TBA

(仮)

自動ドア 開いたら外は 蝉時雨

2018-07-20 | 本と雑誌

きょうは病院のはしご。


一軒目はいつものとおりだったんだけど、

二軒目は10時50分の予約のところ、

ちょっと早めについたので、

結局、1時間半くらい待った。

診察は3分くらい。

経過観察だし、そういうもんだと思ってるけど、

そこの病院はイスが固くて待合室が廊下。

人通りが多くて足ものばせないから、

おしりも痛いし、肩もこる。


廊下のつきあたり、自動ドアがあってもう外。

出入りで開くたびにセミが鳴いてるのが聞こえる。

中は涼しいけれど、外に出ると暑いんだろうなって、

思い知らされてる感じ。


実際、外は暑かった。




待ってる間に2冊読み終わった。

1冊は高野秀行さんの対談本「地図のない場所で眠りたい」


この本の中に出てくる、サードマンって、

こないだの「100分de名著」に出てきた、

"無意識からの知恵" とか "次元の違う知恵" みたいなものなのかな。


ツイッターを見てると「並べ読」とか。

あいかわらずおもしろいことを考える方で。



もう1冊は、

『虫捕る子だけが生き残る「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか』


印象としては、こどもたちのためっていうよりかは、

虫取りおじさんたちが、虫がいなくなったことをひたすらなげいてる感じ。

もちろん、それだけではないけれど、

虫が減ってるっていうのは実感としてあるんだろうな。


クマゼミの東進は温暖化じゃなくて、街路樹の移植っていう話。

ホタルとかメダカとかもふくめて、

安易に別の場所に放流したりするのは気をつけないと。


なげくだけじゃなくて、

先生方なら行政を動かすこともできそうなのに。





置かれた場所で咲きなさい、という言葉が流行っていたけれど、

自分の立場や実力に見合った行動ができればいいということでもあるのかな。


紛争地帯に行くなら、絶対につかまらないで生きて帰ってくること。

止められてたのを振り切って行ったなら、よけいにそう。

自己責任というのは、一方的な意味だけではない。


また、国会議員は、国会で議論するのが仕事。

なんの権限もないのに対策チームを作ったり、

ぞろぞろ視察に行って何をしようというのか。


そして『カジノより被災者』というなら、

内閣不信任案で足を引っ張るのはいかがなもんか。


そもそも野党の審議拒否がなければ、

国会はとっくに閉会してたはずだし、

国会で決めるべきは被災地の手当てだけじゃないはず。


与党の仕事に漏れがあるなら、

党派を超えて助言するなり、サポートすればいい。


東日本のときに拒まれたというなら、

今回こそ自発的に協力すれば野党の支持率も上がるかも。

与党に手を貸すのがいやで、国民は二の次だというなら、

ほんとに消えてなくなればいい。


協力したとしても、国民へのアピールのためだけに、

わざわざ国会でやるべきことでもない。


でも、本気で取り組めばきっと見ている人はいるはず。

パフォーマンスなら見抜かれて逆効果だけど。


どっちにしても、口先だけの人が、

実際に行動している人にえらそうに言えることなんてなにひとつない。


せめて、がんばってる人の足を引っ張らないことだけでも…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする