もう夕方なのに、まだ焦げそうな太陽。
きょうは祭りの最終日らしい。
駅前は人がいっぱいになるのかな。
自分が参加しなくなってからは、
見に行くこともないし、
人だかりは避けるようにしてるので、
どうなってるのかわからない。
買い物行きたかったけど、
いろんなところが通行止めにされるしなあ。
出川さんの「充電」
やっぱり素人さんと絡むさんまさんはおもしろい。
明石家電視台はいつになったら…
井上達夫さんという方が気になったので、
とりあえず『ザ・議論! 「リベラルVS保守」究極対決』
という本を読んでみる。
ひとりひとり考え方は違うのだから、
レッテルを張ってのポジショントークには意味がない。
「リベラルVS保守」とのことで、
自称「リベラル」自称「保守」とはどう違うのかと思ったら、
結局のところ、反アベというところで話が弾んでいる本だった。
立憲主義や法の支配で暴走は止められないというのはわかる。
止められるのは権威であって、
それはヨーロッパやアメリカでは「神」で、
日本では天皇である、と。
道徳とか倫理と言い換えてもいいのかもしれない。
法の支配を理解できない人々にでも、
道徳や倫理ならわかるはず。
それすらも理解できないものは、もう人とは言えないのだろうし。
天皇という権威が悪意によって利用されないように、
憲法の枠内に入れるというのもわかる。
でも、そこまで考えているのなら、
外戚の問題がいちばんやっかいなのもわかるはずで、
女系が支持を得られないのもそういうことなはず。
井上さんの「リベラルを広める」っていうのも…
皇族の方々に対して、無理を強いているとか、
押しこめているとかいうのは失礼な話で、
ノブレス・オブリージュということをお忘れかと。
たいへんな役目だけれど、誇りを持って、
ご自分から受け入れてくださっているからこそ、
権威としてあられることができるのだから。
で、お二人ともやっぱり「大衆」と「庶民」を分けてしまう。
マスメディアが委縮しているようにはとても思えないし、
政権寄りとも思えない。
そこそこの民度の国なら、
メディアが正確な情報を提供しさえすれば、
国民がそうそうまちがった判断するとも思えないので、
「暴走」することの責任はメディアにもあったはず。
なのに、自分たちの言い分を理解しないのは「大衆」
人はそれぞれ自分の考え方を持っていて当たり前なので、
自分たちの考えはつねに正しい、とか、
無意識に上から目線でないとそういう見方はしないのだと思う。
結局、この「議論」があまり白熱しないのも、
結局、論敵はお互いではなくて、
自分たちを理解しない政治家や官僚、おろかな大衆だからで、
お互い理解してもらえないねえ、って慰めあっているだけだからなのだろう。
本気で国のことを憂えているのなら、政治家になればいいし、
それができないなら、直接、会って話をしてみればいい。
でも、丸呑みしてくれないならムダというのなら、
そもそも対話とか議論とかを看板に掲げる資格はないのだと思う。
結局、他人を信じていないから、
法で縛ろうとしたり、自分の考えを押しつけようとしたりする。
それってリベラルなんだろうか。