楽観主義者は”自分は大丈夫”と考えてしまうが、彼らは”自分も感染してしまう可能性が高い”と考える。その結果、様々な防衛策を講じ、不審な症状が出たら、早めに医師の診察を受ける傾向がある。
事実、悲観主義者の方が医師のアドバイスを聞き入れ易く、症状を軽減するなどの対処に積極的になる可能性が示唆されている。
一方で、多くの悲観主義者は不安に対処する方法として、嫌な事を考える事を避ける”回避”を使用しがちだが、防衛的悲観主義者は不安に対処する為に、あえて嫌な事を考える。
この点こそが、彼らが高いパフォーマンスを発揮する秘訣であり、必ずしも全ての悲観主義が悪い訳ではないとSirois氏は主張する。
以上、GIGAZINEからでした。
島国根性と楽観主義と
私はよく考え過ぎだとか、心配性だとか言われる。小さい頃の通信簿には”考える良い子だが、行動が遅い”とあった。
つまり、親父が生きてた裕福な頃から、慎重な悲観主義者だったのだろうか。私が田舎で嫌われるのは、この防衛的ネクラな性格からかもしれない。
事実、私の田舎にはネアカな楽天家が多い。いや殆どが楽天主義者だろうか。
日露戦争の英雄の山本五十六ですら、太平洋戦争に関しては”1年間は暴れてみせましょう”と講和案を語ったが、最悪のシナリオは想定してなかった。
当時、原爆投下や無条件降伏という最悪を予見してた将校や幹部はいただろうか?多分、一人もいなかった筈だ。
日本人は不安遺伝子を多く持つとされる。厳密に言えば、モノアミン(幸福ホルモン)の運び屋が少ないだけだが、その割には、追い詰められた時は、異常なまでに楽天的になる。
多分、不安を無視(回避)する事で、不安そのものを解消しようとする。最悪の不安はしっかりと存在してるのに、敢えて臭いものに蓋をする。
バンザイ攻撃も人間魚雷も特攻も、そう考えれば理解できる。つまり、恐怖に蓋をする事で恐怖から回避するのだ。
事実、コロナ渦でもその回避現象は多く見られた。マスクをしなさいと口酸っぱく言ってるのに、敢えて反対の行動を取る。最悪、マスクをしない事は自由の権利だと主張する。
日本が楽天国家でなかったら、無差別空爆や原爆投下や無条件降伏は回避できたろうか?
日本人が防衛的悲観主義者であったら、太平洋戦争は回避できただろうか?
”抑うつリアリズム”とは
多くの人々は、うつ病になると”世界に対する認識がゆがむ”と考え、”うつ病の人は物事を悲観的にとらえる様になる”と思われている。
しかし専門家の中には、”うつ病の人々は悲観的ではなく、むしろ世界を正しく認識している”と考える人が多くいる。
この様な考えは「抑うつリアリズム」と呼ばれるもので、このリアリズムの存在が事実だとすれば、うつ状態でない多くの人々は現実をポジティブな方向に曲解して捉えてる事になる。
抑うつリアリズムについて最初に示したとされる1979年の研究では、鬱の人の方が正確で客観的な判断が下せる事が、ある実験で証明された。
以下、「うつ病の人々は悲観的ではなく、世界を正しく認識しているのかもしれない」から一部抜粋です。
ボタンを押し、ライトが光るタイミングを制御する実験だが、ボタンを押した影響について、鬱でない人は”自分がボタンを押した事でライトを制御できた”と勘違いし、鬱の人は”ボタンを押してもライトに影響はなかった”と正しい判断を下した。
実は、ライトの光るタイミングと押すボタンには何ら関係はなかったのだ。
多くの抑うつリアリズムに関する研究を調査してきたColin Feltham教授によれば、”抑うつリアリズムが「脅威処理理論」と関連してるかもしれない”と指摘する。
脅威処理理論にては、人間は自分がやがて死ぬという事を認識しつつ、死という恐ろしい概念に直面する事を避け、一種の妄想的思想に逃避し、自らを欺くとされる。
”一部の心理学者は、人間が幸福である為には自己欺瞞的な要素が必要かもしれないと認めている”とFeltham教授は述べ、一般的な人々は多少の幸福な妄想をし続けてる状態にあるかもしれない。一方、うつ状態の人々は幸福な妄想を受け入れる事ができず、より現実を直視する可能性があると。
Feltham教授が、抑うつリアリズムを経験し易い人に挙げてるのは、内向的な人・男性・IQの高い人、そして軽度のうつ状態にある人だ。
但し、重度のうつ状態にある人は、現実を直視するよりも更に悲観的な方向へと思考が偏りがちだとの事だ。
うつ病こそが世界を救う?
