前の記事で書いたように、茶葉は時として茶器を選ぶ。
それだけ茶農さんのお茶は繊細、ということなのだが、
誤解のないように付け加えると、前述した品茶用蓋碗で淹れたお茶でもそれなりに美味しいことは美味しい。
ただ、授業として飲むためには、しっかりその内質を伝えてくれないと困るのだ。
条件を整えてからいただいた今年の蜜蘭香(写真)は本当に身体にしみわたるようだった。
ずっと前に鳳凰単叢の特徴は飲んだ後の清涼感にある、
と何かの本で読んだ気がしたのだが、
長いこと鳳凰単叢の後味は飲み続けていくと
ある種の渋さが舌に重なって残っていくことが多く
本に書いてあるのとは違うように思っていた。
この蜜蘭香はまさしく飲んだ後は口の中がまるでミントを噛んだ後のように
爽快で清涼感が残る。
何煎飲んでもそれは同じ。
茶農さんによれば、発酵しているお茶に清涼感を持たせることは、
作る側にとっては大変なことなのだそうだ。
鳳凰単叢も淹れ方によって、
ダージリンファンが求めるような軽妙な渋さを出すことはできるそうだが、
本来良質な鳳凰単叢が口に残る渋みを伴ったり、
それが極意…というようなことはないのだとか。
一部ではそれこそが余韻だなんて言われたりもするが、
元々はそうではなかったはずだと言う。
次回の授業では、その辺りのことを歴史的事実と共に証明していただけるそうな。
生産者の立場でもありながら、
ユーザーとも直接交流のある茶農さんによる
贅沢なマンツーマン授業。
将来的には希望する方がいらっしゃれば、
そしてもちろん茶農さんがOKなら
サロン形式で授業してもらってもいいな、なんて考えている。
今回の授業は蜜蘭香と芝蘭香を中心に、
鳳凰単叢、特に烏[山東]山産の内質をつかむことが目標だった。
日本では蜜蘭香の人気に隠れて芝蘭香が取り上げられることが少ないが、
これも芳しく、すっきりとした中に深みのある美味しい単叢である。
鳳凰単叢は、ずっと台湾の烏龍茶しか眼中に無かった私の考えを
覆してくれたお茶でもある。
「ちょしさんの淹れた単叢は美味しいですね!」といつか言われてみたい