スケートカナダの、大ちゃんの演技の感想の続きです。
今回はFSの「オペラ座の怪人」。先日のCSの放送で改めて映画版を見て、それからもう一度この演技を見て、そしてすごく幸せな気分になりました。
……なのですが、ここでちょっと話が逸れます。毎度のことながらすごくアホなことを書いてる気もするのですが、書いちゃったんだからしょうがない。例によって、スケートとは全然関係ないですよ。
***
「オペラ座の怪人」の原作小説が発表されたのはほぼ100年前の1910年。1925年に作られた映画は、サイレント時代のホラー映画の傑作として名高い、らしいです。……ドラキュラやフランケンシュタインの怪物と同じ西洋妖怪だったのね、ファントムさん。
大体、洋の東西を問わず、「特定の場所に棲み付く得体の知れない存在」っていうのは定番です。姫路城の刑部姫とか、西洋の妖精にも似たようなのはいるし、現代の学校にも花子さんやなんかが棲み付いている(しかも大抵そういうものって、祟りもするけど助けてもくれる、守り神と化物の中間みたいな存在なんですよね)。
ファントムはそんな化物じゃない、ちゃんとした人間として描かれているじゃないか。そう仰る方もいるかも知れません。でも、桃太郎の鬼も大江山の酒呑童子も元になったモデルは(多分)人間です。社会の規範から外れた異質で得体の知れない人間を人々が「鬼」と呼ばれた(多分)。
実は私は、「鬼は人間の脳の古い皮質に住んでいる」という説をなんとなく信じてます。得体の知れないものに対する恐れが鬼や妖怪や怪物といった概念を生み出し、社会から外れた人々がその概念を自らのアイデンティティーとして取り込んだ結果、幻の化物たちが実体を持つんじゃないかと。
という訳でファントムさん。本名はエリックというそうですが、ファントムの正体がエリック、という単純な話ではなく、不幸な生い立ちによって社会性を奪われたエリック少年が「ファントム」という概念を得て怪人を実体化させてしまったんじゃないかと思う訳です。エリックさんは一人の人間ですが、「ファントム」という存在はエリックの肉体を借りた、もっと普遍的な存在なのではないかなと。
なんでそんなこと考えたのかというと、「The Phantom of the Opera」の歌詞がすごく気になったから。
「The Phantom of the Opera is there inside my(your) mind…」
私(お前)の「心の中に」いるって歌ってるんですよ。なんかそれって、肉体を持った人間ではないっぽい感じ。一方のラウルくんは「All I Ask of You」で「beside you(君の側にいるよ)」と歌ってます。こっちが正常な恋人の位置関係だと思います。
実際、「The Phantom of the Opera」では他にもクリスティーヌが「私はあなたを覆う仮面」と歌ったり、ファントムが「(聴衆は)お前の歌に私を聞くだろう」とか歌ったりして、クリスティーヌは完全にファントムのイタコ状態です。
ALWのオペラ座は、歌詞に含みが持たせてあって「ご想像におまかせします!」な部分が多いなと感じたのですが、そういう、様々な解釈な許される中のひとつの見方として。
……クリスティーヌの方はラウルとの関係も手伝って、揺れ動きながらもどうにかイタコ状態から抜け出して一人の人間としてエリックに向き会おうとしてるんだけど、一方のエリックはもう完全にファントムと一体化してて、最早光のある所には戻れない。
一度はクリスティーヌを闇の中に引きずり込もうとしたファントムだけど、彼女が最早イタコではないことに気づいて、彼女だけを光の中へ送り出す。
そういう話だと解釈するのも面白いかなーと。
ついでに、鬼が棲んでいる脳の「古い」領域は、新しい領域=理性や文明によって失われつつある野生の本能や直感のある場所でもあるんですよね。てことは普通の人間が社会性と引き換えに失った芸術的霊感もそこにはあるはず(実際、人間に芸術的な霊感を与える鬼や妖精や化物の話も東西に山ほどあるわけで)。
映画の中でファントムを「獣」と形容している部分がありますが、彼は「獣=野生」だからこそ、人間的な社会性によって曇らされていない、研ぎ澄まされた感受性を持ち得ているのかも知れません。
そしてもう一つ気になるのが「Masquerade」の歌詞。
最後にファントムがオルゴールに合わせて歌う所、仮面舞踏会の場面と同じ歌詞なんですね。
Masquerade! Paper faces on parade . . .
Masquerade! Hide your face,
so the world will never find you!
これが「四季」版では訳を微妙に変えてあるらしい。よく見ると確かにダブルミーニングしてる?
