そろそろ競技用プログラムの情報も出て来る頃ですが、もうちょっとバチェラレットで遊んでみようかと思ってます。
念のため、いつものようにまともなスケートの話はしてません。バチェラレットを肴にして遊んでるだけです。書いてる本人は楽しいですが、読む価値は多分あんまりないので気にしないで下さい。
***
フィギュアでいう表現力とか芸術性って多分、あくまで氷の上で見せているものへの評価だと思うんですが(そうでなければ点の付けようがないですしね)、私が興味があるのはどっちかというと、その前の段階かも知れなかったりします。つまり「この人は何を伝えようとしてるのか?伝えるべき何ものを自分の内部に持ってるのか?」ということ。
スケートとして評価されるべきなのは美しい姿勢であったり指先まで神経の通った動きだったり音楽とタイミングが合ってるかとか多分そういう部分だと思いますが、個人的にはそれだけじゃなくて、その人が何を感じ、何を考え、何を表現したいと願うのか、そこの部分を見たいなと思ってます。
でもそんなことを客観的に評価できる基準なんて多分この世に存在しないので、私は審査員には永遠になれません。で、こんな所で、あくまで外野で、勝手に遊んでいる訳です。
「バチェラレット」を見ててふっと思い出したのは、「そう言えば大ちゃん、日本のホラー映画が好きって言ってたっけ」ということでした。
別に、ホラー映画の世界を表現しようとして作ったプログラムではないと思いますが、普段からああいう世界を自分の中に持ってるからこそ出て来た表現かも知れないと(言っても私、せいぜい「リング」とか「呪怨」とかせいぜいその辺しか知らないですけど)。
暗闇の中に潜む、得体の知れない「何か」。目には見えないもの。実体の掴めないもの。
曖昧で、混沌としたもの。
想いには形がない。それ故に、限りもない。肉体が滅びても尚この世に留まり、闇の中から手を伸ばし、叫び続ける。…
「リング」の何が怖いって、「ビデオを見たら死ぬ」ってことではなく、「他人を無差別に呪い殺したくなるほどの恨みの深さ」だと思うんですよね。現象よりも、それを引き起こす感情が怖い。
子供の頃、暗闇の中に何かがいると勝手に想像して怖がってた(らしい)ということと、こういう映画を好んで観ることはどっかで繋がってるような気がしないでもないです。
そして何より怖いのは、「もしかすると彼の目には、本当に世界はこういう風に見えているのかも知れない」と、そう思ってしまうことだったりします。混沌とした、得体の知れないものが潜む暗闇(そしてそれは人の心そのものでもある)。
そうなるともう、ことはスケートだけの話では終わらない。この「世界」そのものについて考え直さなければならない訳で…で、ここで話が「ノクターン」に戻るんですけどね。
怖かったんです。いや、マジで。
***
要するに何が言いたいのかというと、「バチェラレット」のあの表現は、決して無闇に奇を衒って訳もわからずにやってるんじゃなくて、ちゃんと彼は自分の中にある自分の表現したいものを表現してるんだなと思った訳です。
しかもそのまんまホラーをホラーとしてやってるんじゃなくて、もっと本質的なもの、枝葉の部分は取り払った普遍的な表現としてやって見せてくれているから、見る方はそこから自由にディテールを想像して楽しむことができるんですよね。
それが楽しいです。
個人的には、手塚治虫的ではなく、水木しげる的世界観だなーと思います。私が水木ファンだからかも知れないけど。目に見えるものが全てではなく、理屈では割り切れない世界。暗くて怖くて不気味だけれど魅力的な。
結局いつもと言ってること一緒ですね。
***
そんなこんなで神戸に帰って来ました。本当は月曜日には帰って来てたけど、休みの間に溜まってた仕事を片付けなきゃならんかったもんで。
***
拍手コメント返信
メールが届かないみたいなのでこちらで。超私信なので要反転で。
こちらこそお世話になりました楽しかったです!
