藤田和日郎先生と言えば「うしおととら」。
30年くらい前に友達に借りて全巻読みました。名作です。
「スプリンガルド」「ゴースト&レディ」に続く黒博物館シリーズ第三弾で前2作も面白かったのですが、順番を無視してここから感想文を書きます。
この記事のサブタイトルにあるように、男性作家、それも少年漫画の王道ど真ん中みたいな作品を描いてたあの藤田先生がフェミニズムを題材にするなんて、という驚きがありましたので。
今回の主人公はメアリー・シェリー。
ゴシックホラー御三家の一角、「フランケンシュタインの怪物」の産みの親です。
このメアリー・シェリーの母親のメアリー・ウルストンクラフトという人を私は今回初めて知ったのですが、「女性の権利の擁護」を著し、後にフェミニズムの先駆者と呼ばれるようになった社会思想家という事で、避けては通れない題材だったのでしょう。
結論から言えば大納得&大満足でした。
以下、私の個人的かつ基本的な考えです。
(1)フェミニズムとは、つきつめれば「当たり前を疑うこと」である。
(2)女性差別(を含めたあらゆる差別)とは、つきつめれば弱いものいじめである。
(1)フェミニズムとは当たり前を疑うこと
別のまんがですみませんが、「ミステリという勿れ」から台詞を引用します。
“しきたりとかルールとか伝統とか それって天から降ってきたわけじゃないんで”
“(中略)その当時 誰かが都合で決めただけなので”
洋の東西を問わず、社会を支配し動かして来たのは大多数が大人の男性なので、世の中のルールも彼らに都合よく決められているものが多い。
多くの人がそれを当たり前に受け入れている中で、「ちょっとその前提取り払って、一回ゼロから考えてみようか?」という発想ができる人は、男性であっても自然と思考がフェミニズム的になると思います。優れたクリエイター=柔軟な思考ができる人は当然そこに含まれるのではないでしょうか。
残念ながら逆もまた然りで、その象徴として描かれているのが後述する校長先生だと思います。
この作品、テーマがテーマなだけに、メアリー先生やもう一人の主人公・エルシィなど魅力的な女性キャラがたくさん登場します。
それも若くて美しい女だけではありません。メアリー先生は当時45才くらいだし、エルシィは傷だらけの顔で登場して怪物扱いされてるし。料理長のアトリーさんとか、家政婦長のウィルキンズ夫人とか、若くも美人でもない「怖いおばさん」だけど、仕事が出来てかっこいい女性たちも出て来ます。
そんな中、ほとんど唯一、徹頭徹尾醜悪な存在として登場する女性が2巻で登場する寄宿学校の校長マイラ・エイマーズ。
学校とは名ばかりの劣悪な環境に貧しい少女たちを集め、なけなしの仕送りまで懐に入れる紛う事なき悪者キャラ。
この校長先生が繰り返し主張する訳です。
“女は男と結婚して生きてくのが幸せってもんなのさ”
「インターナル・バイアス(内なる偏見)」という言葉があるそうです。女性同士の場合、古い価値観で自身を規定している女性が、変わろうとする女性と連帯できない現象のことになるのだとか。
女は男の経済力に依存して生きるしかない。そのためには男に従属しなければならない。
絵に描いたような「古い価値観」でありますが、今なお根強く生き残っているのは、ある意味それが現実でもあるという事で、メアリー先生は中々反論できません。が、その一方でエルシィの切れ味は鋭い。
“アンタは神サマか…?”
“神サマでないのなら 黙れ”
メアリー先生は母親の思想の影響で女性の権利や自立について意識は高いけれど、同時に上流階級の女性として「淑女は慎み深くあるべき」みたいな規範も守ろうとしてよく板挟みになっている。
一方のエルシィは「怪物」として社会の規範の外にいる、ある意味自由な存在なのです。
この2人の関係と、その変化もストーリーの重要なテーマではあるのですが。
(2)女性差別(を含めたあらゆる差別)とは、つきつめれば弱いものいじめである。
校長先生には3人の粗暴な息子がいて、何かあったら息子たちの暴力で相手を押さえつけている。
この息子たちがエルシィにボコボコにされた時に、校長先生はこう言います。
“女のくせに男たちによくもそんなヒドいことを〜!!”
エルシィはそれにこう答えます。
“男はヒドいことをすんのに 女はしちゃ…ダメなのか…”
実際に女「だけ」に暴力が禁止されている訳ではありませんね。有体に言うとどっちも良くない。
ただこの場合、女の側から暴力でやり返されることなど全く予想していなかったから、「女の暴力」を理不尽に感じて思わず口走ったのでしょう。
この時はエルシィに守られた形のメアリー先生も、この後色々あって5巻では自ら危機に立ち向かいます。
“男は 女を利用する”
“女が男より劣っているから… 低級な生き物だから…”
“違う! 女が立ち向かえないからだ!!”
正しい意見でなくとも、力で反論を押さえつければ通ってしまう。
力のある方が、自分の都合の良い理屈を力で押し通した結果、不正が罷り通る。
〇〇差別、〇〇ハラスメントと言葉は山ほどありますが、結局のところはそういうことじゃないかなと思います。
この漫画に出てくる「卑怯な男」が女に暴力をふるったり暴言を吐くのは、相手が絶対に反撃して来ないから。
安全な立場で、安心して好き勝手にできるという訳ですね。
そこでパーシー・フローレンスです。
メアリー・シェリーの息子で大学生。
「うしおととら」の潮が大人になったらこんな感じかなと思うような純粋熱血くん(そしてちょっと天然)。
終始一貫して「差別しない男」として描かれている彼の対戦相手は
1.ウォルター(fromスプリンガルド)
2.ハイウェイマン(強盗団)
3.「父」(黒幕)
見事に自分より強い相手としか戦ってない。
ああ、そういうことなのね。
藤田先生にとって、「フェミニズム」を描くのは特別な事ではなかったのかもしれない。
最初からずっと、ヒーローは弱いものいじめなんかしなかった。
潮もとらも、弱い者たちを守るため、自分より強い相手に立ち向かう。その姿をずっとかっこよく描いてきた。
実はそれこそ、フェミニズムの真髄だったのかもしれませんね。
「うしおととら」は昔の少年漫画だから、女の子のパンツやら裸やらバンバン出て来ます(このシリーズにも出て来ます)。
でも見ててそれほど不快じゃないのは、男性側からの性的な視線よりも、戦い、立ち向かう女性たちのかっこよさが前面に出てたからかもしれません。
「三日月よ、怪物と踊れ」にもかっこいい女性(一部男性も)が沢山出て来ます。
本当はもっと色々書きたかったけど、ここまでで長文になってしまって書ききれなかった。
最終巻、メアリー先生とエルシィの関係も良いけど、「また明日」のコール&レスポンスも最高に感動的。そして怒涛の華麗なラストバトルと見どころしかありません。
自信を持っておススメできる作品です。
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