ざっくり直訳すれば「そこら中仮面だらけ、君も顔を隠せ、世界中の誰にも見つからないように 」って感じで、舞踏会の場面で歌えばまんまシーンの描写ですが、これをファントムが一人で歌うとなんだか、現実世界を揶揄しているようにも見えます。
「お前らだってみんな(私と同じように)仮面を付けて、お互いに素顔(本性)を隠してるじゃないか?」
……仮面という名の理性の下には、誰もが皆ファントムと同じような野生の狂気を隠している。
オペラ座の怪人はここにいる。私(たち)の心の中に。
……なんてね。
***
長い遠回りでした。やっと大ちゃんの所へ帰って来れました。
私が思う、今回の演技での見所。
「All I Ask of You」の柔らかな表現と美しいレイバックスピン(あそこで何でレイバックなのかは映画見ると分かる気がする)も当然そうだし、ゴージャスなサーキュラーステップ&狂乱のストレートラインステップも必見なんですが。
でもやっぱり今回一番のポイントは、高橋大輔のエロい表情だと思います……。
特にサーキュラーステップの後。
あれ、一歩間違えると下品というかあざといというか、そういう表現になると思うんですが、それをなんかこうさらっと……「だってファントムってこーゆーヤツじゃん?」みたいな。
うん。そうだね。そーゆーヤツだね。
ファントムのファントムたる由縁は、人々を翻弄するトリッキーな言動ではなく、仮面に隠された醜い容姿でもなく、研ぎ澄まされた野生の感性と底なしの狂気にあるんだとあの表情で分かってしまった。
オペラ座の怪人はここにいる。私(たち)の心の中に。
……なんてね。
スケートって、競技じゃないですか。競技なのに、それが見える。確かにそこにファントムがいるのが分かるっていう、それをすごく幸せに感じているのです、私は。
それにしても、一番気持ち的に盛り上がるはずの「The Point of No Return」でばんばんジャンプが入るのってやっぱりなんかとっても大変そうに見えます。西洋妖怪に取り憑かれたまんま飛ばないといけないんだもんね。がんばれ。応援してるから。
***
それにしても、「オペラ座の怪人」ってつつき甲斐のあるネタですね。ハマりそう。ていうか小説版買っちゃいました。
***
拍手コメントへのお返事。
同意ありがとうございます! やっぱりあれは春風ですよね~!
今回はFSの「オペラ座の怪人」。先日のCSの放送で改めて映画版を見て、それからもう一度この演技を見て、そしてすごく幸せな気分になりました。
……なのですが、ここでちょっと話が逸れます。毎度のことながらすごくアホなことを書いてる気もするのですが、書いちゃったんだからしょうがない。例によって、スケートとは全然関係ないですよ。
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「オペラ座の怪人」の原作小説が発表されたのはほぼ100年前の1910年。1925年に作られた映画は、サイレント時代のホラー映画の傑作として名高い、らしいです。……ドラキュラやフランケンシュタインの怪物と同じ西洋妖怪だったのね、ファントムさん。
大体、洋の東西を問わず、「特定の場所に棲み付く得体の知れない存在」っていうのは定番です。姫路城の刑部姫とか、西洋の妖精にも似たようなのはいるし、現代の学校にも花子さんやなんかが棲み付いている(しかも大抵そういうものって、祟りもするけど助けてもくれる、守り神と化物の中間みたいな存在なんですよね)。
ファントムはそんな化物じゃない、ちゃんとした人間として描かれているじゃないか。そう仰る方もいるかも知れません。でも、桃太郎の鬼も大江山の酒呑童子も元になったモデルは(多分)人間です。社会の規範から外れた異質で得体の知れない人間を人々が「鬼」と呼ばれた(多分)。
実は私は、「鬼は人間の脳の古い皮質に住んでいる」という説をなんとなく信じてます。得体の知れないものに対する恐れが鬼や妖怪や怪物といった概念を生み出し、社会から外れた人々がその概念を自らのアイデンティティーとして取り込んだ結果、幻の化物たちが実体を持つんじゃないかと。
という訳でファントムさん。本名はエリックというそうですが、ファントムの正体がエリック、という単純な話ではなく、不幸な生い立ちによって社会性を奪われたエリック少年が「ファントム」という概念を得て怪人を実体化させてしまったんじゃないかと思う訳です。エリックさんは一人の人間ですが、「ファントム」という存在はエリックの肉体を借りた、もっと普遍的な存在なのではないかなと。
なんでそんなこと考えたのかというと、「The Phantom of the Opera」の歌詞がすごく気になったから。
「The Phantom of the Opera is there inside my(your) mind…」
私(お前)の「心の中に」いるって歌ってるんですよ。なんかそれって、肉体を持った人間ではないっぽい感じ。一方のラウルくんは「All I Ask of You」で「beside you(君の側にいるよ)」と歌ってます。こっちが正常な恋人の位置関係だと思います。
実際、「The Phantom of the Opera」では他にもクリスティーヌが「私はあなたを覆う仮面」と歌ったり、ファントムが「(聴衆は)お前の歌に私を聞くだろう」とか歌ったりして、クリスティーヌは完全にファントムのイタコ状態です。
ALWのオペラ座は、歌詞に含みが持たせてあって「ご想像におまかせします!」な部分が多いなと感じたのですが、そういう、様々な解釈な許される中のひとつの見方として。
……クリスティーヌの方はラウルとの関係も手伝って、揺れ動きながらもどうにかイタコ状態から抜け出して一人の人間としてエリックに向き会おうとしてるんだけど、一方のエリックはもう完全にファントムと一体化してて、最早光のある所には戻れない。
一度はクリスティーヌを闇の中に引きずり込もうとしたファントムだけど、彼女が最早イタコではないことに気づいて、彼女だけを光の中へ送り出す。
そういう話だと解釈するのも面白いかなーと。
ついでに、鬼が棲んでいる脳の「古い」領域は、新しい領域=理性や文明によって失われつつある野生の本能や直感のある場所でもあるんですよね。てことは普通の人間が社会性と引き換えに失った芸術的霊感もそこにはあるはず(実際、人間に芸術的な霊感を与える鬼や妖精や化物の話も東西に山ほどあるわけで)。
映画の中でファントムを「獣」と形容している部分がありますが、彼は「獣=野生」だからこそ、人間的な社会性によって曇らされていない、研ぎ澄まされた感受性を持ち得ているのかも知れません。
そしてもう一つ気になるのが「Masquerade」の歌詞。
最後にファントムがオルゴールに合わせて歌う所、仮面舞踏会の場面と同じ歌詞なんですね。
Masquerade! Paper faces on parade . . .