それとお土産ごちそう様でしたすごく美味しかったです。お気遣いありがとうございました!
念のため、いつものようにまともなスケートの話はしてません。バチェラレットを肴にして遊んでるだけです。書いてる本人は楽しいですが、読む価値は多分あんまりないので気にしないで下さい。
***
フィギュアでいう表現力とか芸術性って多分、あくまで氷の上で見せているものへの評価だと思うんですが(そうでなければ点の付けようがないですしね)、私が興味があるのはどっちかというと、その前の段階かも知れなかったりします。つまり「この人は何を伝えようとしてるのか?伝えるべき何ものを自分の内部に持ってるのか?」ということ。
スケートとして評価されるべきなのは美しい姿勢であったり指先まで神経の通った動きだったり音楽とタイミングが合ってるかとか多分そういう部分だと思いますが、個人的にはそれだけじゃなくて、その人が何を感じ、何を考え、何を表現したいと願うのか、そこの部分を見たいなと思ってます。
でもそんなことを客観的に評価できる基準なんて多分この世に存在しないので、私は審査員には永遠になれません。で、こんな所で、あくまで外野で、勝手に遊んでいる訳です。
「バチェラレット」を見ててふっと思い出したのは、「そう言えば大ちゃん、日本のホラー映画が好きって言ってたっけ」ということでした。
別に、ホラー映画の世界を表現しようとして作ったプログラムではないと思いますが、普段からああいう世界を自分の中に持ってるからこそ出て来た表現かも知れないと(言っても私、せいぜい「リング」とか「呪怨」とかせいぜいその辺しか知らないですけど)。
暗闇の中に潜む、得体の知れない「何か」。目には見えないもの。実体の掴めないもの。
曖昧で、混沌としたもの。
想いには形がない。それ故に、限りもない。肉体が滅びても尚この世に留まり、闇の中から手を伸ばし、叫び続ける。…
「リング」の何が怖いって、「ビデオを見たら死ぬ」ってことではなく、「他人を無差別に呪い殺したくなるほどの恨みの深さ」だと思うんですよね。現象よりも、それを引き起こす感情が怖い。
子供の頃、暗闇の中に何かがいると勝手に想像して怖がってた(らしい)ということと、こういう映画を好んで観ることはどっかで繋がってるような気がしないでもないです。
そして何より怖いのは、「もしかすると彼の目には、本当に世界はこういう風に見えているのかも知れない」と、そう思ってしまうことだったりします。混沌とした、得体の知れないものが潜む暗闇(そしてそれは人の心そのものでもある)。
そうなるともう、ことはスケートだけの話では終わらない。この「世界」そのものについて考え直さなければならない訳で…で、ここで話が「ノクターン」に戻るんですけどね。
怖かったんです。いや、マジで。
***
要するに何が言いたいのかというと、「バチェラレット」のあの表現は、決して無闇に奇を衒って訳もわからずにやってるんじゃなくて、ちゃんと彼は自分の中にある自分の表現したいものを表現してるんだなと思った訳です。
しかもそのまんまホラーをホラーとしてやってるんじゃなくて、もっと本質的なもの、枝葉の部分は取り払った普遍的な表現としてやって見せてくれているから、見る方はそこから自由にディテールを想像して楽しむことができるんですよね。
それが楽しいです。
個人的には、手塚治虫的ではなく、水木しげる的世界観だなーと思います。私が水木ファンだからかも知れないけど。目に見えるものが全てではなく、理屈では割り切れない世界。暗くて怖くて不気味だけれど魅力的な。
結局いつもと言ってること一緒ですね。
***
そんなこんなで神戸に帰って来ました。本当は月曜日には帰って来てたけど、休みの間に溜まってた仕事を片付けなきゃならんかったもんで。
***
拍手コメント返信
メールが届かないみたいなのでこちらで。超私信なので要反転で。
こちらこそお世話になりました楽しかったです!
それとお土産ごちそう様でしたすごく美味しかったです。お気遣いありがとうございました!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます