TBA

(仮)

遠くのほうでにぎやかな

2018-07-15 | 本と雑誌

もう夕方なのに、まだ焦げそうな太陽。

きょうは祭りの最終日らしい。

駅前は人がいっぱいになるのかな。


自分が参加しなくなってからは、

見に行くこともないし、

人だかりは避けるようにしてるので、

どうなってるのかわからない。


買い物行きたかったけど、

いろんなところが通行止めにされるしなあ。




出川さんの「充電」

やっぱり素人さんと絡むさんまさんはおもしろい。

明石家電視台はいつになったら…





井上達夫さんという方が気になったので、

とりあえず『ザ・議論! 「リベラルVS保守」究極対決』

という本を読んでみる。


ひとりひとり考え方は違うのだから、

レッテルを張ってのポジショントークには意味がない。

「リベラルVS保守」とのことで、

自称「リベラル」自称「保守」とはどう違うのかと思ったら、

結局のところ、反アベというところで話が弾んでいる本だった。


立憲主義や法の支配で暴走は止められないというのはわかる。

止められるのは権威であって、

それはヨーロッパやアメリカでは「神」で、

日本では天皇である、と。

道徳とか倫理と言い換えてもいいのかもしれない。


法の支配を理解できない人々にでも、

道徳や倫理ならわかるはず。

それすらも理解できないものは、もう人とは言えないのだろうし。


天皇という権威が悪意によって利用されないように、

憲法の枠内に入れるというのもわかる。

でも、そこまで考えているのなら、

外戚の問題がいちばんやっかいなのもわかるはずで、

女系が支持を得られないのもそういうことなはず。

井上さんの「リベラルを広める」っていうのも…


皇族の方々に対して、無理を強いているとか、

押しこめているとかいうのは失礼な話で、

ノブレス・オブリージュということをお忘れかと。


たいへんな役目だけれど、誇りを持って、

ご自分から受け入れてくださっているからこそ、

権威としてあられることができるのだから。




で、お二人ともやっぱり「大衆」と「庶民」を分けてしまう。


マスメディアが委縮しているようにはとても思えないし、

政権寄りとも思えない。


そこそこの民度の国なら、

メディアが正確な情報を提供しさえすれば、

国民がそうそうまちがった判断するとも思えないので、

「暴走」することの責任はメディアにもあったはず。


なのに、自分たちの言い分を理解しないのは「大衆」

人はそれぞれ自分の考え方を持っていて当たり前なので、

自分たちの考えはつねに正しい、とか、

無意識に上から目線でないとそういう見方はしないのだと思う。


結局、この「議論」があまり白熱しないのも、

結局、論敵はお互いではなくて、

自分たちを理解しない政治家や官僚、おろかな大衆だからで、

お互い理解してもらえないねえ、って慰めあっているだけだからなのだろう。


本気で国のことを憂えているのなら、政治家になればいいし、

それができないなら、直接、会って話をしてみればいい。


でも、丸呑みしてくれないならムダというのなら、

そもそも対話とか議論とかを看板に掲げる資格はないのだと思う。


結局、他人を信じていないから、

法で縛ろうとしたり、自分の考えを押しつけようとしたりする。

それってリベラルなんだろうか。
コメント
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