しかし、全ての心理学者が抑うつリアリズムの仮説に賛成している訳ではなく、たとえばMichael Moore教授は、抑うつリアリズムについて懐疑的な研究者の一だ。
”確かに抑うつリアリズムの証拠がみられるものの、非常に狭い範囲の刺激に限定して発生する”と、Moore教授は指摘する。
これは、鬱の参加者が現実を正しく認識していたのではなく、実験の状況が正しい判断を下しがちな状況だった可能性があると述べる。
”ボタンを押してもライトに影響を与えられない”という状況は、うつ状態の人々の悲観的な思考に一致し易いといえる。
抑うつリアリズムが存在するとはっきり断言する事は出来ないが、Moore教授は抑うつリアリズムの研究が、うつ病のより効果的な治療を施す為に役立つかもと考える。
うつ病の治療に多く使用される認知療法では、”うつ病患者が自分の状況を悲観的に捉えている”という仮説のもと、偏った認知を修正しようと試みる。
しかし、もし抑うつリアリズムが証明され、”うつ病患者は悲観的ではなく、現実を直視しているだけだ”と判明した場合、認知療法のあり方が変化する可能性があると。
以上、同じくGIGAZINEからでした。
最後に〜人類よ、悲観的になれ
確かに、鬱も度が過ぎれば単なる病気かもしれないが、鬱が現実を正しく認識するという仮説は、満更間違ってはいないと思う。
蛇の毒が毒の血清を作る様に、鬱が現実の危機を打破する道具となれば、鬱は人生の敵ではなくなる筈だ。いやむしろ、楽天的な性癖こそが人類にとっては、大きな脅威かもしれない。
それはコロナに対する各国の大衆の対応を見ても明らかである。
しかし、コロナ渦序盤の優等生的で律儀な日本人のコロナ感染に対する用心深さは、今やどこかに吹っ飛んでる様な気がする。
内閣府は未だにコロナ感染よりも経済を重視し、地方のコロナ対策に関しては、殆どが投げやりだ。まるで、”東京さえ守れば日本を守れる”と考えてるようだ。
コロナ感染拡大で国民がパニックになるのは当然の現象であり、緊急事態宣言を発動すれば経済はパニックに陷る。
日本人は不安性民族でありながら、危機に異常なまでに脆い。追い詰められると逆に、楽天的になり開き直る。
政府のGoTo対策もその典型だろうが、それに乗ってしまう国民もまた楽天的すぎた。
そういう私も、コロナは秋には収束すると油断していた。4月にはコロナ危機のブログを何度も書いたが、すっかり忘れていた。
現実を直視してるつもりだったが、最悪の危機を見逃してたのだ。
政府は8日から、東京都と3県に非常事態宣言を出す予定だ。今更感もなくはないが、中途半端な上滑りの対策だけは回避してほしい。
しかし、今の危機感のない内閣と現実と最悪のケースを直視できない菅首相では、曖昧な形で終わりそうな気がする。
毎日の様に、コロナ拡大の数字を目の前に突き付けられると、パニックというより慢性化した鬱状態になる。鬱にはある程度免疫がある私も、流石に滅入ってしまう。
勿論、物事を悲観的に考える事はパニックという点ではタブーかもだが、あえて悲観的に捉える事で見えてくる客観的特質もある。
現実やエビデンス(検証)や数字(データ)を直視するという事は、我らサピエンスの最も重要な課題であり、最悪の危機を回避する上での最高の手段でもある。
結局コロナは、パニックという人災よりも、感染拡大という数字が人類に突き付けた結果だったのだろうか。
深夜に飲み屋街を歩いたら、罰金制度を設けるとか、そういった具体的な政策をしないと、自粛要請や曖昧な緊急事態宣言だけじゃ無理のような気がする。
危機感を持てと言っても、若者には通用しない。
彼らはコロナの後遺症すら理解できてない。若者の3密への行動の自由を阻止するには、強力な規制が必要なはずだよ。
特に今の若者は感性で動き、親父は下半身で動くから、要請や宣言だけじゃとても無理だな。
日本人の多くが心配性で悲観論主義者なら理屈で解らせれば簡単だが、感性と下半身で動く動物には通用しないね。
しかし転んだの論説には頭が下がる。
飲酒運転の罰金と同様、短期的に見ても有効打となりそうですが、地下に潜った時の対処も必要ですね。
でも中国や韓国に出来て、何故日本が出来ないのか。それに飲食店の時間短縮くらいでコロナが収束するのか?