Masquerade! Hide your face,
so the world will never find you!
これが「四季」版では訳を微妙に変えてあるらしい。よく見ると確かにダブルミーニングしてる?
ざっくり直訳すれば「そこら中仮面だらけ、君も顔を隠せ、世界中の誰にも見つからないように 」って感じで、舞踏会の場面で歌えばまんまシーンの描写ですが、これをファントムが一人で歌うとなんだか、現実世界を揶揄しているようにも見えます。
「お前らだってみんな(私と同じように)仮面を付けて、お互いに素顔(本性)を隠してるじゃないか?」
……仮面という名の理性の下には、誰もが皆ファントムと同じような野生の狂気を隠している。
オペラ座の怪人はここにいる。私(たち)の心の中に。
……なんてね。
***
長い遠回りでした。やっと大ちゃんの所へ帰って来れました。
私が思う、今回の演技での見所。
「All I Ask of You」の柔らかな表現と美しいレイバックスピン(あそこで何でレイバックなのかは映画見ると分かる気がする)も当然そうだし、ゴージャスなサーキュラーステップ&狂乱のストレートラインステップも必見なんですが。
でもやっぱり今回一番のポイントは、高橋大輔のエロい表情だと思います……。
特にサーキュラーステップの後。
あれ、一歩間違えると下品というかあざといというか、そういう表現になると思うんですが、それをなんかこうさらっと……「だってファントムってこーゆーヤツじゃん?」みたいな。
うん。そうだね。そーゆーヤツだね。
ファントムのファントムたる由縁は、人々を翻弄するトリッキーな言動ではなく、仮面に隠された醜い容姿でもなく、研ぎ澄まされた野生の感性と底なしの狂気にあるんだとあの表情で分かってしまった。
オペラ座の怪人はここにいる。私(たち)の心の中に。
……なんてね。
スケートって、競技じゃないですか。競技なのに、それが見える。確かにそこにファントムがいるのが分かるっていう、それをすごく幸せに感じているのです、私は。
それにしても、一番気持ち的に盛り上がるはずの「The Point of No Return」でばんばんジャンプが入るのってやっぱりなんかとっても大変そうに見えます。西洋妖怪に取り憑かれたまんま飛ばないといけないんだもんね。がんばれ。応援してるから。
***
それにしても、「オペラ座の怪人」ってつつき甲斐のあるネタですね。ハマりそう。ていうか小説版買っちゃいました。
***
拍手コメントへのお返事。
同意ありがとうございます! やっぱりあれは春風ですよね~!
虹川さんの遠回りのお話が私は好きです。またいろいろ書いて欲しいです。
オペラ座の文庫本、私も買って読みました。読んでからDVDを字幕無しで観たらファントムにキスするシーンは大きな愛で初めてエリックが包まれてるのだと感じました。なんでこんなに学習してるんやろ。
虹川さんのお話読んだらなんだかほんわかしたので、もう一度寝ます。おやすみなさい。
>遠回りの話
そう言って頂けると助かります(汗)。オペラ座の文庫本、私はまだ読み始めたばかりですが、原作はどちらかと言うとミステリーっぽいノリですね。
1世紀近くに渡って色んな媒体で取り上げられるだけあって中々魅力的です。そしてこの物語を題材に作品を作って来た多数のクリエイターたちの末席に、大ちゃんもちゃんと座ってるんだなあ……と今回思いました。
クリスティーヌはよく見たら、ものすごい勢いで精神的に成長して行ってますね。私も読み終えたらまた何か書かせて頂くかも知れません。
感想ありがとうございました。