そこにして、っていう指定があって、
ある駅に迎えに行くことがあった。
ちょっといびつな形のロータリーがある。
バスの停留所やタクシー乗り場があるわけではないので、
あまりじゃまにはならなそうな感じでとめて待っていると、
あとから入ってきた車が、ロータリーの奥、
ちょうど向かい合った場所に車をとめた。
そのあとから急に3台続けてロータリーに入ってきた車が、
さっきの車のとなりにきちんと駐車。
自分の車に向かってきれいに4台がならんでこっちを向いている。
そういう風にとめるルール…なのかな。
特に注意をされるってことはなかったのだけど、
すっごく不安になった。
慣れないところに行くといろいろあるようで。
「大人のお作法」を読んだ。
ハコちゃんさんの本。
池波正太郎さんのエッセイを思い出した。
"粋"な大人にはなれないだろうと思うけれど、
かっこいいなあとは思える。
"身銭を切る" っていうのは、
中島誠之助さんの本にもあったような。
仕事でもそうだけど、
ほんとに自分が責任を負ってやったことでないと、
自分の身にはつかないんだろうな。
こういう人を1年で切ってしまったT〇Sはあほだなと思う。
「100分de名著」
今週はちょっとおもしろかった。
保守VSリベラル ではなくて、保守VS"リベラル"なのだけど。
"リベラル"は、まったく寛容でなく自分と異なる意見を排除し、
礼節・マナー・作法を尊重せずに伝統を破壊しようとする人たち。
リベラルは多数派の自由ではない、というのはわかるけれど、
デカすぎる少数派の声が多数派を押しつぶすのもまちがっていると思う。
・自分と違う人たちと何とかやっていく方法を身につける。
相手が同じように考えてくれていればそれでいいのだけど、
そうでない場合は?
○か×かの選択肢しかなく自分たちだけが正しいと考えていて、
対立する相手にレッテルを貼って貶める人と、
どうすれば、なんとかやっていける、のか。
・敵とともに生きる! 反対者とともに統治する!
明治維新もそうだったし、今の政権交代もそう。
安倍さんって、小池さんにしても石破さんにしても野田さんにしても、
対立していた相手もいちおう入閣させてはいるんだよなあ。
それと対照的なのは、前大統領が職を追われたあと投獄される国。
・自由を求めて自由を破壊する大衆
伝統や慣習を破壊することは、
自由を担保してきた秩序を破壊するということ。
大衆は独裁者に煽動されて操られる、みたいな締めだったけれど、
独裁者は大衆によってかつがれる、という面もあるのでは。
そして最期は大衆によって吊し上げられる、と。
自分たちがかついだ独裁者を自分たちが批判するということは、
自分たちを被害者の立場に置くことで責任を回避していることなのでは。
でもそれは自分たちそのものを否定してしまうことでもあるような。
日本の戦後体制ってここが違うのかも。
だから伝統や秩序がかろうじて守られてきたのかな。
ファシズムとスターリニズムを並べたり、
"革新と言われている人たち"批判が出るとは思わなかった。
この講師の方はほんとうに左右を取り持とうとされているのかも。