専門家の意見では、経路不明の多くが夜の集団会食と見てるようですが、夜の街ではPCR検査に変わる敏速な大量検査が必要かもですね。
コロナ収束を願いながら人混みの、例えば初詣に行くとかいうバカなことをする。
私は年末に旅行しましたが、高速バスはガラガラでしたし、旅先も人影はまばらでした。しかし、旅行したと言えば、ヒステリックに騒ぎ立てる人がいる。私はその人の口から飛ばす飛沫のほうがよほど危険だと思う。黙って歩くだけの旅は感染することもないし、感染させることもないと私は思っているんですけどね。私は実態を見よと言いたい。感染するのは、させるのは、文字通り、濃密接触ではないかしら?
このヒステリックな気質は、太平洋戦争末期のバンザイ攻撃や人間魚雷とよく似てます。
このヒステリーが日本人の不安性と結びつき、パニックを巻き起こす。
メディアは飛沫感染ばかりヒステリックに騒ぐけど、接触感染によるエビデンスもここに来て大きく注目されてます。
つまり、感染の流れをもう一度正確に検証する事が重要ですが、防衛的悲観主義が大切なのはそういう事です。つまり、ヒステリックよりもエビデンスの段階に来てますね。
ヒステリックを回避する度に、危機に盲目になる。
日本人は元々エビデンスやデータに滅法弱い。その理由として、メディアは毎日飽きずに感染者の総数や死者だけを報告する。これは単なる数字であり、データですらない。データとはエビデンスに結びついてこそ、データになりうる。
これじゃコロナ感染に対し、正確に反応することはできない。中国や韓国や台湾政府はコロナに対し正確な対処を施した。日本は未だに曖昧な対応で、国民もパニックに陥りつつある。
空港検閲をもっと厳しくし、GOTOはするべきじゃなかった。経済自粛の中途な緩和なんてやるべきじゃなかった。
検察や内閣府の腐敗を見てもわかるが、トップがこれだと解決できる問題も解決できない。
英国はとても厳しい外出制限を課しました。アメリカは2度目のワクチン接種が始まりました。
それに比べ、日本は非常事態宣言とはいえ、飲食店の時間短縮の要請だけです。この国の惑星は何時から危機感喪失症候群になったんですかね。
考えるほどに哀しいです。
まず大きな要因としては、共産党の一党独裁制度にありますね。
故にコロナ対策では法的根拠は必要なく、強制措置を取る事ができました。
それに対し、欧米や日本は民主国家ですから、自由と基本的人権がネックとなり、法整備と議会の承認を必要とします。それに住民の反発もあります。
日本の緊急事態宣言と言っても、お願い程度の自粛要請で終わってます。
第二に、コロナ抑制の為には、検査の拡充もそうですが、感染した人を探し出し、隔離するしか他に方法はありません。東京で実地されてるPCR検査数は1日で1万件が限度です。故に日本人のモラルの高さだけが頼みです。それでも感染拡大は止まりません。
しかし中国は、全ての成人の行動がスマホアプリで追跡されてます。故に、陽性と確認された人は接触した人と感染経路を割り出すことができます。韓国も同じような追跡アプリを使ってますね。
こうやってクラスター感染を徹底的に抑え込んだ結果なんです。
それに中国も韓国もSARSで痛い目にあってますから、充実した精度の高い対策を課すことができたんですね。
日本も緊急事態宣言を発令するのなら、せめて追跡アプリの必須化を法整備すべきですね。その上で違反した人は罰金を課すとか。
今はそれくらいしか思いつきません。
いつもタイトルとtopフォト(画像)が見事で感心しています。
今こんな投稿する私は、まったくお気楽で楽観主義者。
記事は、是々非々で関心しています。
感染追跡アプリというのがありましたね。
感染経路のフローチャートみたいなのが作ればいいんですが、内閣にはそんな数学的頭はないし、専門家も数学は苦手みたいで・・・
でも緊急事態宣言の発動で一番ホッとしてるのは医療現場ではないでしょうか。ただワクチン接種となると再び現場も超のつく忙しさとなるでしょうか。
これから先どうなる事やら、たまには楽天主義になるのもアリですかね。
フォトやイラスト、それにタイトルには結構、神経使ってますね。
”是々非々”という表現は、私の記事にぴったりです。シンプルな思考でいいものはいい悪いものは悪いという事で、今年も宜しくです。