ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

独断と偏見によるノクターン(その2)

2006-07-12 00:07:20 | 日記
なんだか、フィギュアスケートの周辺も賑やかになって来ましたね。思えば去年まで、夏場にスケートのことを気にするなんて全然なかったんですが。
……というわけで、私的高橋大輔暴走感想の第3弾。「ノクターン」に関して、前回とはちょっと違う視点で語りたい部分があったのでもう一度。
しつこいようですがほとんどスケートとは関係ありません。
自分の感覚を信じられるかどうかとかそういう話です。
くどいようですが痛いですほんとに。

***

前回のは、あくまで私のファーストインプレッション、高橋くんのことはおろか、フィギュアスケートそれ自体なーんもわからない状態での感想がメインでした(実はこれに関しても、まだまだ語り足りないことはあるんですが)。
で、今回なんですが。あれから色々本屋さんとネットで関連資料を読み漁った結果、またちょっと違う見方も出て来たのでその辺の話です。

ダイヤモンド・アイスの特別取材でも、「ノクターン」がスランプ脱出のきっかけになったことに触れられてましたね(前にも書いたけど、単なる選手の紹介じゃなくて、ちゃんとショーでの演技に繋げてる所が偉いと思います@関テレ)。

そういう訳で改めて、04-05シーズンより前、所謂『シニアに上がった後、伸び悩んでいた時期』について調べてみると、なんていうかこう。
怪我とかと違ってメンタルな問題って外からは見えにくいし本人もきっと何も言わないだろうけど、これ、実際には傍で見てる以上に追い詰められてたんじゃないのかなあという気がしました。
ただでさえ難しい年頃の、しかも普通以上に感受性の強い男の子抱えて、周りの人たちもさぞ大変だったことと思いますが、やっぱり一番しんどかったのは本人でしょうね。
理性では分かってるのに気持ちが付いて来ないって状況で、「やらなきゃ」っていう義務感に追い込まれてたんじゃないかと。本当は、こういう感覚でやってるタイプこそ、「やりたい」っていう本人の気持ちが一番大切なんじゃないかと思うんですが。

そんな中、自分で好きな曲を選んで、自分が踊りたいように自分で振付けしたノクターンで、久しぶりに「やりたい」という気持ちを取り戻したのかなあ、と思いました。
私が初めて見た時、そんなことは何ひとつ知らなかったけど、なんだかすごく「自由に」滑ってると感じたのは、決して気のせいではなかったのかなと。
そう思ってもう一回「ノクターン」を見返してみると、なんだか、自分を見失って病んでいた魂が自己を回復して息を吹き返す、その過程を見ているようにも思えます。

そしてもう一つ。
感性で生きてる人に取って、自信を失くすことによって自分の感性も信じられなくなるっていうのが一番辛いんじゃないかと思うんですよね。
自分の感性に従って、納得して決めたことじゃないと気持ちは動かないのに、その自分の感性が信じられないとなると、なんかもう身動きが取れなくなりそうです。
だけど、自分の感性で作りあげた「ノクターン」が他の人たちに受け入れて貰えた(これは御本人がインタビューで語ってました)。それはつまり、自分の感性が受け入れられたということな訳で、それによって、自分の感性に対する信頼を回復できたのではないかなと思います。

Cutting Edgeで興味深かったのは、モロゾフさんに振付けを頼んだ理由も、本人の「いいかも」っていう直感が決め手になったっていう部分。
多分、モロゾフさんに対しても、「自分が直感で選んだ振付け師なんだ」ってこともあって、前向きな気持ちで向き合えたってところがあるんじゃないでしょうか。
そしてそれが結果上手く行ってることで、「やっぱり自分の直感は正しかったんだ」っていう好循環があるのかなと、そう思った次第です。

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あー……なんか、アレですね。
この文章読み返して見たら我ながら、他人の気持ちを勝手に想像して書いてますね。
信じないで下さいね。あくまで私の妄想ですから。

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