
”あんた、何様のつもり?”
って言われるタイプの人種がいる。
ごく普通に喋ってても、周りからはそう言われる。本人は当たり前の事を言ってるつもりなのに、どうも誤解される。
これはブログの世界でも同じであろうか。ごく普通に書いてるつもりても、”アンタ何様のつもり?”って反論を食らう時がある。
よく考えると、このフレーズは私が一番嫌うタイプである。というのも、小学6年の時の火災ポスターコンクールで、福岡県で金賞を獲り、校長室で景品と賞状を渡された時に、”君は何様のつもりよ”って顔をされた。
それ以来、こうした上から視線の暗黙の嫌味に、異常に警戒心を抱く様になった。
批判と差別
私はSNSとは、ある意味”批判する”事にあると思う。世の中の不公平や不正を指摘する為にもだ。しかし、こうした批判に対抗する言葉として、”アンタ何様のつもり”がある様に思える。
日本という農耕の島国は、未だに純粋なタテ社会である。故に日本では、権力を批判する事は権力を誹謗中傷する事とみなされる。
権力を批判し続けると”アンタ何様のつもり?”と言った反論が反射的に返ってくるのはその為であろう。
500年先を行くとされたアーベルのパリの論文もガロアの異次元の群の理論もリーマン予想も、当初それらを理解できない数学者には、”アンタ何様のつもり?”とみなされた。
彼らは普通に論文を書いただけだ。従来の数学を批判する為に、複素関数論や体の理論を展開した訳ではない筈だ。
しかし、彼らの理論が人類の許容範囲を超えれば、やはり”アンタ何様のつもり”ってなる。
権力や不正や不公平を全て肯定的に捉えたら、人類社会なんて紀元前に絶滅してた筈だ。
否定や差別は、人類を進化させる為にあると思う。逆を言えば、肯定や平等は退化する為にあるのだろうか。
事実、否定や差別が多かった昔は今ほどに自殺は多くはなかった。彼らは否定や差別を原動力にして生き抜いてきたのだ。
ネット上の誹謗中傷が若者の自殺の原因になってるとされるが、以下に紹介する偉大な黒人メジャーリーガーの苦悩と屈辱に比べたら、屁みたいなもんだ。
ハンク・アーロン
ハンク・アーロン氏が亡くなった。86歳だった。
アーロンは人種差別を乗り越え、1974年に通算715号を放ってベーブ・ルースの本塁打最多記録を更新する。1976年の引退までに755本塁打。2007年にバリー・ボンズに抜かれるまで30年以上にわたって大リーグ最多記録を保持した。
1977年に王貞治氏が756号を打ってこれを更新したが、世界記録とは認められる筈もない。当時は今と違い、球場の大きさも野球のレベルも大きな違いがあったからだ。
メジャーでは、本塁打王4度、打点王4度、首位打者に2度輝き、通算2297打点は歴代1位で3771安打は同3位。ゴールドグラブも3度受賞し、走攻守ともに高い次元で支配したオールラウンドプレイヤーでもあった。
アーロン氏は、人種差別が激しかった南部アラバマ州の生まれで、幼い頃は貧しく、用具を与えられ、野球に親しむ様な環境ではなかった。
大リーグのボストン・ブレーブス(現アトランタ)と僅か1万ドル(約104万円)で契約。1954年にメジャー昇格を果たすと、183センチ80キロの細身の体はアーチを量産した。
ルースのメジャー記録714号にあと1本と迫り、シーズンを終えた1973年から翌74年にかけ、白人至上主義者らの脅迫に拍車が掛かり、何と殺害予告もあった。
そんな逆風の中、1974年4月8日のドジャース戦であっさり715号を放って抜き去った。派手なガッツポーズも雄たけびもなく、淡々とダイヤモンドを1周。気が付けば40歳になっていた。
”ちょっと憤慨したね。おそらく私の生涯でも光り輝いていた時だった。でも正直、早く終わってほしいと思ってたよ”
ハンク・アーロンの名を日本のファンに浸透させたのは王貞治だが、アーロンの記録を塗り替えた”世界の王”を心から祝福し、アメリカに紹介したのはアーロンだった。
1974年の日米野球で来日した際、2人は本塁打競争で日本列島を沸かせ、それ以来、アーロンと王の熱く深い友情は続く。
そんな温厚で紳士なアーロンも、珍しく感情を顕にした事があった。バリー・ボンズがアーロンの記録を塗り替えようとした日、セレモニーに出るのかと問われた時だ。
”その瞬間に立ち会うつもりはない”
薬物使用が取り沙汰されるボンズと自分との歩みは違う。そんな強烈な自負が短い言葉にこもっていた。
今、その数少ない本物の職人が去ってしまった。
以上、「差別を乗り越えた職人」を一部参考にしました。
最後に〜差別が当たり前の時代
当時の人種差別は、今とは比較にならないほど酷かった筈だ。
かのベーブ・ルースですら”ニガーリップ”とあだ名されたくらいだ。つまり当時は、アメリカ白人にとって気に入らない奴らは、皆”ニガー”と呼ばれた。
そんな中でアーロンはプレーし続けた。
ホームランを打つ度に野次られ、打てなければもっと野次られた。
しかし、アーロンは差別された事を一言も口にしなかった。流石の口の悪い過激な白人も、最後には”アンタは本物だよ”とアーロンを認めた。
アーロンが王と本塁打競争で対決した時、10対9で何とか勝利し、メジャーの面目を保った形となったが。明らかに、アーロンは力を抜いてた。敢えて競り合いに持ち込み、わざと観客を沸かせたのだ。
そんなアーロンもメジャーでは身体は小さい方だったが、王に比べると1周りも2周りも大きく感じた。
勿論普通に打てば、アーロンの圧勝だったろう。しかし、彼は自らのパフォーマンスよりも王との友情を優先した。
アーロンとはつまり、そういう人物なのだ。決して”何様のつもり”の人間ではない。
彼は当たり前の事をやり、当たり前にプレーし、気がついたら本塁打の世界記録を樹立していた。彼にとってはただそれだけの事だったのだ。
もし、アーロン氏が今のネット上の誹謗中傷で自殺する若者の惨状を目の当りにした時、なんと言うだろうか?
”俺の場合、ちょっと憤慨したね。でもそれだけの事だったよ”とでも言って、笑い済ましたろうか。
昔は差別が強かったけれども仲間同士の結束も強かったのではないでしょうか。
またスポーツの世界はいくら人種差別されても実力の世界だから、実力のある人は案外平気だったと思います。
それにしても黒人の人たちの運動神経というのは秀でていますね。それから見れば、一番情けないのがわれわれ黄色人種かもしれません。身体は小さくて体力がなく、運動神経も劣るとなると…。もちろん例外はありますが、総合的に、黄色人種は一番いじめられやすい人種かもと思えます。
アメリカの差別って、殆ど暴力か殺人そのものです。
ベーブルースも敵地ではファンからナイフで脅されてたし、ルースのシーズン本塁打記録を塗り替えたロジャーマリスはNYの地元ファンから椅子を投げつけられてました。
スタンハンセンもNYの観客から体中をナイフで刺され、日本でプロレスをするようになりましたし、タイガーウッズは針で目を刺されそうになるなど、数え上げればキリがないです。
とにかく彼らは気に入らんかったら、暴力で脅す。脅しに乗らなかったら最悪殺す。
今では白人警官が黒人を殺せば大きなニュースとなりますが、昔は当り前の様に行われてました。
それに比べれば、日本は平和なもんです。
でもそんな昔の良き悪きアメリカの時代が懐かしく思われますね。
そんな貧困層に多い白人警官が、どうしても黒人に八つ当たりする。ここら辺の物語は読んでてもとても辛いです。
人種の数だけ差別がある。まるで人種差別のサラダボール。
単一民族の日本人にはとても理解できないですよね。
アーロンさんの時代は黒人差別全盛の時代でしたから。
黒人の公民権法が成立したのが1964年で、過激派黒人開放運動のマルコムXが暗殺されたのが翌年の1965年で、穏健派公民権運動の指導者であったキング牧師が暗殺されたのが1968年でした。
つまりアーロン氏は黒人開放運動の真っ只中でプレーした偉大な大リーガーでした。
黒人差別を堂々と口に出せない時代。今と異なり相当に苦しかったんでしょうね。
アーロン氏のご冥福をお祈りします。
当時のメジャーは黒人と白人が握手をしない時代でしたから、ハイタッチが編み出されたとも聞いてます。
アーロン氏も本塁打の世界記録の嬉しさよりも悔しさ百倍だったんでしょうが。その分、王さんへの友情は深かったんでしょうね。