慣れてる場所だとだいたい見当がつくので、
なんとか暑くならない場所に、車を止めようとしてみるんだけど、
はじめて行くところではなかなか。
まわりの建物とか植えられてる木、
あと太陽の動く方向で、
少しでも車が暑くならないようにと考えるんだけど、浅知恵。
長く止めないといけないときはやっぱり日よけをしないと。
100均のでいいか、と思ったら、
さすがにふにゃふにゃでうまくかけられない。
いろいろ試した結果、
バイザーのところにせんたくばさみではさんでみたら、
きれいに広がってよかった。
まあそれでも、暑いのは暑いんだけど。
ラオスのダムは人災と言われてるみたいだけれど、
今週末の台風の進路はどうしたもんかな。
東から来る台風ってどれくらいの割合なんだろうか。
最初の予報だと、豪雨災害のところは、
なんとかよけてくれるのかと思ったら…
暑い、と、台風。
どっちがマシかといわれてもねえ。
「100分de名著」やっと見た。
なんというか、いろんなことに対する、
自分の考え方とか受け取りかたって、
この方の本の受け売りだったんだなあってあらためて。
先週の「無に通じる」っていう「牧牛図」(十牛図?)の、
なにもなくなったように見えるけれど、
なにもなかったというわけではない、というのもなんか好き。
「進歩」というと、たどりつくべき目標点があるみたいだけれど、
「牧牛図」には始まりも終わりもない。
すべてがすべてのままで全体としては不定。
西洋的な考え方だと「神」のようなあるべき姿があって、
人はそこに向かって生きていくのだろうけど、
そういうのとはもともとの考え方が違うのだろう。
国連の方から来た人やなんかの、
いわゆる「あちらの人たち」が妙に上から目線なのも、
彼らに見える、正しいありかた、というのがあるからなんだろうし。
小説や映画の創作の世界でも、
西洋のものと日本のものではだいぶ色合いが違う。
日本人が災害にあってもへこたれずに前を向いていけるのも、
そもそも世は無常で変わらないものなんて、
もともとないと思っているからかも。
今昔物語の話もおもしろかった。
ムアコックの「この人を見よ」をちょっと思い出したけど、
これも、海外の人はどう読んだんだろう。
西洋では個性とは、自分の努力で作り上げていくものなのに対して、
日本だと個性とは、まわりとの関係性の中で驚きを持って発見していくもの。
代表の長谷部選手みたいに地位が人を作るみたいなこととか、
稼業を継ぐっていうことでも、
日本だとそんなにもうからなくても継ぐ人は継ぐ。
創業100年を超える老舗企業がたくさんあるのもそういうことなんだろう。
最後に出てきた「非個人的な関係」っていうのは難しい。
心理療法に限らず、営業は自分を売り込め、とか、
ものよりも心を、みたいなこともよく言われてきて、
その延長線上には、曲解された「お客様は神様」があったり、
「お・も・て・な・し」があったりするのだろうし。
「ユング心理学と仏教」だけで、4週でもよかったくらいかも。